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2015年6月22日月曜日

小椋佳の余生

今日の毎日新聞朝刊のわたしと健康の記事では、小椋佳の記事がでていた。この記事である。



画像を特大にしたので、充分読めるとおもう。大変有名な歌手なので、若い方もご存知の方は多いと思う。我々団塊の世代(嫌な言葉だ)からいうと、兄貴分にあたる世代の歌手である。私は高校時代に友人から教えてもらい、その歌を聞いてファンになった口である。だから長い間彼の曲は折にふれ聞いている。詩は、リリシズムに満ちており、とてつもない美声であった。

六月の雨

いくつ春をかぞえても いくつ秋をかぞえても 二人でいたい


WATARUSONG/六月の雨(小椋佳)

ぐっとくるセリフですね。「しおさいの歌」を今聞くと、爺いであっても当時の感興を思い出し泣きそうになります。

少しは私に愛を下さい


少しは私に愛を下さい/小椋佳  

現在はそんな事はついぞ思わぬが、ラブソングが身につまされる若き時代であったのだ。

これだけではない。現在TVは殆ど見ないが、若い頃はTVドラマの「俺たちの旅」を毎週楽しみにして見ており、中村正俊のカッコよさと田中健のいじけた真面目さが面白かった。その主題歌を歌っていたのは勿論中村正俊だが、オリジナルは小椋佳なのである。  

俺たちの旅

「俺たちの旅」-小椋佳・ソロバージョン

この曲も大変好きでした。そういえばヒロインは金沢碧でしたね。とても神秘的な美人だと思っていました。


現在61歳になるが、今もお美しい。しかし、私の中では神秘性は無くなってしまっている。



 これらの美しい声を聴いて、どんな美男子かと想像していたのだが、後にデブのおっさんだと判明した。長い間マスコミには出なかったのでね。皆さん余り知らなかったのです。それと同時に意外に思ったのは、東大卒のエリートサラリーマンであったことでした。


若いころの松本清張でないかと思いました。ご本人は、ユーモアのある謙虚な人柄です。

新聞記事の現在の写真は、別人かと思うほど痩せている。昨年9月に「生前葬」と銘うったコンサートが行われ4日間で100曲余を歌い切った。この時点でも痩せてはいるが、新聞の写真ほどではない。



生前葬を行う理由
「僕は白州次郎同様「葬式無用 戒名不用」と考えていますが、家内は常識人なので、僕が死んだら きっと人並みの通夜や告別式をやるつもりでしょう。僕としてはそんな煩わしいことを家族に押し 付けるのは本意ではないので、僕が生きているうちに済ませてしまおうと思いました。」(小椋)

けりをつける
「僕の同級生や、同期の人間のほとんどは、既に会社、職場をリタイヤしています。僕もそろそ ろ、と考えていますが、この仕事には『定年』がない。だったら自分で『けり』をつけようという 考えに至りました。」(小椋)

このような思いで、「生前葬コンサート」を行ったのだが、それには伏線がある。

1993年に49歳でサラリーマン生活にピリオドをうち、音楽活動に打ち込む。年に70~80回のコンサートを開くなど、以降精力的に活動する。
56歳で胃がんと診断され、胃の4分の3を切除。ガンは完治する。体重減にも負けず音楽活動をつづけるが、68歳のとき劇症肝炎が襲う。その後1か月の療養を経て復活する。

「死はコントロールできるものではなく、
突然理不尽に訪れ、それがきても仕方がないと、
50歳を過ぎたころから思っていました。
この時は、それを実感しましたね。」

山田風太郎のようなセリフですね。このような気持ちがあり、自分の仕事にけりをつけるために、「生前葬コンサート」を行ったのであろう。(TVで見ましたが、良いコンサートだったと思います。でも確実に声は悪くなっています。かすれてます。でもそれで良いんでないかね。)

彼の感慨には同感しますね。でもその後は、私には余り気にくわない。珍しく感情的なことを書く。

コンサート以降は余生である。そして普段を白い作務衣で過ごす。そのようにして余生を生き続けているという。1月を1年と考えて生きているが、寿命は長くないと考えていて、76歳で死ぬ気がしているという。あと6年である。そんな事は言わぬほうが良いと思える。人誰しも先の事は分からぬのだ。むしろ私の印象では、弱ってきてももっと長生きしそうな気がする。

本人も書いているが、充分に恵まれた人生だと思う。これだけ多くの(2000曲以上)人々を感動させる曲をつくり、また本人もコンサートで歌うことができる。が、それでも本人は余生と割り切っても人生を達観する境地にはならないという。当たり前ではないのかな?過去の栄光と記憶だけで人間は生きている訳ではない。現実が常に大きな問題になる。

日常の様々な不都合から老いを感じ、歌作りのアイデアがなかなか出てこない。それも当たり前のような気がする。それでも、人々から求められているのだと思う。求められているからこそ、コンサートの開催が可能になる。

小椋佳の余生は、恵まれた余生なのである。生きていれば音楽活動できる余生である。そんなのは、普通余生とは言わない。会社員だって、定年後が余生とは限らない。求められる限り、シンガーソングライターとしての能力が落ちても、歌い作曲し続ければいいのでないかね。経済的にメリットありと判断されている訳だから。

そして今年の8月から「余生あるいは一周忌コンサート」を始めるそうだ。



「余生あるいは一周忌コンサート」は、皆様の熱い思いに応えるべく、「生前葬コンサート」で歌った100曲から小椋佳が自ら数十曲を厳選してお届けします。

嫌なタイトルだね。普通に 「小椋佳 再出発コンサート」 でいいのにね。できが悪くとも新曲も入れるといいのにと思ってしまう、私であった。

記事を読んで生まれた不満を書いてしまった。私としては、予定外の行動であった。

でも小椋佳の曲は、本当に大好きなんですよ。

小椋 佳 「愛燦燦」

なんだか不満だが、今回はこれでおしまい。

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