三宮神社の鳥居と石碑。この神社も阪神淡路大震災のとき、ぺしゃんこになったのを改築した。お参りする方も多く、境内はとてもきれいである。
神社のお隣は、商業ビルです。繁華街の真ん中にあるので、致し方ない。
この神社は、Wikipediaにも掲載されている。
三宮神社 | |
---|---|
拝殿 | |
所在地 | 兵庫県神戸市中央区三宮町2丁目4-4 |
位置 | 北緯34度41分22.7秒 東経135度11分28.0秒 |
主祭神 | 湍津姫命 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 不明 |
本殿の様式 | 一間社流造銅板葺 |
札所等 | 生田裔神八社 |
例祭 | 5月12日 |
三宮神社(さんのみやじんじゃ)
兵庫県神戸市中央区三宮町に鎮座する神社。生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の三柱目に当たり、祭神としては湍津姫命(たきつひめのみこと)を祀っている。
当社は周辺の「三宮」という地名の由来にもなっている。
この神社は、神戸事件発生の地であり、その石碑が建てられている。少し長いがその詳細をのべる。 邪馬台国大研究のページ より。
神戸事件
慶応4(1868)年1月11日、朝廷から摂津西宮の守備を命じられた岡山藩士の一行が、神戸の三宮神社に差しかかった時、一人のフランス兵がこの行列を横切ろうとした。岡山藩の大砲隊長の滝善三郎はフランス兵の背中を、傷つけないように穂先を覆った槍でついた。怒ったフランス兵はいったん今までいたタバコ店に引っこんだが、手にピストルを持ち再度現われた。これを見た滝善三郎は「鉄砲、鉄砲」と叫んだが、それを聞いた鉄砲隊が発砲命令だと思いこみ、一斉に威嚇射撃を開始した。
当時、神戸には、外国人の生命を守るという理由でイギリスやフランスの軍艦が停泊していたが、この事件に怒った外国勢は神戸の町を占領してしまう。諸外国は、司令官が銃を撃つように命令した、日本の撃った銃で死者が出た、イギリスの国旗が撃たれたなどと、事実無根を並べ立て日本に責任を取れと要求した。
出来たばかりの明治新政府は返事に困り、「幕府に代わって新しい政府を認めさせるには、外国の要求を受け入れた方が良い」と考え、岡山藩は、無実の事件に対して責任を取らされることになった。
新政府に脅された岡山藩では、滝善三郎に事件の責任をとり切腹するように命じた。明治元(1868)年、2月9日午後11時過ぎ、神戸の永福寺にて、外国軍人の検視7名と伊藤俊介(のちの伊藤博文)ら日本人検視7名の目の前で、滝善三郎は、刀を腹に押し当てた瞬間に介錯人が首を落とすという当時の作法ではなく、日本古来の切腹を行い、腹を真一文字に切り裂いて果てた。居並んだ人々の、とりわけ外国人の驚きはすごかったという。
そして、滝善三郎一人の犠牲によって、外国は明治新政府を日本の代表と認め、岡山藩も無事だった。
その時の切腹の様子のイラストが、掲示板として掲げられている。
(後注:三宮神社の掲示板ではない。能福寺の掲示板である。)
案内板には、こう記されている。
「大砲。明治元年1月11日(旧暦)に三宮神社前で突発した神戸事件のとき外国兵との交戦に備前の藩兵は三門の大砲をひきいて応戦した。この大砲は年代的に、ほぼ同時代のものなのでここに据えて参考とする。三宮神社」
これが拝殿。拝殿の奥にみえるのが、結婚式場である神戸セントモルガン教会である。
境内では、梅の木が花を咲かせていました。これから満開に向かう。
手水舎。トイレに行ったあと、手をここで洗う訳ではない。そんなことをすると、神罰があたる。汚れた手をこの水で清め、時にそのご神水でのどを潤すのである。
三宮神社は、航海の安全と商工業の繁栄を守る神として、古くから一般の崇敬厚い神社である。古い記録がなく、いつ創設されたかなどについては未詳とされている。
祭神は水の神である湍津姫命(たきつひめのみこと)。
広島旭山神社に掲げられている、絵馬『鯉献上の図』であるが、お立ちあそばれておられる姫が湍津姫命である。
三宮神社は、Wikiで記されているように生田神社の3番目の衛星神社ともいえる。
生田裔神八社(いくたえいしんはちしゃ)
生田神社を囲むように点在している裔神八社のことである。
これが生田神社の拝殿。そのうち紹介する予定。
そうすると、生田裔神八社のその他全てのナンバー神社の画像を求めたくなるのが人情というものである。 Wikipediaの力を借りて、それらの神社をアップしよう。
田心姫命(たごりびめのみこと)
天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
ということで、六宮神社の画像はなし。
大己貴尊(おほなむちのみこと)とは、大国主の命のことである。
天児屋根命(あめのこやねのみこと) これは、天孫降臨の絵図だが、どこにおられるかは不明。
天児屋根命は、左側の人物(諏訪神社の神楽より)
熊野杼樟日命(くまのくすびのみこと)の画像は残念ながら見つからず。
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
月岡芳年「素盞嗚命、出雲の簸川上に八頭蛇を退治し玉ふ図」
つぎは、走水神社(はしうどじんじゃ)である。元町商店街の脇にある小さな神社なので、Wikipediaには掲載されてないだろうと思って検索すると、さにあらず。ちゃんと該当ページが存在する。
走水神社 | |
---|---|
走水神社(右端に見えるのは筆塚) | |
所在地 | 兵庫県神戸市中央区元町通5-6-1 |
位置 | 北緯34度41分5.6秒 東経135度10分53.3秒 |
主祭神 | 天照大神、応神天皇、菅原道真 |
社格等 | 村社 |
創建 | 平安時代 |
例祭 | 1月18・19日(厄除祭) 7月24・25日(天神祭) |
走水神社(はしうどじんじゃ)
兵庫県神戸市中央区元町通5丁目にある神社。元町商店街から1本南に下った東西の道に面したところに鎮座している。
走水神社は旧走水村の氏神で、社伝によると1100年以上の歴史を持つ由緒ある神社である。
五穀豊穣・健康長寿・商売繁盛に学問の神様といわれ、書道の神としても有名で、社殿の脇には筆塚がある。菅原道真が祭神なので、狛犬ではなく狛牛が祀られている。
祀られている祭神は、他には天照大神と応神天皇である。
これが、走水神社の鳥居。神社の周りが高層建築ばかりというのは、何だか情緒がないね。
これを「はしうどじんじゃ」と読める方は多くはないと思う。
私には、こんなフリガナ付の標識にない限り、はしりみずじんじゃとしか読めません。
ちなみに、走水神社(はしりみずじんじゃ)は横須賀市に存在する。
これが拝殿。狛犬ならぬ、狛牛が祀られている。
アップするとこれである。
書道の神ということで、このような筆塚も祀られている。道真公の由縁だろうね。
これで今回の神戸神社案内はおしまい。また写真を撮ったときに、他の神社を紹介する予定。
0 件のコメント:
コメントを投稿