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2014年7月30日水曜日

「破門」で直木賞--黒川博行

 

がらの悪い大阪弁を喋る悪党2人組が主役の小説といえば、黒川博行の「疫病神」である。
彼は、私と同い年の年金生活者であり、元高校の美術教師であった。 断言するが、年金額は多くはない。 今回同じコンビが活躍する小説「破門」で直木賞を獲った。 なんで、今ごろ? という感じの受賞でしたね。 本人もそう思ったみたいだ。

破門」が候補になったのは、まさに青天の霹靂だった。

あまり売れ筋の作家でないだけに、これからは知名度も上がり本も良く売れるようになるだろう。慶賀すべきことである。 この本です。


第151回直木賞受賞記念サイン会というのが、行われるそうだ。

●8/2(土)17:00より
紀伊國屋書店 新宿本店
電話:03(3354)5702
http://www.kinokuniya.co.jp/
●8/3(日)14:00より
三省堂書店 神保町本店
電話:03(3233)3312
http://www.books-sanseido.co.jp/
●8/10(日)14:00より
紀伊國屋書店 梅田本店
電話:06(6372)5821
http://www.kinokuniya.co.jp/

梅田の紀伊国屋にも来るのだね。この日は行けそうもない。残念。

Wikipedia の作家情報によると、

受賞記者会見時(7月17日)


黒川 博行
(くろかわ ひろゆき)
誕生1949年3月4日(65歳)
日本の旗 日本・愛媛県
職業小説家、推理作家
最終学歴京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業
活動期間1984年 -
ジャンルミステリ、警察小説、ノワール
主な受賞歴サントリーミステリー大賞(1986年)
日本推理作家協会賞(1996年)
直木三十五賞(2014年)
処女作『二度のお別れ』(1984年)
配偶者黒川雅子

黒川 博行(くろかわ ひろゆき、1949年3月4日 - )

日本の小説家・推理作家。愛媛県今治市生まれ。大阪府羽曳野市在住(2014年現在)。京都市立芸術大学美術学部彫刻科卒業。妻は日本画家の黒川雅子。
大学卒業後、スーパー社員、大阪府立高校の美術教師を経て、1983年、『二度のお別れ』で第1回サントリーミステリー大賞佳作に選ばれる。1984年、同作で小説家デビュー。
2014年、6回目のノミネートで第151回直木三十五賞を受賞。


 
この作家は、好きでよく読んでいた。第4回サントリーミステリー大賞 を受賞した 『キャッツアイころがった』が出たころだから、1986年ころからだ。 テンポとノリの良い作品が多く、娯楽小説としては実に楽しめるのだ。 現役時代は、文庫だが新刊で買って読んでいたのである。定年退職後はそうもいかず、古本屋で見つけるたびに買って読んでいたのだ。 もっともこの作家は、100円本のコーナーには原則ない。著者別のコーナーにあるので、値段はそれ程安くはない。

それで、受賞歴・候補歴を調べると、このようになっていた。 候補歴ばかりである。今回の直木賞を除けば、2件のみでしかも20年近く前。

文学賞受賞・候補歴

赤太字が受賞したもの
  • 1983年 - 『二度のお別れ』で第1回サントリーミステリー大賞佳作
  • 1984年 - 『雨に殺せば』で第2回サントリーミステリー大賞佳作
  • 1986年 - 『キャッツアイころがった』で第4回サントリーミステリー大賞受賞
  • 1988年 - 「河豚の記憶」で第41回日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)候補
  • 1992年 - 『封印』で第14回吉川英治文学新人賞候補
  • 1996年 - 「カウント・プラン」で第49回日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)受賞
  • 1996年 - 『カウント・プラン』で第116回直木三十五賞候補
  • 1997年 - 『疫病神』で第19回吉川英治文学新人賞候補、第117回直木三十五賞候補
  • 1999年 - 『文福茶釜』で第121回直木三十五賞候補
  • 2001年 - 『国境』で第126回直木三十五賞候補
  • 2007年 - 『悪果』で第138回直木三十五賞候補
  • 2014年 - 『破門』で第151回直木三十五賞受賞

そりゃ~ 青天の霹靂 ですわな。

それより、黒川博行はこちらの冤罪事件でよく知られている。

2011年11月10日、20回にわたる週刊現代の連載記事でグリコ・森永事件の真犯人として扱われたとして、名誉毀損とプライバシー侵害を理由に、出版元の講談社と週刊現代編集長、および筆者のジャーナリスト岩瀬達哉に損害賠償などを求め、東京地裁に提訴した。

