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2015年7月31日金曜日

宮本武蔵は巨人症だった?

いつもの如く、古本屋で買ってきた100円本を寝床で読んでいた。
篠田達明著 「モナ・リザは高脂血症だった」 新潮社 2003年


その中に宮本武蔵の巨人症という1節がある。


整形外科医でもあった、作者の篠田達明 がこの自画像(とされる)から推定されている。思いもかけぬ推測だけに吃驚した。

書に曰く:

武蔵の場合、子供のころからの生長ホルモンの分泌が盛んで、背がぐんぐん伸び、さらにあごや手足も肥大した。その上眼球が突出し、背骨の後方湾曲がおこり、自画像にみるような猫背の巨体になったものと考えられる。

つづいて、

病的でない巨人症の患者さんは、小児から青年期にかけて強壮で知能も体力も並外れてすぐれている。だが晩年になると下垂体の機能不全に陥り、無気力な体になりやすい。

として、晩年の武蔵についてこう書く:

晩年の武蔵も心身が急激に衰えた。物忘れが激しい。木刀が重い。素振りをするとたちまち息が切れる。赤樫の木刀を杖がわりにすがって歩いた。やがて熊本城の西方、岩戸山の霊巌堂にこもり、五輪書の執筆に取りかかった。1年半を費やしてこれを書きあげたとき、精魂つき果てて洞内に倒れた。還暦を過ぎて早々、生きる屍のごとくなってあの世に旅立ったのである。

霊巌堂の洞穴  これは、見てきました。


宮本武蔵五輪書を書いた場所、大きな岩の洞窟。 過去の旅 阿蘇旅行 2011年5月

なんだか俄かに信じがたい説である。当時としては、60歳は短命ではないしね。

大男で異形の人であったことは事実らしいが、巨人症とは思っても見なかった。ジャイアント馬場(マウント斗羽)やアンドレ・ザ・ジャイアントみたいだったのかもしれぬ。 格闘士列伝



あごの長いのが特徴だね。武蔵のアゴは長くないみたいだけどね。

武蔵関連の記事は何回か書いたけど、Wikiも調べたが、そんなことはついぞ知らなかったのである。
秋吉台と門司、下関の旅行記 VI  明石散歩+淡路島岩屋散歩 I

それで、少々時間をかけて検索したのだが、やはり宮本武蔵は巨人症だったという確証はなさそう。篠田達明先生の穿ちすぎの診断というのが、妥当な所らしい。

時間を無駄に使って、振り回された感じである。 

はっきりした結論を出せず、武蔵を描いた錦絵を提示して、読者の寛恕を乞うのである。



『報讐忠孝伝 宮本武蔵』 歌川国芳画

『宮本武蔵の鯨退治』歌川国芳画

歌舞伎絵の宮本無三四

歌川国芳『美家本武蔵 丹波の国の山中にて年ふる野衾を斬図』


同じく 歌川国芳 


塚原卜伝との勝負(在りえない)

 
巌流島の決戦
 
 
 
月岡芳年 『和漢百物語』より「宮本無三四」
 
 
これでおしまい。

平賀源内記念館 I 

ブログの記事といっても、私のは単なる暇つぶしの写真日記でしかない。取材の記事とは、物見遊山の報告にすぎぬ。こんなもんに大した意味がないのは、重々承知している。見る価値が幾許かあるとすれば、最新の写真を使っているという所くらいである。
まあそれでも、(私としては)時として襲ってくる鬱状態をうっちゃるのに、何等かの役割を果たしている。きっと、何も考えずに作業できるからだ。コピペ勉強もできるしね。

と恒例の、聞き飽きたであろう言い訳を述べてから、平賀源内記念館、旧邸の紹介を始める。鳴門在住の友人を訪問した際に見学した記念館である。書くことが多くて後回しにしていた。

