またもや地元神戸の神社の記事である。昨日(19日)は、六甲八幡神社をお参りしたのち、足を延ばして大石の船寺神社へ向かった。この神社でも厄除祭が開かれており、それを見に行ったのである。
幟には、船寺八幡宮 とある。
そこで、Wikipediaによるお勉強である。 Wikiには、船寺通(ふなでらどおり)の記事はあるが、船寺神社の記事自体はない。しかし、関連記事では、このように記述されている。
船寺は明治元年の神仏分離令で廃寺となり、河原村の氏神だった八幡宮が船寺神社として独立した。
これでは、なんだかよくわからないので更に調べると、優れた解説ページを見つけた。
神戸・船寺神社
記事自体は2007年に書かれた記事で少し古いが、ちょっと引用させて頂く。
船寺神社の御祭神
八幡大神
(はちまんたいしん)
天照大御神
(あまてらすおおみかみ)
春日大神
(かすがたいしん)
歴史:
「有馬郡誌」によると、船寺神社はもともとは摂津国有馬郡の羽束郷にある大舟山の山上に創建された「船寺」という名の寺院の鎮守社として創祀された「八幡神社」にそのルーツがあるといわれ、のちに莵原郡の大石川の西に遷されたと伝えられています。
「船寺」という地名はそれに因んで付けられたもので、1469(文明元)年に編纂された「都賀荘寺庵帳」という文献にはこの地に舟寺という名前の寺院があった事が記されています。
ただ、船寺神社のある辺りは古来より「深淵」と呼ばれており、江戸時代中期の寛政年間(1789~1801年)頃に「船寺谷」と改称されています。
この船寺は、1868(明治元)年に出された神仏分離令の影響で1875(明治8)年に廃寺になり、鎮守社であり河原村の氏神として崇敬を集めていた八幡神社が「船寺神社」として独立存続したと伝えられています。
という説明です。それで、船寺八幡宮とよばれるのですね。
神社の鳥居です。1973(昭和48)年に再建されたそうである。 厄除大祭の看板がかかっている。御神灯の提灯も鳥居に架けられている。
出店はベビーカステラの店一軒だけでした。午後3時半ころだが、閑散としていた。
ここが社殿で、鉄筋コンクリート製です。見た目より立派です。かっての社殿は、1949(昭和20)年の神戸大空襲によって全焼したそうだ。 1966(昭和41)年に再建された。
私もお賽銭をあげさせて頂いた。 いつもの如く、家内安全を祈る。
お寺の氏子さんが、境内にとん汁とおでんの屋台を出していました。
奉仕のとん汁を頂いて、焚火の周りで美味しく頂きました。少ないですが、お布施をさせて頂いた。おでんは本格的で、買って帰るおばさんが少なからずいました。近所の知り合いのようです。
この神社の御神木であるクスノキを祀った岩楠社である。
そのクスノキの上に乗せられた祠。
社殿の裏側に鎮座ましまししている、船吉稲荷大明神。
時間が早いので、人出も少ないのでしょう。それで、厄除祭らしいイベントは、この時間帯開かれてませんでした。期待はずれでしたが、仕方ないですね。厄除祭の記事でなく、船寺神社紹介でした。
今回の記事はこれでおしまい。
0 件のコメント:
コメントを投稿