結果、こうなりました。

2013年8月30日、東京地裁は講談社と当時の編集長、および執筆者の岩瀬達哉に、計583万円の支払いを命じた。

この連載記事を書いた記者は、この方です。 問題の多い方ですね。 岩瀬達哉 



思わぬところにそれてしまった。

黒川は、教師をやめて専業作家になったものの、プレッシャーでかえって執筆量が減って、収入が激減。 よめはんに食わしてもらいながら、作家活動を継続する。 1995年辺りから、月刊誌の連載を持ち、世間並の年収を得られるようになったそうだ。 その苦労が偲ばれる。 

もっとも、こんなエッセイも出版してるがね。

大阪ばかぼんど ハードボイルド作家のぐうたら日記(2008年3月 幻冬舎 / 2011年4月 幻冬舎文庫)
 
それで、私がどれだけ読んだかを確認してみた。青太字で示した。 結構沢山読んでいた。


小説

大阪府警シリーズ

  • 二度のお別れ(1984年9月 文藝春秋 / 1987年6月 文春文庫 / 2003年9月 創元推理文庫)
  • 雨に殺せば(1985年6月 文藝春秋 / 1988年5月 文春文庫 / 2003年11月 創元推理文庫)
  • 海の稜線(1987年4月 講談社 / 1990年7月 講談社文庫 / 2004年3月 創元推理文庫)
  • 八号古墳に消えて(1988年9月 文藝春秋 / 2004年1月 創元推理文庫)
  • 切断(1989年2月 新潮社 / 1994年7月 新潮文庫 / 2004年11月 創元推理文庫)
  • ドアの向こうに(1989年5月 講談社 / 1993年1月 講談社文庫 / 2004年7月 創元推理文庫)
  • 絵が殺した(1990年6月 徳間書店 / 1994年3月 徳間文庫 / 2004年9月 創元推理文庫)
  • アニーの冷たい朝(1990年11月 講談社 / 1993年10月 講談社文庫 / 2005年1月 創元推理文庫)
  • てとろどときしん 大阪府警・捜査一課事件報告書(1991年10月 講談社 / 2003年6月 講談社文庫)

疫病神シリーズ

  • 疫病神(1997年3月 新潮社 / 2000年1月 新潮文庫)
  • 国境(2001年11月 講談社 / 2003年10月 講談社文庫)
  • 暗礁(2005年10月 幻冬舎 / 2007年10月 幻冬舎文庫【上・下】)
  • 螻蛄(2009年7月 新潮社 / 2012年1月 新潮文庫)
  • 破門(2014年2月 角川書店)

堀内・伊達シリーズ

  • 悪果(2007年9月 角川書店 / 2010年9月 角川文庫)
  • 繚乱(2012年11月 毎日新聞社)

その他

  • 暗闇のセレナーデ(1985年8月 徳間書店 / 1988年11月 徳間文庫 / 2006年3月 創元推理文庫)
  • キャッツアイころがった(1986年8月 文藝春秋 / 1989年9月 文春文庫 / 2005年6月 創元推理文庫)
  • 大博打(1991年12月 日本経済新聞社 / 1998年3月 新潮文庫)
  • 封印(1992年12月 文藝春秋 / 1996年8月 文春文庫)
  • 迅雷(1995年5月 双葉社 / 1998年5月 双葉文庫 / 2005年5月 文春文庫)
  • カウント・プラン(1996年11月 文藝春秋 / 2000年4月 文春文庫)
  • 麻雀放蕩記(1997年6月 双葉社 / 2000年6月 双葉文庫)
  • 燻り(1998年9月 講談社 / 2002年4月 講談社文庫)
  • 文福茶釜(1999年5月 / 2002年5月 文春文庫)
  • 左手首(2002年3月 新潮社 / 2005年1月 新潮文庫)
  • 蒼煌(2004年11月 文藝春秋 / 2007年11月 文春文庫)
  • 蜘蛛の糸(2008年6月 光文社 / 2011年2月 光文社文庫)
  • 煙霞(2009年1月 文藝春秋 / 2011年7月 文春文庫)
  • 落英(2012年3月 幻冬舎)
  • 離れ折紙(2013年8月 文藝春秋)

「国境」 は、悪党2人組、ヤクザの桑原と建設コンサルタントの二宮が北朝鮮にもぐりこむという話で、長編かつ意欲作でした。 お勧めの娯楽大作です。 また、「文福茶釜」のような美術がらみの詐欺小説も面白い。著者の薀蓄話を読むのが楽しい。

