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2014年12月12日金曜日

カンボジア旅行記 III


1月5日


カンボジア観光の最終日であるが、この日は、一層盛り沢山のスケジュールである。 

早朝: 夜明けを迎えるアンコール・ワット

午前: アンコール・トム観光 (バイヨン寺院バブーオン象のテラスライ王のテラス
     東南アジア最大の湖であるトンレサップ観光  

午後: ガジュマルの根が建物に覆いかぶさっている「タ・プロム
     王の沐浴場であった「スラ・スラン
     千体仏石柱の発見された「バンテアイ・クディ

この日1日でなんと、214枚も写真を撮っている。勿論全部アップできないし、その積りもないが忘備録も兼ねているので、主要なものはアップする予定。

早朝から始めよう。 

その前に、アンコール・ワットの簡単な説明 (by Wikipedia)。 

カンボジアにあるアンコール遺跡の一つで、遺跡群を代表する寺院建築
サンスクリット語でアンコールは王都、クメール語でワットは寺院を意味する。
12世紀前半、アンコール王朝スーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教寺院として30年を超える歳月を費やし建立された。

位置情報は、これ。

所在地
アンコール・ワットの位置(カンボジア内)
アンコール・ワット
アンコール・ワット
アンコール・ワット (カンボジア)
座標北緯13度24分45秒
東経103度52分0秒
宗教ヒンドゥー教
カンボジア
シェムリアップ州
シェムリアップ


夜明けを迎えるアンコール・ワット というのは、観光の目玉になっているのである。

それで、見逃してはならぬと、眠たいのを我慢して出かけたのである。朝の6時。ガイドさんがホテルまで迎えに来てくれた。この日のガイドは、初日ガイドしてくれた年配の方であった。 

ホテルからアンコール・ワットまでは、車で20分位である。6時半ころ西門に到着。

ここには、日の出を写そうと沢山の観光客が待ち構えていた。



日の出を時系列で見ていこう。遠くにアンコール・ワットの尖塔がみえる。





 

 
 
幻想的な感じがしないでもないが、特にすごいということはないのである。
寺院の近くで撮ると、このようである。本殿前の池に写る姿は、美しい。


夜明けを迎えるアンコール・ワット見物をおえて、朝食を食べにホテルに帰る道すがら。


原動機つきのリキシャがかなりの台数走っていたのである。

ホテルでの朝食風景。肖像権の保護に配慮しています。


食事をおえてから、アンコール・トム見物に出発。

アンコール・トム

 アンコール遺跡の1つでアンコール・ワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により建設されたといわれている。周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されている。
アンコールは、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉。またトムは、クメール語で「大きい」という意味。

アンコール・トム =大都市 ということです。

アンコール・トムは一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれている。外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっている。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。

その大都市への南入り口です。 観光客を背にのせるゾウさんである。


橋の向こうに見えているのが南大門。


これが南大門である。観世音菩薩の顔は、四面ある。


 門に至る橋の欄干にあるナーガ像と


それを引っ張る阿修羅と神々の石像。


向かい側の欄干は、このようになっている。一部崩れてしまっているのである。


南大門を真下から写すと、このようになる。かなり風化が進んでいる。
 
下部には、象の彫刻がなされている。アップしてみる。教えてもらわないと全くわからない。
 
 
アンコール・トム随一の見どころは、バイヨン寺院である。四方に観音菩薩の顔が刻まれた54基の塔をもつ。 

バイヨン (Bayon) 寺院

カンボジアのアンコール遺跡を形成するヒンドゥー・仏教混交の寺院跡。
アンコール・トムの中央付近にある。は「美しい」という意味で、ヨンは「塔」の意味を持つ。


全体図

この寺院である。


寺院内の塔や彫刻、レリーフを見ていこう。

これは、寝釈迦だろうね。だから、仏教のお寺でもあったわけだ。

 
第二廻廊(外側)にある、クメール軍とチャンパとの戦争の様子を描いた壁画(レリーフ)。


 
 

林立する四面観音像。
 
 
 
 
第一廻廊(内側)は、このようになっている。
 

これは、第一廻廊のレリーフ。市民の生活を描いているらしい。


第一廻廊内の風景。 世界中から観光客が来ている。




そして、ハイライトの4面観音像の連続撮影。

 
 
 
余計な爺さんは、無視すること。
 
 
かって、ブログの写真に使った画像です。
 
 

 
つぎは、バプーオンである。 

Wikipedia によると、こう説明されている。


バプーオン

カンボジアのアンコール遺跡にある寺院の1つ。アンコール・トムにあるバイヨンの北西に位置する。11世紀中頃、ヒンドゥー教の神シヴァに捧げられ、ウダヤーディチャヴァルマン2世 の国家的寺院として築かれた3層からなるピラミッド型寺院である。



