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2014年2月28日金曜日

父の遺品

 


父が死んで5年になる。 
母親が、命日には早いがお墓まいりに行きたいという。
足が覚束なくなっているので、出来るだけ早い機会に出かけようと約束する。

はた迷惑で我がまま親父であった。 

買うのほうは不明だが、飲む、打つの2拍子の揃った大正の男であった。
アルコールが入ると独演会をやらかす。 しかも壊れた蓄音機。 
場所をわきまえない。 酔って醜態をさらすが、本人はそう思っていない。


(ちなみに、この写真は 大正男のダンディ さを示したもので、親父はいません。)

ばくち(競輪)をするために、全国を行脚する。 
周りの我々(母と3人の子供)はたまったものではなかった。 
受けた被害については多々あるが、ここでは書きたくない。 

母親の内職である裁縫(呉服屋さんに頼まれて、着物を縫うこと)による収入で、
貧しいがなんとか人並みの生活が送れてきたのだ。
反面教師で、我々3人の兄妹は皆真面目な生活者になった。 これは良かった。

母親を除いては、長男の私が一番の被害者だった。 
父子の確執は当然存在したが、 
私が結婚し子供ができたころからは好々爺になりつつあった。 
孫の面倒を見てくれたのだ。 しかし激しい性格は変わらなかった。 

本質は、気の小さい優しい人だったと思う。 
そうでないと、最後まで母は添い遂げられなかったろう。

肺ガンが背骨まで転移していたが、死ぬ寸前までニコチン中毒であった。
痛みには辛抱強い人であったが、死ぬほどの激痛やで  とよく言っていた。
今、本当に痛かったんだろうなと思い、不意に涙が出てきた。
タバコを吸いに、病院の外まで車椅子を押していったのを思い出した。 



最後は、ホスピスに入りそれほど苦しまずに亡くなった。

戦争から帰ってからは、好き放題に生きてきたので別に思い残すことはなかったと信じたい。

自称 日曜画家 で、そのような名刺を作ったのも知っている。 
しかし、傍から見ると ギャンブル依存症 でしかなく、
家で絵を書いている事など、私が子供の時以来成人してからは一遍もない。 
苦しくって描けないようだが、怠けているだけにしか見えない。 
美術理論なんて描かない以上クソでしかないのに。



アトリエに使っていた部屋には、大量の美術雑誌と油絵の道具が残されていた。
引き取ってくれる人も場所もないので、それらは大部分ゴミとして処分した。
油絵具や画具の一部は、弟が形見として引き取ってくれた。



釣りが趣味だったので、竹製の釣竿などもあったが、
それらは全て同じ趣味の叔父さんに貰って頂いた。



欲しいものは何もなかったので、私の手元に残したのはほんの少しだけだ。 


親父が常日頃使っていた腕時計だ。 
安物だが捨てるに忍びなく、置時計として使っている。
1週間ほど前に、止まった。 都合5年間もった。 長い記憶だ。 
電池を新しいものに変え今も使っている。

親父は、阪神電気鉄道株式会社に勤めていた。 
本線(今の阪神線)でなく、第2国道のちんちん電車の車掌を長年務めていた。



阪神電鉄の徽章と、おそらく車両の開け閉めかなにかに使うカギであろう。
25年間の記憶として残したかったのだろう。

親父の生きがいは絵を描くことだった。 
画家として生きるのが夢だったが、才能も画業についやすべき時間もなかった。
乏しい給与の中から、絵具や色んな絵筆、画布、パレットを買っては、
絵を描いたような気になって自己満足をしていた。

 
これは、スケッチ用の鉛筆を削る肥後守やナイフ、木炭の先を尖らせるためのナイフだ。
 
 
キャンバスも自前で作っていた。
これは、その木組みに釘を打ち込むための金鎚だ。 用途により異なる金鎚を使う。
画布も自分で作り、ニスを温めて麻布に塗っていたのを思い出す。
 

今は私の本棚にしてしまっているが、元は隣にあるイーゼルの置場だ。

親父にとっても戦争体験は、思考と存在自体を揺るがす大事件だった。
戦争の悲惨な体験を系統だって説明できない父は、
その思いを1冊の本に託して残した。 
表紙と内扉に赤字の 子や孫え との注意書きと共に。
 
 
 
これが、よりリアルな体験談なのだろう。


下級の襟章や記章とともに、歩兵操典がある。

 
中身はこんな具合だ。
 
 