さて、このリストを見ると、現役ではあるがあんまり精力的に書いとらんな~と思える。
やはり、根はグータラ(私と同じ)なのであろう。 直木賞受賞後は、張り切って疫病神シリーズ詐欺小説をドンドン量産して欲しいものである。

と書いてしまったが、作者は私と同年なのだ。 身体のほうが、ガタが来始める年齢である。
無理しないで、グータラのまま書き続けて欲しいと願う今日この頃であった。

これで黒川博行紹介はおしまい。ごきげんよう。 
目の不調に続いて、指を切ってしまった。治るまで、暫く記事はお休みにする。


ちっちゃいおっさんの作者死去

 

悲しいニュースである。尼崎市の非公式キャラクターちっちゃいおっさんをの生みの親である池田進太郎さんが、出張先のフランス・パリで死去していたことがわかった。まだ若く、39歳だった。


着ぐるみは、これです。



私の出身は、がらの悪い尼崎である。 お蔭で、がらが悪く育ってしまったのだ。今更直しようがない。 尼崎出身の私は、このゆるキャラにはそれなりの思い入れがあったのである。 こいつは、天才バカボンのパパの真似みたいなキャラではあるが、いつも酔いたんぽで、大言壮語する親父のようだったのである。 愛憎半ばするというやつですな。
ちっちゃいおっさんの公式サイト から、こいつの人となりを箇条書きで説明する。

・ちっちゃいおっさんは虫さんやキレイなお花が大好きです。


・スーパーカーが近くを走る音やヘリコプターが近くを飛ぶ音、救急車や消防車がサイレンを鳴らしながら去りゆく姿にもときめきをかくしきれません。


・少年のココロを持ったおっさんはロクに仕事もしないくせに、自分のことは棚にあげて、徳を重んじ、礼儀作法にうるさく、お説教するのが大好きです。


 ・自分に甘く、他人にきびしい、それこそ、態度はデカいが人間はめっちゃちっちゃい。


・おっさんは、自称「投資家」と言いながら、実はお馬さん(競馬)やお船(競艇)、自転車(競輪)といったギャンブルになけなしの給料を飲まれているだけの日々を送っている。


こいつとふなっしーとの共演漫才動画をアップする。ただし、音声は聞こえない!


正しくこいつは、親父を彷彿とさせるのである。  父の遺品 

心臓発作による心不全のため亡くなられた ちっちゃいおっさんの作者の池田進太郎さんは、この方です。 有限会社アップライト(東京・渋谷区)の代表取締役社長でした。 広告宣伝の会社ですね。電通みたいな営業をしていたわけで、ちっちゃいおっさんの中身でもあった訳です。 
お若くて、なかなかのイケメンですね。惜しいことです。





報道記事を引用する。

池田さんはフランスで開催された「ジャパン・エキスポ」に出演するため渡仏、パリに滞在していたが、7月1日に倒れ、そのまま息を引き取ったという。ちっちゃいおっさんは今回が初めての海外進出だった。

キャラ自体は、今後も活躍するということだ。 この悲しみを乗り越えて欲しいものだ。 


合掌

串本海中公園見学

 


今回の記事も、紀伊半島山越え一周旅行の番外編である。 
                 エビとカニ水族館 紀伊半島山越え一周旅行 2014.7.5-6 I
紀伊半島を一泊旅行した際の、串本海中公園の見学記を書く。 

予定していながら、書く意欲欠乏のため、3週間もうっちゃっていたのだ。しかしながら、早めに記事にしておかないと、健忘症ゆえ細部を忘れてしまうのを危惧して、今日書き始めたのだ。
それに、資料や写真をゲットしているので、没にしたくないといういじましい心情も働いている。
遊びとは言え、厄介なことである。 

ここは、串本 向かいは大島 である。 

水族館の建物の壁に、でかでかと 串本海中公園 と書かれてあるのだ。


 
これが入り口である。 


 
新しい水族館であり、その分入場料も高めに設定してある。1800円である。
 
 
まづ、Wikipedia からの公園情報である。
 
串本海中公園
Kushimotokaichukoen.jpg
施設情報
専門分野海域公園
管理運営株式会社串本海中公園センター
開館1971年
所在地649-3514和歌山県東牟婁郡串本町有田1157番地
位置北緯33度28分51.1秒
東経135度44分41.9秒
串本海中公園(くしもとかいちゅうこうえん)

