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2015年7月6日月曜日

門戸厄神東光寺

思い出の神社仏閣巡りの4回目です。30年ほど前宝塚に住んでいたので、その沿線にあるお寺さんや神社に、当時はたまにお参りしていたのである。それら懐かしの神社仏閣の再訪問記です。

阪急宝塚線の神社仏閣として、 清荒神清澄寺、 売布神社、 中山寺  と紹介してきた。宝塚線の駅名で、主だった神社仏閣は、残すところ服部天神駅のみである。(次回紹介する)

それで、阪急今津線に眼を転じると、門戸厄神駅が存在する。という事で、今回は西宮市門戸西町にある門戸厄神東光寺の紹介である。

阪急門戸厄神駅は、西宮の中心駅である阪急西宮北口駅の一駅前の駅である。駅自体は、小さい。

この駅です。


駅から線路沿いの道路を200m程歩くと、

石灯籠が置かれ、厄神明王道と刻まれた石碑のある場所にでる。


ここから、門戸厄神の参道に入る。

門戸厄神東光寺の知照院 観音堂 だが、シャッターが下りていた。
 


普段は、このように聖観音をお祀りしている。

聖観音とは衆生救済のための三十三変化身の元のお姿で、とは正しい智慧で物事を見ること、とは救いを求める人々の声を聴き取ることで、衆生を漏らすことなく救って下さる偉大な仏様です。


日本三体 門戸厄神 とある。


日本の3大厄神さんの1つに数えられている。因みに

三大厄神
石清水八幡宮(京都府八幡市)
門戸厄神東光寺(兵庫県西宮市)
天野明神(和歌山県伊都郡かつらぎ町)

である。石清水八幡宮は、記事にした。立派な神社でした。桜が綺麗でしたね。 石清水八幡宮
天野明神は、まだお詣りしていない。

門戸厄神東光寺の東門  知らずに出口から入ってしまったのだ。


我々地元民は、「門戸の厄神さん」とよんでいる。ホームページは、これ。門戸厄神 

ここで、Wikipediaによる学習。 

門戸厄神東光寺
Mondoyakujin yakujindo01.jpg
境内中央に位置する厄神堂
所在地兵庫県西宮市門戸西町2-26
位置北緯34度45分41.91秒
東経135度21分12.63秒
山号松泰山
宗派高野山真言宗
寺格別格本山
本尊薬師如来
創建年天長6年(829年)
開基空海、嵯峨天皇(勅願)
正式名松泰山 東光寺
札所等西国薬師四十九霊場第20番
西国愛染十七霊場第2番
摂津国八十八箇所第76番


門戸厄神東光寺(もんどやくじんとうこうじ)

兵庫県西宮市門戸西町にある寺。高野山真言宗別格本山。正式名は松泰山東光寺
「西国薬師霊場第20番」「西国愛染17霊場第2番」「摂津国八十八箇所第76番」。
本三大厄神のうちの一つ。

あらゆる災厄を打ち払うという厄神明王(門戸厄神)が有名で、厄年にあたる年齢の人が厄払いをするほか、十三詣(じゅうさんまいり)といい、数えで13歳の子どもが厄除けと学業成就を願って虚空蔵菩薩に詣でる。初宮参り交通安全祈願護摩祈祷人形供養も受け付ける。
毎年1月18・19日に厄除大祭が、2月3日に星祭が行なわれる。特に厄除大祭では数多くの屋台が出店され、何万人もの参拝者で賑わいを見せる。

ちょっと恐いが、厄神明王像はこれである。


愛染明王不動明王一体化したもので、災厄をもたらす神であり、厄除けの神でもある。

Wikiによると、開創の経緯がつぎのように説明されている。

寺伝による開創の経緯:

嵯峨天皇の41歳の厄年にあたる天長6年(829年)、空海(弘法大師)により厄除祈願が行われた。その際嵯峨天皇は愛染明王と不動明王が一体となって厄神明王となりあらゆる厄を打ち払うという霊感を得、空海に祈願を命じた。 空海愛染明王不動明王が一体となった厄神明王像(両頭愛染明王像)を三体刻み、高野山の天野大社、山城の石清水八幡宮、門戸東光寺へそれぞれ国家安泰、皇家安泰、国民安泰を願って勧請したが、現在残っているのは東光寺のもののみであるという。
 
