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2015年8月8日土曜日

女優ビビアン・リー

今回は、女優ビビアン・リーの短いお話。

風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役を演じたときは、26歳であった。この時彼女は、善良な弁護士であった夫と一人娘を棄てて、ローレンス・オリビエと同棲中であった。情熱的ではあるが、自己中心的である性質は、役柄そのものであった。


少女時代から、ひたすら大女優になりたいと憧れてきた彼女は、後に夫となるオリビエと比較して批評され、しばしばヒステリー状態になった。その精神異常は、しだいに躁鬱病となって現れた。

さらには、戦争中から発病した肺結核が彼女を苦しめ、結局それが死因となり53歳で世を去る。

Wikipediaの記事を引用する。

Vivien Leigh, Lady Olivierヴィヴィアン・リー
ヴィヴィアン・リー
『風と共に去りぬ』(1939年)の予告編より
本名Vivian Mary Hartley
生年月日1913年11月5日
没年月日1967年7月8日(満53歳没)
出生地British Raj Red Ensign.svg イギリス領インド帝国・西ベンガル州ダージリン
死没地イングランドの旗 イングランド・ロンドン・ベルグラヴィア
国籍イギリスの旗 イギリス
身長161 cm
職業女優
ジャンル舞台・映画
活動期間1933年 - 1967年
配偶者ハーバート・リー・ホルマン(1932年 - 1940年)
ローレンス・オリヴィエ (1940年 - 1960年)
著名な家族スーザン・ファーリントン(娘)
主な作品
『風と共に去りぬ』
『哀愁』
『欲望という名の電車』

ヴィヴィアン・リーVivien Leigh, Lady Olivier、1913年11月5日 - 1967年7月8日)

イギリスの女優。1939年の映画『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラ役と、1951年の映画『欲望という名の電車』のブランチ・デュボワ役でアカデミー主演女優賞を受賞した。『欲望という名の電車』は、1949年にロンドンのウェスト・エンドで上演された舞台版に引き続いてリーがブランチ・デュボワを演じた作品でもある。

リーは、当時の一般大衆からイギリスの名優ローレンス・オリヴィエの二度目の妻としての印象を強くもたれていた。リーオリヴィエは多くの舞台作品で共演し、映画作品でも三度共演している。リーとオリヴィエの結婚生活は1940年から1960年まで続いたが、リーは徐々に双極性障害に悩まされるようになっていった。

その様子は、このようである。

鬱状態に入ると、だらしなくなり、ものを食べなくなり、睡眠薬を飲み耽り、自殺をはかる。また突如、狂騒状態に入ると、心に浮かんだことを、汚い猥褻な言葉で叫ぶ。物を投げつけ、衣服を引き裂いて裸になり、乗っている車や飛行機から飛び出そうとする。

ところが、それから覚めると、彼女は以前の通りの優等生にして絶世の美女に戻る。その繰り返し。

こんな女性が妻ならば大変ですね。それでオリビエも20年後ついに離婚。

しかし、舞台女優としての彼女は、戯曲『欲望という名の電車』の主役ブランチ・デュボア役を欲する。女優としての根性は半端なものではなかったのである。この演技で、2度目のアカデミー賞主演女優賞を獲得。



映画版『欲望という名の電車』の出演陣。
 
左からヴィヴィアン・リーマーロン・ブランド、キム・ハンター、カール・マルデン。この作品でリーはアカデミー主演女優賞、ハンターはアカデミー助演女優賞、マルデンはアカデミー助演男優賞をそれぞれ受賞し、ブランドはアカデミー主演男優賞にノミネートされた。

また、1940年代半ばごろからは慢性の結核の発作に見まわられるようになり、最終的にはこの慢性結核がリーの死因となった。

ヴィヴィアン・リーは、その後俳優のジャック・メリヴェールと結婚したのだが、結核は両肺に広がっていて重体だと告げられる。7月7日、ジャックが舞台から11時半過ぎに帰ったとき、ヴィヴィアンは、ベッドで眠っていた。ジャックは、台所で夜食を作り、15分後にひき返してみると、ヴィヴィアンはベッドから床の上に転がり落ちて死んでいた。彼女は、喀血しその血で窒息して死んだ。
死亡確認は、翌7月8日。

痛ましい死に方ではあるが、彼女は与えられた人生を思う存分に生きたのである。

1999年にアメリカン・フィルム・インスティチュートが発表した「映画スターベスト100」では女優部門の16位にリーが選ばれている。

むべなるかな。


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