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2016年12月31日土曜日

タイ国リアル旅行記 XXXV

タイ国旅行記の最終回である。何とか年内に終わらせることができそうである。

バンコクへの移動のつづき。 

車窓写真とか車窓風景とかヘンテコな言葉を使ったが、実際の車窓はこれです。


席の前には常にペットボトル。毎朝ガイドさんが配ってくれました。


それで車窓風景を早速始める。バンコク到着まで夕食時間を込めて5時間程ある。

今回は高速路沿線風景だけでなく趣味の黄昏写真も交える。 時間の関係でコメントは省略。














空港近くに来る。右の路線はエアポートレイルリンク。空港に立ち寄った際、一度乗ったことがある。近くの駅まで行ってワイフと海鮮料理を食べたのでした。極めて美味しかったのを憶えているが、何の魚を食べたかははっきりしない。

この車両です。


ここでバスは迂回して空港近くのモール街に到着する。


このモール街である。



レストラン JE NGOR は、この一角にある。2階だったと思う。海鮮料理店だが、料理はすこぶる付きで美味しかった。今回はまともなグルメ写真が撮れました。

中華式の丸テーブルでした。私の選んだ料理。欲張りすぎですな。

スープ、蒸しエビ(特に美味)、蒸し魚、カニカマ揚げなど。小魚の唐揚げもありました。


青パパイヤの細切り炒め(だったと思う)。


渡りガニの卵餡かけ炒め これは回ってきたのを写しただけで全部食べたわけではない。


以上ビール付きで完食した。

夕食が終わり、バスはスワンナプーム空港に7時45分到着。

入国審査を終えて、搭乗まで少しの時間がある。それでコンコースを歩いていて出くわしたのがこの長巨大神話像。


何の像かわからなかったので、早速調べました。

乳海攪拌の彫刻 だそうです。

この彫刻はヒンドゥー教における天地創造の神話を表したものだそうです。イザナギ、イザナミの国生み神話みたいなものだね。

説明板にはこのように記載されている。

この巨大な彫刻はヴィシュヌ神とその乳海撹拌という天地創造神話を描いています。
蛇王であるナーガヴァースキ大マンダラ山をその長い胴体で絡ませています。
ヴィシュヌ神の化身である大亀クールマ大マンダラ山をその背に乗せています。
不老不死の甘露「アムリタ」
を作り出すために、両サイドからデヴァ(正義の神々)阿修羅(神に   対する悪神)大蛇ナーガの胴体を綱として引き合うことで、山を回転させながら、海中をかき回します。
さらに1000年以上も撹拌が続き、乳海から多くのものが次々と生まれました。
最後にようやく天界の医神ダヌヴァンタリ不死の妙薬アムリタの入ったを持って現れました。
その後、正邪両神の奪い合いは、デヴァ妙薬アムリタを得たことで止まりました。
デヴァ阿修羅を天上界から地下界へ追い出しました。


中央のビシュヌ神


このように亀の上に乗り乳海を攪拌している。


その足元には不死の妙薬の入った壺(ほら貝)がある。


蛇神ナーガを引っ張る正義の神々デヴァ


中央部で蛇神たるナーガは岩(大マンダラ山)に3層になって絡みついている。


邪の神々である阿修羅ナーガの三頭



阿修羅のアップ

空港の外では凄い雷が鳴っていた。

コンコースの風景。この先の1階下に搭乗ゲートがありそこで待機する。


それでも時間通りに飛ぶと思いきや、使用機材到着遅れのため1時間半の遅延。それでも無事に2タイ航空640便に乗り込むことができた。満席であった。24時に空港を飛び立ち成田空港へ向かった。

そして翌11月20日朝7時50分に成田空港到着。荷物の受け取り場所で添乗員さんやツアーの皆さんと流れ解散。国内線の羽田→伊丹の便に間に合うか心配だったので、添乗員さんにお願いして遅延証明書(タイ航空の)を書いて貰った。これである。搭乗券付き。

結局は搭乗時間の11時に間に合って不要でしたが、こんな証明書を頂いたのは初めてでした。

添乗員さんに御礼を言ってから荷物を受け取り空港出口に向かう。

やっと日本に帰ってきました。リムジンバスで羽田まで行く。搭乗時間に間に合いチェックインを済ませる。 

羽田のコンコースからANAの飛行機が見える。


搭乗ゲートを案内板で確認。

日本に帰ってきて初めての生ビール。ドイツソーセージが当てである。極旨。


全日空NH21便で伊丹空港に到着。大阪に戻ってきた。大阪モノレールが見える。



リムジンバスで三宮まで行き、阪急に乗り換えて阪急六甲道で下車。タクシーで自宅に帰ってきた。4時近くであった。
長かったタイ国リアル旅行記はこれでおしまい。充実した楽しい旅行でした。

本年度ブログはこれでおしまいです。読者の皆様どうか良き年をお迎えください。 お正月ブログはしばらくの間お休みします。

滋賀 白鬚神社

今年最後の神社紹介は滋賀の白鬚神社である。牧野高原メタセコイヤ並木を見に行く途中に参拝した。見どころのある神社とはワイフからも聞いていたので立ち寄ったのである。この神社は湖中大鳥居で有名で、そのお姿を拝みたいと思ったのである。 牧野高原 メタセコイア並木