バプーオン寺院平面図
 
 
遠くから写した写真がこれ。全貌が見て取れる。
 
 
 
近づくと、このようにかなり崩壊しているのが見て取れる。
 

寺院内の敷地である。崩れた石榑がそのままになっている。

 
 
当然、中央にある高い建造物まで登っていくのである。高いところには、必ず登らねばならぬという宿命が私には刻み込まれている。
 
 
このような階段を登っていくのである。


 
 
 
三層目にある頂上の建築物がこれ。
 
 
三層目の廻廊である。頂上には、登れないことになっている。残念がっている私。
かって、転落した観光客がいたそうである。
 
 
その廻廊からの地上を眺める。
 
 
バプーオン周辺の景色。
 

 


バプーオンを下から眺めた写真。

 
 
石畳の道を歩いて、象のテラスへむかう。
 

石畳の側面は、芝生が植えられており、ここら一帯が象のテラス



象のテラスの象徴である象の石像。


 その隣がライ王のテラスである。 
 
12世紀末にジャヤーヴァルマン7世のもと、バイヨン様式で築かれたもので、一辺が約25メートル、高さは約6メートルであり、南東側の部分には二重となった壁面が示されている。
 
 
 
現在の名称は、その場所で発見された15世紀の彫像に由来する。
片足を立てた彫像はヒンドゥーの死の神であるヤマ(閻魔)を表現している。
その塑像が「ライ王」と称されたのは、変色および苔が増すにつれて、ハンセン病にかかった人を連想させ、また同様に、ハンセン病を患ったアンコールの王ヤショヴァルマン1世
あるカンボジア伝説に当てはまったことによる。
 
レプリカは、これです。
 
 
ということで、本来はライ病と何の関係もなかったんだね。そんな事とはつゆ知らず、ライ王を悼んでお祈りをあげる私たちであった。
 
 
 
ライ王のテラスと言えば、三島由紀夫の戯曲にもそんな題名の作品があったなと誰しも思う。
 
癩王とは、アンコール・トムを造営しバイヨン寺院を建設してゆく、偉大なるクメール王・ジャヤーヴァルマン7世がだったのだ。 全く記憶にありませんでした。 Wikipedia から引用。
 
 
癩王のテラス』(らいおうのてらす)
 
三島由紀夫の最後の戯曲。全3幕から成る。三島文学の主題が色濃い最後の演目として重要な作品である。
病魔に冒されたカンボジアの王・ジャヤーヴァルマン7世が、アンコール・トムを造営しバイヨン寺院を建設してゆく愛と夢の雄大なロマンを、月の王朝の衰亡を背景に描いた物語。
王の肉体が崩れ去っていくにしたがって、威容な観世音菩薩が完成していく様を、王の精神と肉体との対比で壮大華麗に表現している。
 
ジャヤ・ヴァルマン七世王、輝くばかりの栄光に包まれた若若しき王は、
己の肉体が腐り果て病み衰えていく業病に捕らえられながらも、
永遠不朽たる神への捧物、そして己自身への供物としての
バイヨン寺院の建設に執念を燃やす。
そして王を愛するがゆえに、王から離れ、王を殺そうとし、王に貞節を尽くす
三人の女、第一王妃、第二王妃、王太后。・・・・・・
 
 
 
コピペする価値があると思うので、三島由紀夫の作品解題を引用する。
 
 
肉体の崩壊と共に、大伽藍が完成してゆくといふ、そのおそろしい対照が、あたかも自分の全存在を芸術作品に移譲して滅びてゆく芸術家の人生の比喩のやうに思はれたのである。
 
生がすべて滅び、バイヨンのやうな無上の奇怪な芸術作品が、圧倒的な太陽の下に、静寂をきはめて存続してゐるアンコール・トムを訪れたとき、人は芸術作品といふものの、或る超人的な永生のいやらしさを思はずにはゐられない。
 
壮麗であり又不気味であり、きはめて崇高であるが、同時に、
嘔吐を催されるやうなものがそこにあつた。
 
 
いかにも 三島由紀夫の文章ですね。私には、到底むりですが、こんな文章を書いて、ビシッと決めてみたいものだ。
 
脱線してしまった。 アンコール・トム見学を終わってから、オプションのツアーでトンレサップ(湖)の観光に行くことにした。ここから車で40分位の距離である。
 
魚や水上生活者を見ることができるので、是非行ってみたい湖でした。 Wikipedia の記事による引用。
 
 
トンレサップ(Tonlé Sap)
 
カンボジアに位置する湖であり、河系と結びついている。東南アジア最大の湖であり、クメール語で巨大な淡水湖 (sap) と川 (tonlé) という意味がある。世界最大規模で水上生活者がくらし、1ブロック1万人、100ブロック以上100万人が住む。雨期には、乾季の8倍の大きさになるという。 
 