平賀源内は、讃岐の生んだ天才・奇才学者であり、教科書にも書かれている。高校の時の日本史の教科書でエレキテルの実験を行ったというのを習った記憶がある。試験の時しか、憶えていない記憶だが。

健忘症の私としては、Wikipedia様に相談して、ある程度の知識を得ておかないと不安である。

平賀 源内


『平賀鳩渓肖像』
戯作者考補遺』表紙絵より。絵師の木村黙老は高松藩の家老で、源内の死から65年を経た弘化二年 (1845) に源内と親交があった祖父や源内をよく知っていた古老の述懐などをもとにしてこの肖像を描いた。慶應義塾図書館収蔵。

平賀 源内(ひらが げんない、享保13年(1728年)- 安永8年12月18日(1780年1月24日))

江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家

すごい肩書ですね。何でも屋で、あらゆるジャンルで活躍した奇才です。日本のレオナルド・ダ・ビンチと称せられているのも、むべなるかな。

源内は通称で、元内とも書いた。諱は国倫(くにとも)、字は子彝(しい)。数多くの号を使い分けたことでも知られ、画号の鳩渓(きゅうけい)、俳号の李山(りざん)をはじめ、戯作者としては風来山人(ふうらいさん じん)、浄瑠璃作者としては福内鬼外(ふくうち きがい)の筆名を用い、殖産事業家としては天竺浪人(てんじくろうにん)、生活に窮して細工物を作り売りした頃には貧家銭内(ひんか ぜにない)などといった別名でも知られていた。

ユーモアのある人だったようです。超有名人で、亡くなって200年以上たつが、小説、映画、漫画、TVドラマ、演劇、ゲームなどでも取り扱われている。愛好家が多い所以である。

Wikiの記事にあるが、杉田玄白の書いた『蘭学事始』では、源内との対話に一章を割いているそうである。玄白については、 養生七不可 を参照。

さらに源内の墓碑を記したのも玄白で、

「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」

(ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや)

とあり、源内の才能に玄白が驚嘆しその死を惜しんだことが伺われる。

源内の銅像と、その下にある玄白による源内の墓碑の写真も写してきた。





「何ぞ非常に死するや」 の意味であるが、つぎのような顛末である。山田風太郎 「人間臨終図鑑 2」 を読んで知りました。

田沼意次が別荘を作るに当たって、ある請負業者に見積もりをださせ、それを源内にみせた。
源内が自分ならばその二、三割引で作ってみせると言ったので、田沼は工事を彼にまかせようとした。
最初の請負業者が抗議に来、源内は自分の設計図をみせて説明した。
相手は納得し、和解の酒盛りをして、その業者は源内宅に泊まった。
翌朝、酒からさめた源内は自分の設計図が紛失している事に気付き、その町人仕業と思い込む。
そして口論となり、興奮のあまり相手を斬った。その後、設計図はちゃんとある事が判明。

別説もあるようだが、源内が突発的に殺人をやったことは事実。

そして、源内は小傳馬町の牢に入り、1か月もたたないうちに破傷風に罹って牢死する。

非常の死というか、馬鹿馬鹿しい死に方である。得てして天才の死はこんなもんである。

以上予備知識をゲットしてから、平賀源内記念館の写真説明。


平賀源内記念館

平賀源内記念館は 平成21年3月、平賀源内先生遺品館を移転、名称を改め新装開館しました。
施設としては、記念館本館と、別館として550m西に在る旧邸・銅像・薬草園などとの2か所で構成しています。


これは、新装開店した平賀源内記念館の本館の写真。

基本情報はこれ:


所在地

①平賀源内記念館 〒769-2101 香川県さぬき市志度587-1
②平賀源内旧邸 〒769-2101 香川県さぬき市志度46-1
       
開館時間

9:00~17:00

休館日

月曜日(祝日、振替休日の場合はその翌日)
年末年始(12/29~1/1)

