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2015年5月30日土曜日

山田風太郎記念館

今回は、山田風太郎記念館の訪問記である。



山田風太郎は、昔から好きな作家で、高校時代に「忍法帖シリーズ」で甲賀忍法帳とかおぼろ忍法帳くのいち忍法帳を読んで以来のファンである。 当時はこれらの小説は一種の禁書で、特にくのいち忍法帳などは、隠れて読んでおりました。

(当時のものではない)


実際ここに書くのは憚れるような、くのいちの奇想天外の忍法が使われていて、コーフンしたりするのである。今となっては、若き日のアホらしい思い出である。

その後に映画化されたりして、1作か2作は見た記憶がある。実際は山田風太郎の原作とは、殆ど関係がない作りものの映画です。でも、面白かったんだろうね。




就職してからは、殆ど読まなかったが、20年くらい前からまた良く読むようになった。明治物戦中派不戦日記などを読んでからだと思う。初期の推理小説も古本屋で見つければ必ず買って読んでいた。毎日新聞に連載されていた、『あと千回の晩飯』は読むのを毎週楽しみにしていました。

その連載で、パーキンソン病にかかっていることや、全く無自覚に糖尿病になっていた事などを知る。大酒豪でグルメなのを知ったのもこの連載による。

それと、やはり 人間臨終図鑑 ですね。 再読しました。 つい自分の年齢で亡くなった十返舎一九の項を読み直してしまった。やじさん、きたさんの「東海道中膝栗毛」の著者ですね。



のんき者だが、まじめ人間で、旅中でも黙々として終止メモばかりとっているような人柄であった。もっとも大酒のみで、晩年手足が不自由になったのも酒毒のせいだという。

辞世の句

此世(このよ)をば どりやおいとまに 
線香とともに ついには灰左様なら


私と似たタイプかもしれぬ・・・。 またもや脱線した。今回の主題は、 山田風太郎記念館 のことでした。開設は、2003年です。

記念館の展示物等の詳しい内容が、上のホームページに記載されている。




山田 風太郎(やまだ ふうたろう) 1922年1月4日 - 2001年7月28日)

日本の小説家。本名は山田 誠也(せいや)。伝奇小説、推理小説、時代小説の三方で名を馳せた、戦後日本を代表する娯楽小説家の一人である。

僕は、小説を書くために
生まれてきたようなものだ。


山田風太郎の述懐だが、その通りの人生だと思う。奇想天外で面白い小説を沢山読ませて頂いた。

それでは、いつものように撮ってきた写真を基にして、与太解説を始める。

記念館の横には、このような棗の木が植えられてあった。



これは、風太郎の生家についてのエッセイに現れる棗の木を、それに因んで当地在住の南下里次氏の寄贈により移植したものである。



記念館の入り口。



入館料等のデータはこれ。大人200円なので、格安である。値段の割に充実している。


開館時間
午前9:00~午後5:00
(入館4:30まで)




入館料
・常設展
区分個人団体
大人(高校生以上)200円150円
小・中学生100円80円
*団体は20名以上
・個別展は別に定めます。
 
 
パンフ
 

 その裏面が素晴らしい!




人生最大事たる死は、
大半突然やってくる。

60年以上生きてくると、何となく頷けるようになる言葉である。

 館内は、このような構造になっている。




館の宣伝と紹介をしたいと思って、この記事を書きはじめたのが、館のホームページには彼の経歴や人となり、膨大な作品群や故郷の関宮村との関連が詳しく説明されている。

館内に置かれていた、風太郎と但馬と関わり合いを説明したパンフ。山田家家系図もあったが略。


関宮巡りのパンフもあった。これを見て、次回は関宮を散策したいと思ったのであった。



館の入場券と山田風太郎の会の入会案内。入館券は絵葉書になっている。



当館を管理・運営する「山田風太郎の会」は、作家・山田風太郎を顕彰し、その作品世界の魅力を探求・紹介する活動を展開しています。
また年に数回、親睦会や楽しい研修旅行も行っています。会員は年会費2千円で当記念館の入館料が免除となるほか、情報提供やイベント参加費などで様々な特典があります。ぜひご入会下さい。
入会手続きなど詳しいお問い合わせは当記念館まで。



