正確を期するため、前回の記事と一部重複するが、Wikipediaの記事を引用する。
仁風閣
仁風閣(じんぷうかく)は鳥取県鳥取市にあるフレンチルネッサンス様式の西洋館。
中国地方屈指の明治建築として名高く、1973年6月2日には国の重要文化財に指定されている。
もう少し、歴史を詳しくいうと、
1907年、当時の皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓時の宿泊施設として鳥取城跡の扇御殿跡に建てられた、旧鳥取藩主池田仲博侯爵の別邸である。
100年程度しか経っていないのでむしろ新しい洋館であるが、建築物として国の文化財としての価値をもつ。
「仁風閣」の館名は、この行啓に随行した元帥海軍大将東郷平八郎が命したもの。
館内には鳥取藩と池田家に関する資料などが展示されている。
2階のガラス張りのバルコニーからは池泉回遊式日本庭園の宝隆院庭園を一望できる。
前回写真紹介しましたね。
正面右の尖塔は館内にある螺旋階段用角尖塔である。
この写真でいうと、左側の尖塔です。
その螺旋階段がこれです。保存のため登れないが、美しい双対螺旋状の造りである。支えが全くないのです。
中を見て回る前に、パンフをアップする。
利用データ:
70歳以上は無料だが、惜しくもその年齢に達していないので150円支払いました。
2階建ての瀟洒な洋館である。 パンフは単色刷りなので、その外観や内部の部屋などがはっきりしない。
写真撮影は、一階部分を除き許可されていたので、その内部を紹介したい。1階の部屋は、鳥取藩と池田家に関する資料などがパネル等で展示されている。文化財なので、劣化を防ぐためにも撮影禁止。
1階から2階への階段を望む。2階ホールに仁風閣の書が掲げられている。この舘の命名者である東郷平八郎直筆の書である。
謁見所
御座所
広間
御食堂
2階テラス
2階のもう一つの広間が、小さな写真展示場のようになっている。
2階部分から見た螺旋階段。勿論降りられません。1本の木を湾曲させるのは、大した技術ではないだろうか。
簡単に歴史を述べるとこのようになる。パンフの受け売りです。
仁風閣がこの位置に建てられたのは、明治40年(1907)5月のことで、
鳥取池田家の第14代当主池田仲博侯爵が、宮内省匠頭であった 片山東熊工学博士に池田家の別邸として設計を依頼し、工部大学校で片山博士の後輩にあたる鳥取市出身の橋本平蔵工学士が監督しています。
片山博士は、明治洋風建築最高の傑作である赤坂離宮をはじめ、京都国立博物館など、数多くの有名建築を設計し、当時の宮廷建築の第一人者と云われた人です。
仁風閣は、明治40年の嘉仁皇太子殿下(のちの大正天皇)山陰地方行啓にあわせて完成され、皇太子殿下の宿舎として使用されました。
また、仁風閣には、この時鳥取県下ではじめて電灯が灯され、室内のシャンデリアと、夜空を彩ったイルミネーションは、明治文明開化の到来を華々しく謳いあげたものです。
その後、時代に翻弄され様々なかたちで使われた仁風閣は、昭和48年重要文化財の指定を受け、昭和49年から3年の月日と約2億円をかけ修理復元され、昭和51年一般公開となりました。
ということで、現在美しい姿を保っているのは、昭和49年からの修復のお蔭です。
2階の広間にあった、大型写真のパネル。「るろうに剣心」のロケシーンの写真であった。
仁風閣ロケ模様、ということだが、かなり大規模なロケが敢行されたのがわかる。緋村剣心役の
佐藤健(と思う)や、その他の俳優やエキストラさん達が写っている。最近の若い俳優さんの名前は、ほぼ知らないので、誰がどうのこうのと何も言えぬのだ。
映画のポスター。 江口洋介と香川照之は、勿論知っている。香川照之は、渋い良い性格俳優ですね。あの浜木綿子の子供とは、若い人は誰も知るまい。
漫画は、私もジャンプ連載時に読んでいた。大変面白い作品だが、連載終了後こんなにブレークするとは思わなかった。
ということで、今回はおしまい。
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