ということで、由緒あるお寺なのである。この厄神明王像は、空海が刻んだ像なのだねと感心する。
     
境内は、このようになっている。


紹介は、やはり正門からにしよう。南門から、お寺を巻くようにして歩くと石段が見え、正門の看板が現れる。私のように間違える方が多いのだろうね。
 
 
 
この石段を登り切ったところにあるのが正門。数えてなかったが42段ある。
 
 
正門  随分綺麗だなと思ったのだが、阪神淡路大震災で全壊し再建されたのである。
 
 
 

お寺さんの説明では:
表門の下には42段の男厄坂と呼ばれる厄年にちなんだ階段があります。この階段には一段一段登ることで厄を落とすという意味があります。
 
 
 
 中楼門  この下には33段の階段がある。
 
 
 
解りますね。女性の厄年です。
 
 中楼門の下には33段の女厄坂と呼ばれる厄年にちなんだ階段があります。
この階段には一段一段登ることで厄を落とすという意味があります。
 
厄神明王の大提灯 
 
薬師堂  ご本尊の薬師瑠璃光如来をお祀りしている。
 
 
境内の様子。
 
 
 
 
 
 
厄神堂
 
 
 
 
 不動堂 奥の建物である。生憎、戸が閉められていたが、不動明王がお祀りされている。
 
 
 
 大国堂・愛染堂  
 
 
蓮の葉の帽子をかぶり蓮の葉の台座に立つ大黒天と、全身が赤色の愛染明王が祀られているそうだが、拝観時間を過ぎており見れなかったのである。画像を探したが、見当たらず。
 
大師堂 開祖の弘法大師が祀られている。
 
 
手水舎
 
 
 
境内には、 延命魂(根) が展示されている。 木の根っこです。 高野山奥の院参道の樹齢800年を経た老杉の根である。長生きにかこつけている訳だね。
 
 
 
 同じく 宝輪杉。幾百年の歴史を見届けてきた杉である。
 
 
 
 
長寿は喜びであり宝です。
 
とあるが、私はとてもそうは思えない。長寿に 老化=ポンコツ化 がなければ、賛同しますがね。
 
門戸厄神では、毎年11月19日に人形供養祭が行われる。
 
 
それ故、多くの人形がお堂に納められている。
 
 
大変な数のお人形である。
 
 
 
中楼から見た正門
 
 
毎年1月18・19日に厄除大祭が、行われる。昔入ったことがある。屋台が沢山並んで出て、お祭りの行事と共にこれも楽しい。
 
厄除大祭の様子。
 
 
門戸厄神 厄除け大祭
 
 
厄神さん見学をおわって、やくじんさん筋に向かった所に庚申塔がある。
青面金剛の石柱を祀っている。
 
 
 
面白そうなので、検索してみた。その報告。
 
元々は中国の道教からきている。
 
60日に一度来る十干・十二支の庚申(かのえさる)の日の夜に眠ると三尸(さんし)の虫がその人の悪行を天帝に告げ口して、天帝はそれによりその人の寿命を短くしたり、天邪鬼を送り込んで悪さをするという言い伝えからはじまっている。
 

人体には三つの霊的中枢が存在していて、頭部に住む上尸、腹部に住む中尸、 下腹部に住んでいるのが下尸という。

画像では、左から 下尸 中尸 上尸 となっている。
 
それ故、庚申の日は夜通し呑んだりして眠らないようにしようとした。
 
元々は、貴族の催しだったが、それが一般的に広まり、村の人達が集まって庚申の日に夜明かしをする講をつくった。

庚申さんは、仏教では青面金剛様という憤怒尊になっている。門戸の庚申塔でも南無青面金剛と刻まれている。
 
この仏様です。
 
 
お参りをするためには、つぎの御真言を唱えればよろしい。
 
オン デイバ ヤキシャ バンダ バンダ カカカカ ソワカ
 
何のことやらわからぬ。
 
門戸の厄神さん紹介は、これでおしまい。
 
 
 
 

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