特に取材に行ったわけではなく、JR須磨駅周辺で偶々見つけたという神社である。
村上帝社の赤鳥居と参道だが、惨憺たるものですな。お隣は、駐車場と民家です。奥は、山陽電鉄の陸橋。社や地蔵堂も見える。公明党党首のお顔も見えている。
念のため調べてみた。驚いたことに、Wikipediaに掲載されている。
村上帝社 | |
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所在地 | 兵庫県神戸市須磨区須磨浦通4 |
位置 | 北緯34度38分38.3秒 東経135度6分52.4秒 |
主祭神 | 村上天皇 |
村上帝社(むらかみていしゃ)
兵庫県神戸市須磨区にある神社である。村上天皇を祀る。
村上天皇も私にとっては馴染みがないので、調べてみた。同じく、Wikipediaより村上天皇の記事。
村上天皇 | |
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第62代天皇 | |
村上天皇像(永平寺蔵)
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在位期間
946年5月31日 - 967年7月5日 | |
元号 | 天慶 天暦 天徳 応和 康保 |
先代 | 朱雀天皇 |
次代 | 冷泉天皇 |
誕生 | 926年7月14日 桂芳坊 |
崩御 | 967年7月5日 清凉殿 |
陵所 | 村上陵 |
御名 | 成明 |
異称 | 天暦帝 |
父親 | 醍醐天皇 |
母親 | 藤原穏子 |
中宮 | 藤原安子 |
女御 | 徽子女王 荘子女王 藤原述子 藤原芳子 |
更衣 | 源計子 他多数 |
子女 | 冷泉天皇 円融天皇 他多数 |
皇居 | 平安宮 |
(延長4年6月2日(926年7月14日) - 康保4年5月25日(967年7月5日))
平安時代中期の第62代天皇(在位:天慶9年4月28日(946年5月31日) - 康保4年5月25日(967年7月5日))。諱は成明(なりあきら)。
第60代醍醐天皇の第十四皇子。母は藤原基経の娘中宮穏子。第61代朱雀天皇の同母弟。
この神社の創建について、次のような伝承がある。
平安時代末期、琵琶の名人であった藤原師長は唐に渡って琵琶の奥義を極めたいと思い、都を出て、須磨まで来た。その夜、村上天皇と梨壺女御の霊が現れ琵琶の奥義を伝えたので、師長は入唐を思いとどまり、名器「獅子丸」を埋めて都に帰った。
この伝承を題材として能の「絃上」(玄象)が作られた。この伝承に基づき、土地の人が村上天皇を祀ったのが当社であると伝えられる。
師長が琵琶を埋めたという琵琶塚は前方後円墳で、現在は一部面影をのこすものの山陽電鉄本線の線路によって二分されている。
元古墳の一部でした。電鉄は通るし、マンションは建つわで、敷地が小さくなり、それで写真のように貧弱だったのだ。
線路向かいにある、琵琶塚碑。マンションの前に設置。誰が気付くであろうか。
境内だが、小さな公園のようになっている。
石の神明鳥居と村上帝社の石碑。
村上帝社の由緒を記した掲示板。
藤原師長が唐に琵琶留学しなかったので良かったというのも、変な話だね。謡曲自体を知らないので、意味不明にするしかない。
社 防犯カメラが目を光らせているそうです。
狛犬
境内社の正一位 天隆稲荷大明神 を祀る社殿
お狐様
同じく、別の社だが名前は不明。しめ縄の掛かっている社。
なんでこんな所にあるのか、と訝しく思う地蔵堂。一般には、お寺のテリトリーです。やっぱり神仏混淆のせいですかね。
言いたくはない結論・・・・・大して見るべきものはない。
これでおしまい。
(追記:2017年8月15日 記事:村上帝社と関守稲荷神社より分離改変)
神社見学を終えて、JR須磨駅に戻る。以下おまけの写真集。
台風一過、海水浴の季節になった。午後6時近くだったが、海水浴客はまだ沢山いた。2階の駅舎から、その様子を写してみたのだ。
駅前にある海の家KURONBOWの看板が見えますね。
波止の様子。
泳ぐより、砂浜で遊んでいる人が多い。
海上には、ヨットなどが浮かんでおりました。
沖には、タンカーが見える。
海中に浮かんでいるのが、須磨海釣り公園。
この施設
これで、今回はおしまい。
明日から鳴門方面に取材旅行のため、3日ほどブログは休載する。
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