カンボジア国内におけるトンレサップとメコン川の位置関係
 
地理的にいうと、
 
トンレサップはインド亜大陸とアジア大陸の衝突によって引き起こされた地質学的な緊張による沈下のために形成された堰き止め湖である。 形状はひょうたん形である。
 


NASA撮影のトンレサップ。左上方向が北 
 
インドシナ半島の水がめという感じの湖だね。
 
途中、このような何もない畑や水田の広がる道を通って行くのであった。
 
 
ここが、トンレサップの観光ボートの船着き場である。 
 
 
 観光ボートの桟橋である。 チケットを購入する。値段高めで、四人US$250位であったと思う。
 
 
屋根の看板です。

艀に浮かんでいる、このようなボートに乗り込むわけである。 調べてみると、ここは人工の河川らしい。トンレサップに容易に入りこめるように、沼や河川を堰止めたらしい。

 
一艘貸切り状態であった。
 

川岸には、こんな古いタイプの遊覧船もつなげてある。


我々の乗ったボートは、向かいに見えるボートとほぼ同じタイプである。


以下船から写した観光写真である。 川を上流に上っていく。

川岸につなげてある船舶や


漁師の家。もしくは、民家かもしれん。


ここらは、浅瀬で投げ網をしている漁師がいた。


行き交う、観光ボート。


ここらで、湖に入り込む。

これは、水上生活者のための教会。勿論、水上に浮かぶ船です。

 
これは、よくわからんが、おそらくレストランでないか?


こちらは、雑貨店であろう。 アンコールビールなども売っている。電話で注文配達しますというところだろう。


これらは、水上生活者のお家。カンボジア人だけでなく、ベトナム人も湖上で生活をしている。余り豊かとは言えぬが、比較的清潔で浄水場を設置している船もある。




 
前に見えるのが、お土産屋さんである。ここに連れていかれるのは、宿命であった。 


この船である。3階建てになっている。船というより、水上マーケットである。



船内には、魚やワニの生簀がある。生簀の魚を料理して食べさせてくれるようだが、これを見るとそんな気にはならん。ナマズのようである。


ワニ園と称していたが、この小ぶりのワニである。やっぱり、料理して食べるんだと思う。


水槽には、このナマズが泳いでいた。結構でかくて、4, 50cmはある。
 
 
ここで、Wiki によるお勉強。ちょっと長いが引用する。

夏季のモンスーンの時期には湖からプノンペン付近でメコン川に流れ込むトンレサップ川が逆流する。そのため周囲の土地と森を水浸しにしながら面積は1万6000平方kmまで拡大して深度も9mに達する。
この面積拡大によって淡水魚には陸上植物起源の有機物が豊富に供給され、また多量のプランクトンが発生する、このような一時的水域で繁殖するものが多いため、魚が大量に発生する。体重100kgを上回るメコンオオナマズ やフグなど600種類以上の淡水魚が生息する。雨季の終わりには水が引き、繁殖を終えた魚は川下に移っていく。トンレサップ水系で採れる魚は、カンボジア人たんぱく質摂取量の60%を占める。


水槽には、このナマズが泳いでいた。結構でかくて、4, 50cmはある。
調べたが、メコンオオナマズ ではない。今のところ名称不明。
 


船内に張り出されていた、トンレサップ湖の地図。この湖が、ベトナム、タイ、ラオス、カンボジアの4国にまたがることが見て取れる。

  
 
 

船の3階に登り、向こうに見える岸に停泊している船の軍団をみると、1ブロック1万人というのが頷ける。湖および湖周辺で100万人以上生活していると言われているが、湖の広さから考えるともっともだと思える。


土産物屋の見物をすませて、ボートに戻る。 船からの岸辺の眺めである。
 


 
見えにくいが、ハンモックでお昼寝をしているのである。
 



帰路に出会ったのは、この船上建物。なんでしょうか?


そうです。小学校です。カンボジア語、ベトナム語、英語を教えているそうだ。


彼らに別れを告げて、もとの船着き場に戻った。 
 

川岸からの、水上家屋の写真です。
 

 



かくして、トンレサップ観光はおわり、ようやく午前の観光スケジュールが終了したのである。

シェムリアップ市内に戻り、レストランで遅い昼食を取った。デザートとして、色鮮やかなミントつきのアイスクリームをいただいたである。メインで何を食べたかは、忘れてしまった。

 



またもや長い記事になってしまった。 えらく時間がかかってしまった。 これはいかんと反省しつつ、今回はこれでおわる。

午後の観光分は、次回のカンボジア旅行記 IV にまわす。

 
 
 
 
 

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