親父は、満州には出兵したが、これはその頃のものではない。
親戚の人から頂いて大切にしていたものだ。
 
親父は、従軍4年 捕虜2年 で終戦後内地に戻ってきた。 
こころに デカダンス と 無頼 をかかえて。
 
根本には、明日のことはわからぬ人生はエンジョイしなければならぬ
という意識が親父には確かにあった。
 
絵を描きに行くとし称しては、一人で旅にでた。 
実際は、物見遊山で飲んだくれているだけ。
スケッチはしていたらしく、そのための写真が残されている。
 
 

当時としては、珍しいパノラマ写真もある。


これは、屋島だろう。 また明石海峡大橋の建造時の写真もある。

 
子供たちは、皆成人し家庭を持った。 
弟がアメリカに長期出張になり、3週間ほど親父にとり初めての海外旅行をすることになった。
母も同伴の、ニューヨーク、カナダ側のナイヤガラの滝を見物する旅行だった。
私も旅行の補佐としてついていったが、親父のわがままに振り回された日々だった。



帰りは、ハワイによってパールハーバーを見学した。 
母が書いてあるように、目出たく やっと終わったのだ。 苦痛の旅であった。
親父は、70歳過ぎても元気な道理を弁えない不良老年だった。

8年後に、弟がフランスに家族とともに駐在することになった。 
その機会にと、弟が親父にフランスに来るようにと誘ってくれた。 兄と違い、親孝行な弟だ。

親父は大喜びだが、私と母はもうこりごりだったので、
憧れのパリへは親父一人で行ってもらうことにした。

弟にロンドンを始めいろんな処につれていってもらったようだ。 
これは、ロンドンからの絵葉書だ。


長年の望みである、ルーブル美術館で印象派の絵画をその目で見たので
もう満足したのだろう。 
日本に帰ってきてからは、ルーブル美術館のことは余り言わなくなった。

朱印帖も6冊残されていた。 



これからは、夫婦2人で仲良く旅行している様子が伺われ微笑ましい。

これらが、親父の遺品の全てだ。


親父のことを今更に思う。 
なぜ70歳をすぎても突如激しい荒れた言動をするのか? 
その理由は、殆どアルコールのせいだと思っていた。



しかし、私も老年になり、親父が荒れていた理由の1つは分かるようにおもう。
戦争体験や、自分の望みが叶えられなかったという鬱屈もあるだろうが、 
妻や子供たちが反目して自分が孤独であるという悲しみだ。 
思いを分かってくれる人は誰もいないという淋しさだ。   

よれよれぼろぼろになりながら、あなたは最後まで家族を守り抜きました。

親父よ、ありがとう。
 
 
 

2014年2月27日木曜日

散歩転じて映画鑑賞

 

気がくさくさするので気分転換のため散歩に出ようと思った。 
 
退職者の特権で、好きな時に外出できる。
昨年の今頃は、入試採点業務でヒーヒー言ってのを考えると何と楽ちんだと思う。

幸い午前中は晴れなので、外出の用意をする。 いつものスタイルだ。

自宅からの坂を下って、阪急六甲駅まで出る。



途中、空気の悪さに閉口する。 痰がからみ、変なせきが出始める。
PM2.5 のせいだ。 北京から神戸まで流れてきている。 迷惑な話だ。 
 
のどが弱いので、マスクなしで長時間歩くのは苦痛。 マスクは持ってきていない。

六甲アイランドの高層建築物もガスでくもっている。

 


六甲駅裏にある八幡神社で、家内安全をいのる。 
お賽銭 10円では、あまり効果はないだろうが。 

 

良い日差しで、ハトがパンくずを探している。  しかし空気が悪い。

散歩コースは、以前紹介したのと別の酒蔵散策コースにしようと思っていたが中止。

屋内ならのどにも良かろうと、西宮ガーデンズでの映画鑑賞に変更する。
ここらへんは、退職者の特権(こればっかり)です。
阪急電車にのり、西宮北口にでる。 駅南側が西宮ガーデンズ。


ここが西宮ガーデンズで、 「阪急西宮スタジアム」跡地における再開発でできた
大型ショッピングモールです。 2008年11月26日(水)に誕生した。 もう5歳。


内部は、こんな風になっている。 
映画館はTOHOシネマという複合映画館で5階にある。 



前々日に、上映時間が変更されているのを知らず、見そびれた 
「マイティ・ソー/ ダーク・ワールド」 をみることにする。



前作も見て面白かった記憶がある。 ストーリーは完全忘却。

宇宙のどこかにある、アスガルド国の英雄ソーが 地球を守るために戦う話。
中世の騎士のようなコスチュームで、舞台が宇宙船などの出てくるSF的設定で
私の好みである。 

 