入館料

記念館と旧邸と一緒で
一般 500円
大学高校生 400円
小中学生 250円
15名以上の団体は、2割引

残念だが、老人割引はない。

パンフ


裏面では、本館の案内図と源内小路の説明がある。
 

館内の源内奇才劇場で、ビデオ放映をしている。平賀源内の一生である。私の浴衣の着付けがまずくて、ここでFさんに直してもらっていて、ゆっくりは見れなかった。残念である。

コピペで相済まぬが、館内の展示内容はつぎのようになっている。


1. 源内 神出奇没
平賀源内は全国をまたにかけ各地に足跡を残しました。各地で様々な分野で交流していて、その神出鬼没ぶりが一目瞭然にわかります。
 
好奇心が旺盛で、無類の旅行好きだったのだ。異分野交流のエキスパートで、様々なアイデアを得ていたのでしょう。学者としての王道を行ってると言える。
 
 
2. 志度・高松
からくり掛軸「おみき天神」は源内11歳のときの作。
どんな「からくり」か、体験できます。
若年の砌から、独創性、アイデアに満ちていたのだ。

 
源内の指導で志度の陶工達に焼かせた、精緻な模様の源内焼
南北アメリカ地図大皿」。
その原点となった「陶器工夫書」はその内容もご覧になれます。
陶芸の研究者でもあった。しかも、商才もありスーパーマンといか言いようがない凄い人です。
源内焼は、分厚い焼き物です。これはかざり皿だろうね。実用向きではない。

3. 長崎
ドドネウス著『コロイドボック』等、源内が入手した8種の洋書の一部を展示。
 
紅毛本草と書かれてある。薬学植物学の専門書なのだろう。大部の書籍で、図版が沢山入っている。源内はオランダ語は読めないものの、図版で本草学の参考にしていたらしい。
 
4. 伊豆・秩父・秋田
 
江戸中期の画家に影響を与えた、源内唯一の油彩画や、鉱山開発なども展示。
源内は、西洋画も描いていた。何たる才能であることか、ダビンチとよく似ているね。画家としての技量についてはわからんが、相当なものと推測される。この絵は、切手にもなっていたので良く知っていた。
 

2003年に発行された江戸開府400年シリーズ第3集のうち、「西洋婦人図」。
 
5. 江戸
博覧会の創始者と言われる由縁、『物類品隲』の発刊等々
本草学者としての活躍とともに、戯作者の側面も展示。
博覧会なども企画、興行をしていた。本草学者としての薬草の記述だけでなく、戯作者のとしての文章も物していたのである。凄いお方である。

エレキテル(さぬき市指定文化財)
日本最初の摩擦静電気発生装置。
現存する江戸時代中期の2台のエレキテルの内の1つ。
 
これも切手になっており、飾り模様のあるエレキテルが描かれている。
 
ふるさと切手地方自治法施行60周年記念シリーズ 香川県」より。
 
 

6. 源内奇才劇場  
 
平賀源内の一生を、10分間の映像で紹介。
前述のごとく、見ていないのだ。

7. 源内玉手箱
源内杉田玄白源内大田南畝などあの有名人との関係や、
源内がアメリカで紹介された記事などを展示。
 
杉田玄白とか太田南浦の良く見た画像を用いてのパネル説明である。
 
その他に、体験コーナーや源内博士認定Q&Aコーナーなどがある。
 
本館を出て、源内通りを歩き平賀源内旧邸へ向かう。
ここである。壁面には、平賀源内先生遺品館とある。古い名称がそのままになっている。




その入り口。

 
 こちらの見学記は、平賀源内記念館 II でのべる。 今回は、これでおしまい。



 