和歌山県東牟婁郡串本町有田1157番地にある海域公園(旧称:海中公園)で、吉野熊野国立公園内に位置する。株式会社串本海中公園センターが管理運営している。

だから、民営の海域公園なのである。 1970年7月に日本で最初の海中公園として指定された区域でもある。 約30年位前に行ったったときは、そのような事を聞いたような覚えがある。水族館は
平成19年6月15日にリニューワルされたようである。

 入館記念のフォトカードプレゼントというのをやっていた。 入り口で写真を撮って頂いた。
 


入場料は、何回か入る度ごとに割引率があがり、6回目でタダになるのだ。
しかし、誰が6回も行くであろうか? カードの被写体は、個人情報の保護のため、顔を隠す。
これが串本海中公園のパンフ。
 
 
キャッチコピーは、 黒潮からの 贈り物。


パンフの裏面は、これである。ごちゃごちゃして分かりにくいが、公園全体の説明をしている。

・水族館
・海中展望塔
・海中観光船「ステラマリス」
・海中公園レストラン
・錆浦海中公園研究所
・串本ダイビングパーク

などの施設がある。 

水族館 の一番の売りは、水中トンネル式大水槽 である。 日本で2番目に作られたそうだ。


 
水中トンネル式大水槽 - 長さ24.0m、幅2.5m、足元まで透明のアクリル製チューブ式水中トンネル は1988年、日本で2番目に造られたものである。トンネルが通る水量1250tの大水槽には、串本町近海に泳ぐサメやエイ等が飼育されている。

パンフはこれである。 水槽はでかい。 24mだからさもありなんである。


裏面にスタッフのお仕事が説明されている。



という事だが、トンネル式大水槽 は、あちこちで見ているのでそれ程感心はしない。

つぎは、串本の海 大水槽 - 串本の海中景観を再現した水槽 である。



チョウチョウウオ、マツカサダイ、ニザダイ、クマノミその他の魚が一緒の水槽で泳いでいる。
色鮮やかな魚が多いのが、串本の海の特徴でもある。 熱帯性の魚が多い訳だね。





 



 
動いている魚を、まあまあうまく写せたのである。


トピックス水槽では、特徴のある海生生物の展示がある。 ウニやイソギンチャクなど。

 


また、金目ダイ、ギギ、エイ、クエ、ハナミノカサゴなども水槽に展示されている。







一寸面白かったのは、Dr. シュリンプ である。 水槽に手をいれると、イソスジエビが
垢とりをしてくれるのである。 Dr. フィシュ のエビ版である。 微妙にくすぐったいのだ。


海のハーモニーというのは、串本の海の魚の写真展ですな。この様な感じです。




串本の海には、産卵のため色んな種類のウミガメがやってくる。 

アオウミガメ、アカウミガメ、オサガメ、ヒメウミガメ、タイマイ の5種です。




ウミガメ水槽はこれである。


世界初となるアカウミガメの人工繁殖成功により繁殖賞を受賞 したそうです。

こちらは、人口ふ化したアカウミガメの子供です。
 

これは、海中展望塔です。
 

 
1971年開業。串本町の沖140m、水深6.3mの海を鑑賞するための施設。
栄螺堂のように二重螺旋階段構造になっており、出口と入り口の階段がある。
紺碧の海を泳ぐ熱帯・亜熱帯の魚や珊瑚をガラス越しに観ることができる。
海中の魚は餌付けされており、ほぼ常に魚の姿を見ることができる。 
 
このようなガラス窓から、海中の魚を観察するわけだ。
 
 
色鮮やかな熱帯魚も見えたが、数少ない。 沢山いたのは、このメジナであった。



展望塔から、餌をまくとこのように群がってきた。 海の魚も餌付けできるのだね。

 
あと、海中観光船「ステラマリス」、 海中公園レストラン、 串本ダイビングパーク
は、全てパスしたのでここでは説明しない。 熱意に欠けた記事でした。

ということで、串本海中公園の記事はこれでおしまい。 ごきげんよう。
 

 











2014年7月27日日曜日

潮芦屋温泉 スパ水春リターンズ

 

温泉好きが嵩じてのSuper Sento シリーズも、結構回を重ねているのだ。 

淡路島うずしお温泉とゆるキャラ  風呂(垂水 太平のゆ)とラ―メン    西宮の夜、 えびすの湯 
神戸ハーバーランドの夜、万葉の湯    潮芦屋温泉 スパ水春 
須磨の夜、 白川温泉 鹿之子温泉からとの湯 有馬街道温泉 スズランの湯
番外: テルマエ・ロマエ II の鑑賞