アメコミの原画はこれ。 映画のコスチュームのほうが断然良い。


こんな原画もある。 でっかいヤギを駆り立て天空を駆けている。

映画は、地球人女性科学者との恋愛や、
アンソニー・ホプキンス演じるところの父王オーディンや、賢明な女王、
邪悪で悪賢い弟との王位継承をめぐる対立や交渉を描いており、
お約束事で話は進む。  


これが、最大の悪役である弟ロキで、 今回の悪役はこいつ。


スタートレックのスポックを陰険にしたような奴だ。 耳もとんがってる。


主役のクリス・ヘムズワースは、凄い筋肉マンで、その肉体を誇示して
大暴れする。 適役ですね。 ラッシュでのドライバーも良かったですが。

ストーリーはまあどうでもよく、戦闘シーンや特撮のシーンが面白い。 
斧が地球から異次元を通ってソーのところに戻ってきたり、
悪役と必死の戦いをするシーンが面白い。  



前回は、パワーの源である「箱」が争奪のもとであったが、
今回は液体のエーテルであった。 
真空中での存在が否定されたあのエーテルでなく、こちらから来ている。 



映画の最後にはどんでん返し(ありえない!)があり、楽しめる。
さらには、おまけもある。

時間帯が、お昼だったので観客は10名以内だった。 
一人私と同年配の老人がいたが、3つ先の座席で途中いびきをかいて寝ていた。
おもしろいのにね~。



とにかく、お勧めの娯楽SF映画だとおもう。

満足して、映画館を出て一階にある阪急デイリーマート魚売り場を見に行く。


ここには、境港から直送の魚が入ってくる。 


安くて新鮮なので、時々アブラメやガシラ、キハタを買う。

珍しい魚が入っていた。 ミシマオコゼだ。



今日は買わずに、蓬莱の豚まん4個を買う。 夕食の一部だ。 

自宅に帰ると4時になっていた。 
遅い昼寝をしてから、Book 1st で買ってきた

「宇宙はなぜこのような宇宙なのか 
 
   人間原理と宇宙論」        青木薫 著 講談社現代新書



を読みふける。 
人間原理は、気になっていたテーマだったのでドンピシャでした。
本書は、読みやすいし、難しいことをわかりやすく説明してある。
良書です。

本には、強い人間原理 も 観測選択原理 と見なせると書いてある。
理由は、宇宙は メガバース だからだそうだ。 
説明不足で申し訳ないが、その結論には、色々と感じるところがある。 
もう少し丁寧によんで、感想を機会があれば別の日に書いてみたい。

今日は(も)、1日遊んでしまったので、明日こそは論文の原稿書きに
邁進しようと決心する。 実行できるかどうかは、わからんが、、、。






2014年2月26日水曜日

論文のレビューは大変

 


没にしていた数学ネタ投稿で、本人も面白くないのであるが記録用にアップする。
タイトルを レフェリー失格 と直したほうがピッタリだ。

********

以前に 論文のレフェリーを2件引き受けた。 1つは、SIAM J. Control  という一流誌で、
もう一つもそれなりのジャーナルであった。 

レフェリーレポートを書くのは、2本とも大変だった。
SIAM の論文のほうは、道具立てはすごくて相当の結果を出したように書いてあるが、
1週間かけて精読すると、こけおどしの結果で証明も怪しい事がわかる。 

さらに1週間かけて詳細な報告を書き、怪しい箇所と自己撞着を起こしているところを列挙した。
それを、Reviewer 用のホームぺージ上にアップした。

最近のレフェリーは、皆この形式になってしまい、古い人間としてはやり難い事だ。
いずれにせよ、その論文はRejectになったようだ。

もう一つは、 結構苦労して読んだのだが良い結果だと思ったので、 
2,3の改良点を述べて Minor Revision と判定した。 
しばらくして、編集者 から、もう1人のレフェリーが厳しかったらしく
Major Revision の報告が来た。 それからは、修正原稿の送付がない。
著者が取り下げたのだろうか? 良い内容だったの惜しい気がする。

これでやれやれと思っていたが、1週間ほど前に某有名教授から、
制御関連の論文の査読の打診があった。 
彼は、超一流の数学 Journal の編集者をしており、その雑誌への投稿論文らしい。 
お門違いの論文であるが、なにやら一見凄そうである。

自分の方の Adjoint Theory の計算が行きづまっていたので、
気分を変えるためにこの論文を読み始めた。 

古典的な変分法の問題を例にとり、そこでは扱われていない重要な場合を
解析するのがその論文の目的。 
そのために、最適制御理論を Impulsive な系で展開すると言う主旨だった。