 
ということです。ホームページ紹介に基づいて、館の案内を行いたい。 

ホームページには、イベント情報と、山田風太郎の生涯館内展示品の3つコーナーがある。イベント情報では、風太郎祭のお知らせなどが載せられている。

風太郎祭は、年1回開催されるらしく、山田風太郎賞の受賞者が講演されるようである。

調べてみると、歴代の受賞者はこのようになっている。

第1回(2010年)
  • 貴志祐介 『悪の教典』(文藝春秋)
第2回(2011年)
  • 高野和明 『ジェノサイド』(角川書店)
第3回(2012年)
  • 冲方丁 『光圀伝』(角川書店)
  • 窪美澄 『晴天の迷いクジラ』(新潮社)

第4回(2013年)
  • 伊東潤 『巨鯨の海』(光文社)

第5回(2014年)
  • 荻原浩 『二千七百の夏と冬』(双葉社)

交流室に展示されているのは、写真可という事でしたので、写させて頂いた。この交流室には、著名作家の色紙が飾られていた。歴代の山田風太郎賞の受賞者の他に、森村誠一有栖川有栖
の色紙もある。


 

風太郎の生涯のコーナーでは、写真とともに経歴が記されている。 60歳以降の部分だけ抜き書きする。

1986年(昭和61年・64歳)異色のノンフィクション「人間臨終図巻」を刊行。話題となる。 64歳のときなのですね。この時には、もう死を透徹した見方が出来ていた訳ですね。凄いものです。


1989年(平成元年・67歳)「室町少年倶楽部」「室町の大予言」を発表。またもや「室町もの」と言われる新境地を拓いた。
まだまだ元気であった。


1991年(平成3年・69歳)新聞に「柳生十兵衛死す」を連載。これが最後の小説となった。小説を書かなくなった江戸川乱歩よりは、ずっと遅い。


1997年(平成9年・75歳)第45回菊池寛賞を受賞。エッセイ集「あと千回の晩飯」を刊行。名著です。


2001年(平成12年・78歳)第4回日本ミステリー文学大賞を受賞


2001年(平成13年・79歳)7月28日死去。自らつけた戒名は「風々院風々風々居士」。「風の墓」とのみ刻まれた墓碑が八王子市の川上霊園墓地に建つ。


2002年(平成14年)世田谷文学館で大規模な追悼展開催される。


2003年(平成15年)郷里の旧関宮小学校跡に「山田風太郎記念館」がオープン


館内展示品のコーナーでは、色んな風太郎に因む記念品が陳列されている。撮影禁止なので、それらは ここ で見てください。ランドセル、剣道具、書斎の机とか、初版本、若き日の写真などがある。

著作権に違反するかもしれぬが、これだけはアップしたい。書斎の机と風太郎の自画像である。


私のパソコン机とほぼ同じサイズである。ものを書くにはこの程度の広さでいい訳だ。資料庫たる書庫のサイズは全然違うが。

この自画像は、風太郎らしさが如実に現れていて実にいいですね。

交流室には、新聞の切り抜き記事も展示されていた。


交流室には、このようなポスターが展示されていた。
なんと、魔界転生がさらに漫画に生まれ変わったていた。魔界転生とは、かって読んだおぼろ忍法帳の題目変更された小説ですね。後で知りました。


私が見たのは、沢田研二、千葉真一主演のこの映画である。

 


窪塚洋介、佐藤浩市主演で、再映画化されている。こちらは見ていない。

 
いやあ面白かった。
 
 
コレデオシマイ

2015年5月27日水曜日

陳舜臣「お別れの会」

昨日、 陳舜臣アジア文藝館 で陳舜臣お別れの会」が行われた。案内の葉書が届いていたので、出席させて頂きました。
 
陳舜臣先生は、今年の1月21日にご逝去された。 陳舜臣逝去 
 
『陳舜臣アジア文藝館』がグランドオープンする、その魁として先生のご遺徳を偲び合うために、陳舜臣お別れの会」が開催された。その出席報告をさせて頂きたい。
 
私にとって、陳舜臣先生は好きな小説家だけでなく、学識、人格共に優れた非常に尊敬できる地元神戸の作家です。神戸の誇る文化人です。1年位前になるが、『陳舜臣アジア文藝館』がプレオープンする際に、そのことを書かせて頂いた。
 
プログラムはこのようになっている。入場は無料です。
 
 
**陳舜臣とアジア文藝館の船出from KOBE**
 
平成27年5月26日(火)  11:00開場     (18:30分まで入館可能)
 