それで、今回は私と息子は行ったが、ワイフは行って行ってないというので顰蹙を買った、 
芦屋浜にある 潮芦屋温泉 スパ水春 を再度紹介する。 お勧めの Super Sento だという事で、今度は3人で行ったのである。

風呂自体は、前回詳しく紹介したが、今回は新たにパンプと写真を交えながら、再度紹介する。

パンフは、これである。


前回紹介し忘れたが、 キャッチコピーは大袈裟ではあるが、

自然の恵みがもたらす
極上の癒しをお楽しみください。

である。 休日であったが、夜9時プランというのがあって300円割引で1100円になるとパンフにも
ホームページにも書いてあったので、夜9時に入店した。 料金は後払いであり、館内での飲食等全て電子清算であった。 

9時少し前に水春に到着。

水春の入り口を前回と違った角度から写してみたのだ。

 
駐車場は、このように一杯であった。やはり、芦屋近郊では、人気のSuper Sento らしい。
 

受付で入浴の手続きを済ませて、中に入る。 前回よりも客が多いでないか。


このように中央にピアノが置かれており、成尾亜矢子 さんのピアノコンサートが、ここで随時行われるそうである。風呂屋でピアノ鑑賞ができるなんてびっくりである。 

 
亀さんを足で踏んづけてから3階の男風呂に入る。
前回と同じく、頭よ身体を念入りに洗ってから各種湯船にはいる。

 
ミルキーバス、 寝湯、 壺湯、 回遊風呂、 電気風呂、 座マッサージ、
冷水風呂、 漢方薬草潮サウナ、 遠赤外線タワーサウナ
 全て、前回と同じように楽しんだが、電気風呂 では、電流が時間的に変化するとともに、
パルス電流を流しているのを発見する。 芸が細かいのである。



また、遠赤外線タワーサウナ は、この日満席であった。
大団扇で水蒸気を循環させる「ロウリュウ」サービスをやっていた訳だが、係の職員(学生アルバイトか?)は満員に感激して、力をこめて


そ~よ そよ、 そ~よ そよ 

 
の大熱唱であった。 お客も一緒になっての合唱で盛り上がっていたのだ。 
職員の方、ご苦労様でした。

さて、この水春は、外国人による Super Sento ページ  I LOVE ゆ  には見当たらなかったのだ。
水春は新しいので、このページの主催者は、まだ取材に来ていないのものと思える。

それで、入浴後暫くすると、 30才半ばくらいの外国人(米人か英国人)が入ってきた。 とてもデカい〇〇〇〇の持ち主であった。 自然な形でそれを隠しているのである。 また、お湯の入り方がさりげなく、しかも堂に入ったものである。 Super Sento の達人である。 ひょっとして、このページの著者かもしれぬと勝手に想像してしまう私であった。

風呂には韓国人の子供も来ていたし、最近の Super Sento は、まさに International になってきているのだ。 そのように再認識する私であった。


かくして、身も心も美しくなって風呂から上がり、遅い目の夕食を館内の水春亭でとる。 

 
 
我々は、 ヘルシー定食 ハンバーク定食 おやこ丼セット の三品を注文する。
私は、体重超過ゆえ、カロリーの少ない ヘルシー定食 であった。ビール付だがね。
値段は、1400円でちと高い。料理写真は、この時はカメラは所持できずゲットできなかったのだ。
残念である。
 
前回紹介しなかった、リクライナーも結構な設備である。
 


リクライナーに寝転がりながら、TVを見たり漫画を読んだりできるのだ。
 
特別料金を支払えば、5種類の岩盤浴にも入ることができる。 我々は、年金生活者である故、
ここには入れなかったが、今度あぶく銭が入れば入ってみたいと思うのであった。
 
いずれにせよ、ワイフがリベンジを果たすことが出来たので、良かった良かったという次第である。
 
しかしながらである、料金を支払ったのちレシートを見ると入浴料が1400円(税抜き)となっている。 これはおかしい、夜9時以降入浴だから1100円のはずだと思ったのだが、割引の効かない日であったようだ。 私達のような間違いを犯さないように、割引可能かどうかを受け付けで必ずチェックするようにと、老婆心ながらお伝えする次第である。

追記:私のミスであった。夜9時プランでは、入館時に申告せねばならない。それと、館内着がつかないので、リクライナーは利用できないのであった。私は、きっちり館内着を利用していた。すまぬ。) 
 
これで、おしまい。 ごきげんよう。