2015年7月30日木曜日

水辺の怪異

現在須磨水族園で、特別展『須魔怪奇水族園 -古今東西!水辺の妖怪』展をやっている。
須磨海浜水族園 I   須磨海浜水族園 II イルカショー
  
長いが、解説文を紹介する。

水辺にまつわる妖怪を紹介
水にまつわる怪異を生きもの・標本・歴史資料・模型といった多彩な資料で紹介する。
河童、海坊主を始めとした約100種類の妖怪の展示パネルや、人魚のミイラや日本に数点しか残っていないニホンカワウソの剥製など貴重な資料を展示。
また、妖怪や怪物に関連するとされる生体も展示される。
全長約2mの人魚や、高さ約1mの河童のリアルな模型は見応え充分。
その他、園内の各店舗では、妖怪にちなんだオリジナル妖怪グッズや食事メニューが用意され、水辺の妖怪についてのサイエンスカフェや妖怪メイク体験ができるなど、いつもとはひと味もふた味も違った奇怪な水族園が楽しめる。
 
基本データはこれ:
 
開催場所・会場神戸市立須磨海浜水族園・和楽園展示館特別展示室
開催日・期間2015年7月18日(土)~2015年11月8日(日)
開催時間9:00~17:00 最終入園16:00 7月 18日(土)~8月 31日(月) 9:00~20:00 最終入園19:00
料金入園料 大人(18歳以上)1300円 中人(15~17歳)800円 小人(小・中学生)500円 ※幼児無料
TEL078-731-7301
 
 
こんなのが展示されている。
 
◆展示パネル◆
河童、人魚、海坊主、クラーケンなど、約100種の妖怪についての解説等

◆生体展示◆
ヒキガエル(蝦蟇)、ガンギエイ(半魚人)ニホンスッポン(河童)、モクズガニ(蟹坊主)


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迫力のあるニホンスッポン
独特なたたずまいのナガレヒキガエル



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人魚のミイラ(原野農芸博物館所蔵)二足の奇妙な生物にみえるエイの干物

 
こんな妖怪フードも提供されている。

からかさお化けカレー


目玉のおやじ抹茶プリンとか海坊主かき氷などもある。

(実物とは別物)

それで、海や川にまつわる怪奇譚としては、諸星大二郎の『私家版魚類図譜』があったなと思い起こす。短編集でお勧めです。内容は読んでのお楽しみ。アマゾンでは、中古で300円からあります。

内容紹介:

怪奇と幻想の水族館へ。深海に棲む若き人魚の冒険譚「深海人魚姫」とその後日談「深海に還る」。作者の十八番、中国伝奇ホラー「鮫人」。『私家版鳥類図譜』収録のSFファンタジー「鳥を売る人」の続編「魚が来た!」など、諸星大二郎の魅力が凝集した全7編のフルコース!


海辺の怪異というと、やっぱり船幽霊ですね。

諸説あるが、海上で遭難し溺れ死んだ人間の迷える霊魂ともされている。


舟幽霊は雨の日に現れることが多い。波音がなく帆が逆にふくらみ、勢よく突き進んできて、舟幽霊がその舟に憑くと、青白い火がぱっと消え去って急に舟が動かなくなったり、行手に島や礁が突如として現われるといった錯覚を生ぜしめたりする。


海上の幽霊火である。

外国でも、船幽霊はある。船自体が怪獣みたいに変化している幽霊だね。


海上に現れる女の子と犬の幽霊なんてのもある。


海坊主もそうだね。これは、巨大で黒くてヌメヌメしており目が光りくちばしがあるという妖怪で、時おり、波間から出現するのだ。


海中に入ると、魚が怪異に変化する。深海魚の姿がモデルになっているのかな。



 


海難法師


水木画伯の絵だが、海に出る防空頭巾の集団亡霊というのもある。

 
海中の巨人の手。
 
 
川辺の妖怪としては、まづはカッパだね。そしてカワウソ


 
川赤子もいる。

マイナーだけど、岸涯小僧(がんぎこぞう)。
 
こんなユーモラスな妖怪もいる。

一方欧米の川中の幽霊はもっと怖い。

女性の幽霊。

エイリアンみたいな幽霊。

蒸し暑い日が続きますが、少しは涼しくなったでしょうか?

今回はこれでおしまい。