地図 神社は琵琶湖沿岸の中央部分、近江高島にある。


こじんまりとした琵琶湖に面した綺麗に整備された由緒ある神社である。社屋は歴史を感じさせて参拝するにはとても良い神社です。

社碑



拝殿前鳥居



境内の案内図


近江最古の大社である。

いつものようにWikipediaさんに神社の基礎情報を教えていただく。

白鬚神社
Shirahige-jinja (Takashima) keidai.JPG
境内(左から若宮神社・本殿・拝殿・絵馬殿)
所在地滋賀県高島市鵜川215
位置北緯35度16分28.25秒
東経136度0分39.92秒
座標: 北緯35度16分28.25秒 東経136度0分39.92秒
主祭神猿田彦命
社格国史見在社
旧県社
創建(伝)第11代垂仁天皇25年
本殿の様式入母屋造
別名白鬚大明神・比良明神
例祭5月3日
9月5日・6日


湖中大鳥居


白鬚神社(しらひげじんじゃ)

滋賀県高島市鵜川にある神社。国史見在社で、旧社格は県社。別称は「白鬚大明神」「比良明神」。神紋は「左三ツ巴」。
全国にある白鬚神社の総本社とされる。沖島を背景として琵琶湖畔に鳥居を浮かべることから、「近江の厳島」とも称される。

鳥居が湖の中に浮かんでいる姿は厳島神社とよく似ています。

白髭神社と言えば六甲山にもありました。白狐から由来しているとの事でした。関係があるのかもしれません。 六甲山ー摩耶山散歩 I  

ご祭神:
猿田彦命 (さるたひこのみこと、猿田彦大神)

何度か画像紹介しているが、今回はこれ。



注釈が入る。

国史に「比良神」と見える神名が当社を指すとされており、元々の祭神は比良山の神であるともいわれる。人格神が猿田彦命とされた由来は不詳であるが、猿田彦命水尾神社(高島市拝戸)の縁起『三尾神社本土記』にも見えることから、両社の密接な関係が指摘される。



比良山

歴史:

社伝では、垂仁天皇(第11代)25年に倭姫命によって社殿が建てられたのが当社の創建であるという(一説に再建)。また白鳳2年(674年)には、天武天皇の勅旨により「比良明神」の号を賜ったとも伝える。

倭姫命  日本猛尊叔母にあたる。伊勢神宮を建立したとされる。


後述の国史に見える神名「比良神」から、当社の元々の祭祀は比良山に対するものであったとする説がある。一方で白鬚信仰の多く分布する武蔵国北部や近江・筑前には渡来人が多いことから、それら渡来人が祖神を祀ったことに始まるという説もある。
当社の周囲には、背後の山中に横穴式石室(現・末社岩戸社)が残るほか、山頂には磐座と古墳群が残っている。

それでは境内を見て廻ろう。
拝殿



拝殿


拝殿中



本殿 拝殿と繋がっていて奥の社屋が本殿


横から見た本殿


本殿の屋根


本殿慶長8年(1603年)の造営。国の重要文化財に指定されている。

桐且元を奉行として播州の大工の手で建てられたとされる。間口三間・奥行三間の入母屋造で、向拝一間を付し、屋根は檜皮葺である。明治の拝殿造営・接続に伴い、向拝の軒先は権現造のような複合社殿様式となり、その際に屋根も杮から檜皮葺に改められている。


狛犬二基


手水舎


手水舎横の歌碑



与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻が参詣した際に詠んだ歌碑である。


絵馬殿(旧拝殿)

境内社の若宮神社
社殿慶長期の造営で、一間社流造の杮葺高島市指定文化財



境内社は他に10社ある。これらは本殿裏の石段上にあるので「上の宮」と総称される。

石段前の鳥居


石段

その10社を連続的に紹介する。

豊受大神宮(外宮) - 社殿は慶長期の造営で、高島市指定文化財



皇大神宮(内宮) - 社殿は慶長期の造営で、高島市指定文化財



八幡三所社(3社相殿) - 社殿は慶長期の造営で、高島市指定文化財
  • 八幡神社
  • 加茂神社
  • 高良神社




上三社の後ろ姿


鳥居が残りの4社前に建てられている。


左から寿老神社鳴子弁財天社


浪除稲荷社


天満神社


最後の1社である岩戸社は撮り忘れてしまった。でも心配はいらない。
Wikipedia様が助けてくれるのである。

岩戸社 右は古墳石室


この祠は、天岩戸として祀られている。


歌碑や句碑 時間がないので説明は省略。紫式部の歌碑がありました。




これが紫式部の歌碑


常夜燈


本殿の遠景



神社参拝口に居る狛犬二基





常夜燈  屋根つきです。石柱には、白鬚大明神、永代常夜燈、海上安全心願成就の文字が、刻まれている。建立は、天保4年8月。




蕪村の歌碑


社務所 いつもは写さないのだけれど、立派なので写真に撮りました。


最後にこの神社のハイライトである湖中大鳥居

大鳥居

大鳥居は湖中に立ち、当社のシンボルとなっている。鳥居について古くは弘安3年(1280年)の絵図では陸上に描かれているが、その後の琵琶湖の水位上昇に伴い水中に立つようになったと伝える。その伝説に基づいて昭和12年(1937年)に鳥居の寄進がなされ、昭和56年(1981年)に現在に見る鳥居が再建された。



その周辺

湖畔の階段に座って眺めることができる。


これでおしまい。