 ○ 当館2Fにて   司会   本地真穂
     
1部 11:30~ 読経 伊藤浄厳 (摩耶山天上寺貫主)
      館長 挨拶  田中保三
      陳舜臣氏を語る   伊藤浄厳  (摩耶山天上寺貫主)
                宮田達夫 (元MBS企画取締役事業局長)
 
2部 12:30~  音楽会「シルクロードを奏でる」
   コーラス 陳先生所縁の曲  移情閣コーラス(指揮 張文乃)
  古楽器サンツール    プーリー・アナビアン
        漢詩の朗詠       二ノ宮修生 
   篠笛              小池照男
                        胡弓              田偉
        中国琵琶        エンキ(閻杰)
 

ワイフは、息子の店にお手伝いに行ってるので、今回は私一人の参加であった。
 
開場が11時なので、それに間に合うように出かけたが、地元民として恥ずかしい事だが、道を間違ってしまい3分程遅れてしまった。
 
会場は、この「旧神戸税関メリケン波止場庁舎」の2階である。
 
 会場への案内が掲示されていた。
 
 
2階会場は、参加者で一杯でした。200名以上はいたと思われる。神戸新聞や毎日新聞等の記者や報道関係の方々も沢山来ていたようだ。11時30分に開演だが、既にこのような状態であった。
 

心ばかりの寄金をさせて頂いたのだが、館のパンフと文庫本「神戸わがふるさと」を頂いた。
この会のために用意された「特別限定版」である。1000円以上寄金すると、頂けるようでした。

館長の挨拶文のチラシが挟まれありました。右側にあるのは、昨年度陳先生から頂いたの色紙です。宝物のようなものです。
 
 
 
文藝館のパンフです。
 

1階と2階は、常時使用していないので電気は止められているとのことで、エアコンなしでした。室内は温かったが、耐えられぬほどではない。最後尾の席しかなかったので、写真のほうはうまく撮れなかった。

11時半には、摩耶山天上寺貫主 である伊藤浄厳師の読経が始まった。台湾風でなく、全く日本風の読経です。 天上寺は、神戸ゆかりの由緒あるお寺ですが、陳舜臣先生の菩提寺とは全く知りませんでした。六甲山ー摩耶山散歩 II

真言宗や密教、特に空海についても深い知識を持っており、親近感を感じていた故かもしれない。そういえば、曼陀羅の人―空海求法伝 という小説がある。



伊藤浄厳師は、この方です。


館長の田中保三氏が、会の挨拶をされた。文藝館を陳舜臣の業績を顕彰するだけでなく、アジアの若者が集い学ぶ場にしていきたいとの抱負を語っていた。


 
 最初に伊藤浄厳師が、陳舜臣先生とのお付き合いを宗教者としての立場からお話をされていた。
 
 ひきつづき、元MBS企画取締役事業局長の宮田達夫氏が、脳内出血で倒れられた後の陳舜臣先生の様子を昔の思い出と共に話された。作家の孤独とやや我儘な家庭人としての先生の横顔を説明されていた。お孫さんには、もうお子さんがおられるそうだ。
 
 
 
これで、1部がおわり30分程の休憩となった。その間に、ご仏前でご焼香をさせて頂いた。
 
2部は、音楽会「シルクロードを奏でる」ということで、まづNPO法人国際音楽協会理事長である、張文乃さんが指揮をして、移情閣友の会のコーラスがあった。
 
 
 
 
 


    移情閣コーラス
 
つづいて、古楽器サンツールの演奏で、奏者はプーリー・アナビアン。左の方で、右の方はその娘さん。実に日本語がお上手です。
 
 
その演奏の一部。
 
今回も作家の太田治子さんが来ておられ、陳先生との思いでを語っておられた。
 
 
 
そして、胡弓と中国琵琶との合同演奏。 胡弓は、田偉さんで、中国琵琶は、エンキ(閻杰)さん。           
 
 
演奏は、メモリが重たくなるので断念する。
 
館長と友人たちの合唱もありました。
 
 
 
ここで15分ほどお休みを取ってから、小池照男さんの篠笛演奏と共に二ノ宮修生さんの漢詩の朗詠があった。 共に見事な演奏であり、朗詠だったと思う。感動しました。
 
 
 
