まづ、蛭子神社。かめびし屋の裏手あたりの、周りが民家で囲まれた小さな神社である。境内といっても写真で見るように狭い広場だが、ここは子供の遊び場になっているようだ。
石鳥居だが、まだ真新しい。
半農半漁の町の神社という感じで、石柱にも 豊漁 萬作 とある。 祠は、古そうである。お詣りしようと思ったが、扉は閉められていた。
神戸の兵庫区にも蛭子神社があるが、関連はなさそう。神戸の蛭子神社は、近々紹介する予定である。こちらの神社は検索しても、満足な情報は得られなかった。小さすぎる故であろう。
かめびし屋を出たすぐ先に、川があり流れは2つに分かれている。小海川と古川だが、それらにかかる橋が御幸橋と、
みゆきはし である。 2つの橋でなく、途中途切れているだけで同じ橋なんだけどね。
共に譽田神社への参道である。
この神社は、郷社だがそれなりの規模を持つ歴史ある神社である。 Wikipediaの記述を引用しよう。
誉田神社 | |
---|---|
所在地 | 香川県東かがわ市引田2873番地1 |
位置 | 北緯34度13分53.3秒 東経134度24分12.9秒座標: 北緯34度13分53.3秒 東経134度24分12.9秒 |
主祭神 | 応神天皇 |
社格等 | 郷社、神饌幣帛料供進社 |
本殿の様式 | 三間社流造 |
誉田八幡神社(ほんだはちまんじんじゃ)
香川県東かがわ市の引田にある神社。誉田八幡宮とも呼ばれる。
祭神は応神天皇。旧郷社、神饌幣帛料供進社。
誉田神社(ほんだじんじゃ)は、引田城址の城山西麓に鎮座祀られている。
鳴門香川訪問記 III 讃州井筒屋敷 の引田城古地図を参照。
香川県神社誌では、このように説明されている。
由緒:
承和八年(紀元一五〇一)三月の創祀と傳えらる。
社傳によれば、手置帆負命二十五世の孫忌部宿禰正國 大内郡の領主となり、貢を奉じ帝都に行き、その帰途河内國誉田八幡宮に参籠せしに霊夢あり、神寳二品を得て帰り一を郷内中山に祀り一を忌部家の後園に祀る。
延久元年中山の祠を引田亀山の麓に遷して鎮守となせりと云ふ。
天正年中兵火に罹りしが、同十七年生駒一正之を再営し、社領三十石を寄進す。
松平頼顕興治山に狩猟の節参拝し神號を自書奉納し武運長久を祈りしといふ。
明治五年郷社に列せられ、同四十年九月二十一日神饌幣帛料供進神社に指定さられる。
それなりの格式のある神社です。
御幸橋からの眺め。なかなか宜しい。
それでは、いつものパターンで神社の写真紹介。
譽田神社の標石と狛犬 道路標識が無粋。取り去るべき。ポストは許そう。
一の鳥居 石額には、譽田八幡宮 とある。
二の鳥居と神門を望む。 門柱には、上下和楽 四海昌平 と刻まれてある。 前回も書いたね。
神社入り口の狛犬二基 立派な狛犬である。
銅製の常夜灯
手水舎 写すほどの価値はないが、殆ど癖です。
二の鳥居 こちらは、年代物です。
神馬の銅像
神門
神門には、左右に二神が鎮座なされている。仁王様でないのは珍しいね。残念な事にビニールカバーがかけられているのではっきり見えない。一柱はできたが、もう一柱は特定できなかった。お姿が見えなきゃ意味ないので、記載は省略。
神門から、このようなかなり急な石段を上る。
登りきったところに脇社がある。 正一位 亀山稲荷大明神である。
そのお狐様。何かを咥えていて、表情が恐い。
社
さらに階段があって、その奥にみえるのが拝殿。
三の鳥居
狛犬 こちらは至って可愛い。
拝殿
本殿
社内社の鎮魂社
このような魚の石や
福の石も境内にある。
同じく社内社の高良神社
これで譽田神社の参拝も終わった。Fさんの車に戻り、一路高速鳴門のバスターミナルへ。
1時間と少しで着。Fさんに別れを告げ、2時30分の便で神戸へと帰っていったのでした。
高速鳴門の上りバス停。
これで、鳴門香川訪問記はおしまい。番外で、平賀源内記念館の記事をかく予定。
0 件のコメント:
コメントを投稿