立派な(私には真似できない)英語で書かれており、
また結果も最大値原理の拡張として意味あるように思えた。

しかし、ちゃんと読むと道具立てが複雑であり、かつ一般的なので証明自体が良くわからない。
というより、証明を別の文献に丸投げしているので確認できない。

しかも 著者は Impulsive な系をそうでない既知の系に帰着できるから
目的の理論展開も可能といっている。 
 
それでは、本質的になにも証明したことにならぬ

あとは、具体例への適用が可能といってるが、色んな付帯条件を付けている。
それでは、重要な場合を解決したことにならぬ

なんだかだまされたような気になった。
これ以上詳しくよむのは、苦痛だったので査読締切はずっと先だったが 
Reject の Short Report を書いてすぐに送った。

大して役に立たなかっただろけど、この種の論文が沢山送られてくるので、
有名雑誌の編集者は大変だなと思ったことだ。
彼は、非常に立派な研究者で、
こんな雑務に時間を割かれるのはたまらぬだろうなと同情しきり。

脇道にそれたが、何が言いたかったかというと、
Review というのは、割りにあわない時間ばかり食う仕事だなということだ。
そういう意味では老人仕事だが、最近の論文をみているとなかなか大変だ。

大きな道具立て難解な理論誤った推論

というパターンが最近の投稿論文には多くなってきた気がする。
現役最後のときに レビューした2編もそうだった。 
一流雑誌への論文発表競争が激化している証拠なのだろうが、憂うべきことだ。

この種の論文は、読んで理解するのが大変なのです。
一見凄そうな論文だと、私のような弱小研究者は恐れ入ってしまうのである。
大理論を当たり前のように振りかざしてくるので、
対手(レフェリー)としては圧倒されて気分的に平伏してしまう。
仰せごもっともとなり、詳細が理解できないものだから判断が甘くなる。 
そして Accept 報告などを書いてしまうのである。  反省。

そこを踏ん張って、証明の詳細にまで踏み込まないと正しいレポートは書けない。
論文を書くのと同じ位のエネルギーのいる場合が多々ある。 
参照文献に当たって、該当箇所の正当性をチェックする。 
文献を探し出す事からして困難になっている老人には、過大な負担である。 
それが出来かねるので中途半端なレポートになったりする。 反省。

やっぱり、退職もしたことだし以前決めたように断ろうと再度決心する。
で、今日のメールをチェックすると知らない Journal から査読依頼がきている。
嗚呼。



ソチ五輪閉会

母親が楽しんで夜遅くまで見ていた、ソチ五輪が23日の夜閉会した。
閉会式は、翌朝の1時から4時ころまで見ていたそうだ。


式では巨大なホッキョクグマのマスコットが登場して聖火を吹き消すと、
競技場の外にある聖火台の火が消えるという演出が行われた。


私は、朝のニュースでしか見ていないが、母親に言わすと
臨場感があり結構見どころがあったということだ。




 


開会式で五輪マークが「四輪」となったハプニングを逆手にとり、
人文字で作る五輪の一つを遅れて完成させる粋という演出もあった。 

ロシアの絵画の世界を人で表現したりして、開会式より楽しめたそうだ。

いずれにせよ母親が楽しめたのは、良かった。

定時の朝7時より少しおそく(寝坊して)母親の家にいく。 
母親の五輪感想を聞くと、
応援していた真央ちゃんのフィギュア女子でメダルを取れなかったのを
彼女のために残念に思っていたようだ。

”真央は大事なとこでこけよる”という元総理と同じ感想を最初は持ったそうだ。

しかし、フリーで会心の演技ができたのでそれで満足できるという。
何か当事者のような感想だが、翌朝朝のニュースで真央ちゃんの涙を見て
私も納得したような気になった。


エキシビジョンでの彼女や羽生選手の演技を見て十分楽しめたという。

エキシビジョンの動画 

動画は、あまり見やすくないようです。 選び方が悪くすみません。

母親の観察日記になってしまったが、無事に五輪が終わってよかった。


閉会式には、真央ちゃんは出ていた。
ほんとに立派に立ち直ったなと思います。

それに引きかえ、私の精神状態は底を打ちなかなか這い上がれない。

頑張った積りだが、計算の結果は最終的結論にいたらず。 
結果、 SEOUL ICM 2014 の出席を見送ることにする。
何を目標にして、この数か月を生きるのか? 
グータラ読書生活しかしていないくせに、落ち込んでしまう私であった。


寒いので、ネコ状態になっている。
こんなに可愛くないネコジジイだが、ベッドに寝転がり本ばかり読んでいる。