二ノ宮修生さんは、劇団グループ・イカロスの俳優さんです。小池照男さんは、以前紹介しました。
映像作家でもあります。  7/5神戸新聞より
 
これでプログラムは終了。 
 
新たな展示品等については、次の文藝館訪問時にまわしたい。今回はこれでおしまい。

2015年5月26日火曜日

湯村温泉 夢千代館

湯村温泉夢千代とは、切っても切れぬ縁がある。と言っても、TVドラマの『夢千代日記』が放映されて以降の事ではあるが。もう30年以上前の話になる。私も30代で毎週見ておりました。
 
確認のため、Wikipedia様にお伺いすると、このように書かれていた。
 
夢千代日記』(ゆめちよにっき)



NHKの『ドラマ人間模様』で放映された3部作のドラマである。吉永小百合主演。後に映画化や舞台化もされ、舞台では数々の女優により主人公夢千代が演じられている。
  • 夢千代日記:1981年2月15日 ‐3月15日放送、全5話
  • 続 夢千代日記:1982年1月17日 ‐2月14日放送、全5話
  • 新 夢千代日記:1984年1月15日 ‐3月18日放送、全10話
概略を述べる。

主人公の夢千代は母親の胎内にいたとき、広島で被爆した「胎内被爆者」。原爆症を発病しており、余命2年と宣告されている。物語はその夢千代を取り巻く人々の生き様を山陰の冬景色を背景に物悲しく描く。ストーリー展開は夢千代が毎日書き綴っている日記が軸となっており、随所に夢千代が日記の一部を読んでいるナレーションが盛り込まれている。また、湯村を訪れる謎の人物がシリーズ毎に登場し、次第にその過去が解き明かされていくというミステリー的な魅力もある。
三部とも物語の冒頭は、夢千代が原爆症の治療に神戸の病院へ行き、その帰りに山陰線の列車が余部鉄橋にさしかかるころの車内から始まる。 余部鉄橋


湯村温泉はこのドラマ放映後、「夢千代の里」として一躍脚光を浴びた訳です。その現在の様子を前回の記事で紹介した。 湯村温泉 夢さんぽ

同じくWikiの記事によるとこう書かれている。

平成16年11月に資料館「夢千代館」がオープンし、館内には湯里銀座煙草屋旅館内部などが再現されている。
 
それで、「夢千代館」の見学である。入館料は、一般300円。高齢者割引なし。


パンフと 入館券
パンフの裏面が館内の説明。

キャッチコピー:

エントランスを抜けると
そこは懐かしい昭和の街並みがあります。
有難い事に、館内では自由に写真が撮れる。 

入ってすぐ右手の壁に展示されているのが切り絵風の大型パネル。

 

 



ここは、夢千代日記物語コーナーで、その物語世界を切り絵で紹介している。

夢千代日記の物語を展開しながら、
人々が寄り添いながらも逞しく生きてきた、
懐かしく、心温まる昭和の時代を再現しました。

とある。物語の人間関係パネル。



館の一階中央は、平和記念コミュニティー広場になっている。



平成17年4月22日に、吉永小百合が新温泉町を訪れた時のパネル写真が掲示されていた。



吉永小百合は、現在もなお十二分に美しい。私より年長とはとても信じられない。


物語の舞台であった、湯の里温泉の再現コーナー。 タバコ屋、電気店、洗濯店などの商店街の街並みを再現している。赤ポストもあります。スペースの関係で奥行はないけどね。







旅館の玄関先を再現した部屋。


 
夢千代日記の撮影で利用した道具なども資料館の部分に展示されている。
 


夢千代日記の最初の1話が、ビデオ放映されていた。

 
本当に可憐で美しい。その上に年齢による艶っぽさ、妖艶さも伺われるのである。

 
夢千代のマネキン。着物は、吉永小百合がドラマで着用したもの。


吉永小百合のメッセージ


2階は、特設展示場になっている。

夢千代が寛いだと思しき、お茶の間。



昔の湯村温泉の写真パネル

吉永小百合のパネルと千羽鶴


 
古い蓄音機と、歌手でもあった時代の吉永小百合のレコードジャケット。



夢千代日記は、東映で映画化もされている。そのポスター。



 
死を覚悟した凄惨なる美しさ と言っていいのかね。

舞台にもなっている。

 

 
現在、舞台では今村文美夢千代を演じている。前進座公演のポスター。


 
もう少し
いきてみようと思います
いいでしょう お母さん

亡くなった母へのオマージュであり、自らを励ます言葉です。

今回は、これでおしまい。