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2015年8月28日金曜日

石垣・西表島旅行記 VII 由布島 (1)

月が浜散策をおえて部屋にもどり、出発の用意を済ませる。ホテルで手配ずみのレンタカーに乗りこみ、まづ由布島(ゆぶじま)に向かう。由布水牛車に乗るのだ。

道路自体は、かなり整備されている。イリオモテヤマネコやその他の動物が道路を横切るので、可能な限り安全運転(時速40km程度)するように求められている。貴重な野生動物を保護するためである。

 
車から見た海岸風景
 

前に走っているのが、路線バス。白浜由布水牛車行きの便は1日4本ほどで、車がないと往復は難しい。



所で、道路沿いに無暗に電柱が多く立っていると思わないであろうか。そうなんである。西表島には発電所はないので、石垣島から引っ張てきているのだ。調べたところによると、電力事情はこうなっている:

石垣島には火力発電所があり、石垣島→竹富島→小浜島→西表島という海底ケーブルルートで電気を引っ張ってきている。その電気を西表の各施設、民家や事業所に電線で送っている。後でお見せするが、由布島へは西表島から電柱を建てて電線で送っている。

約30分程走り、9時ころに由布島 旅人の駅に到着。


ここで由布島の入園券を購入する。

往復水牛車・入園料 1,400円(税込)である。まあ、そんな観光客はいないが徒歩でも入場できる。 徒歩・入園料:600円(税込)

水牛車に乗るのが、ここでの最大の観光スポットである。

この水牛車である。


 
由布島の観光マップの看板。
 
 
ここが、由布島入口。デカ目の水牛の像が、渡る人を見送ってくれる。



これが我々の乗る水牛車由布島へは、浅瀬の海が広がっている。左側に見える電柱と電線で、電気を西表島から由布島へ送っている。台風などで倒れないよう、両方からワイアで支えている。

 
 
水牛車に乗り込む。我々観光客だけでなく、売店の職員の方もいた。

 
 
乗務員は高峯力さんで、水牛は海くんである。
 
 
 このような浅瀬を、一歩一歩水牛は牛車を引きながら進んでいく。海峡の長さは、約400m。水牛にとっては、かなりの重労働である。


乗務員の高峯さんの由布島や水牛車の説明を聞きながら、ギッシ、ギッシと水牛車は進む。

海くんの後姿である。


 

横手から、お客を乗せていない若い水牛の引っ張る水牛車が通り過ぎていく。
しばしの遊覧を楽しもう。




水牛車を引かせる訓練なんだろうね。誰も乗せていないので、すいすいと我々を追い越していった。

向かい岸が近づいてきたころに、高峯さんの三線が始まる。沖縄民謡の安里屋ユンタである。お隣の女性は、由布島のショップの従業員の方なのでボカシを入れる必要はない。一応断っておきます。


水牛車の中で沖縄民謡を聞くというのも、乙なものです。
マタハーリヌ チンダラ カヌシャマヨー

 
この曲です。夏川りみ歌。
 

安里屋ユンタ ☆ 夏川りみ Rimi Natsukawa (三線)野原健

15分位かかって、由布島に到着。


仕事を終えて、水牛車待合所に向かう海くん。
 

ここが、水牛車の乗り場。大体30分に1本の割で出発する。

若くハンサムな水牛君のアップ写真。海くんとは、別牛。
 

立派な角に似合わず、とても優しい目をしている。




水牛のマスコットキャラ。名前はついていないようだ。ひょっとしたら、始祖の大五郎かもしれぬ。西表島を指さしている。


パンフ


 島の絵地図と施設の紹介
入園券と一緒にスキャンした。島のスタンプもゲットする。


 
キャッチコピーは、

はなふる楽園、由布島へ。

 ここが水牛車待合所で、中にはパーラーがあり、お土産、飲み物、果物などの販売を行っている。中は冷房を効かしているので、ほっとする。
 


 
待合所横に植えられているとっくり椰子。



水牛車ステーション
 

 この待合所を抜けて、由布島観光が始まる訳である。その詳細は、次回 由布島 (2) で説明することにして、今回の最後はホームページ 亜熱帯動植物園 由布島 および、Wikipediaに基づいて由布島の概要、言い伝え、過去、現在を述べよう。(要するに、知りたいことをコピペしただけ。)


由布島
由布島と西表島
由布島(中央)と西表島(左)
(1977年度撮影)国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
座標北緯24度20分34秒
東経123度56分1秒
座標: 北緯24度20分34秒 東経123度56分1秒
面積0.15 km²
海岸線長2.0 km
最高標高1.9 m
所在海域東シナ海
所属諸島八重山諸島
所属国・地域日本の旗 日本(沖縄県八重山郡竹富町)

亜熱帯植物楽園

由布島と西表島を往来する水牛車


由布島(ゆぶじま)

日本の沖縄県に属する八重山諸島の一島である。
西表島に隣接し、海流によって堆積した砂だけで出来た総面積0.15km²、周囲2.0kmの小さな島で、昼間は観光客で賑わうが定住者はほとんど無く戸数は数戸、人口は十数人を数えるのみである。

概要:
 
由布島と西表島の間の海は、通常は大人の膝に満たないぐらいの深さしかなく、満潮時でも1mほどにしかならない。そのため、由布島と西表島間の観光用の移動手段として水牛車が利用され、島の重要な観光資源になっている。また、潮位が低いときには、徒歩で渡ることも可能である。

由布島と水牛:

水牛車の水牛は、もともと台湾から連れて来られた雄の「大五郎」と雌の「花子」のひとつがいの水牛が繁殖して現在に至ると云われている。水牛は水牛車を引くために2歳からトレーニングを始め、3歳頃から本格的に車を引っ張るようになる。

 過去と現在:

もともと無人の島であり、人が住み始めたのは竹富島・黒島の季節農家西表島・与那良水田を耕作する際に、「マラリア」を防ぐため、蚊のいない由布島に仮住まいを建てて住んだのが始まりと言われています。
 
昭和20年終戦後より昔から通っていた竹富島・黒島からの移住者が徐々に増え、由布島に定  住して農業を営む人たちが増える。

定住者は増え続け、後に部落、公民館を形成するまでになりました。
「マラリア」の終息で新たな産業(パイナップル・サトウキビ)も生まれ島は活気づいていきました。経済的にも豊かになった島民は各世帯で水牛を持つようになりました。(昭和30年頃)
 そんな中、由布島に学校も開校されるほど繁栄していきました。

昭和23年分教場開校 児童生徒数12名
昭和32年島小中学校に改称
昭和37年由布小中学校に改称
昭和40年人口111名 25世帯

当時は石垣島~由布島の定期船(春風丸)も就航していました。遠浅で港のない由布島は大潮の満潮時は着岸でき、潮がない時は水牛車で由布島へと人や物資を運んでいました。
島には商店や、季節的に食堂や、衣類を販売する店も出来るほど賑わっていました。


昭和44年9月26日繁栄期を迎えた由布島を天災が襲いました。台風11号(エルシー)による高潮で大きな被害を受ける。

この惨事によりほとんどの住民は、台風の恐怖と将来への不安から島を出る決意をしました。

昭和46年古見小学校へ統合、23年の歴史を閉じる。ほとんどの島民が由布集落から対岸の美原集落へ移転する。由布部落廃村
昭和47年この年から10年間に渡って由布島に残った西表正治おじぃは「南国の楽園」を夢見てヤシを植え続ける(開園準備)
昭和48年人口4名 2世帯
昭和53年町水道共用
昭和55年人口9名 4世帯
昭和56年由布島植物園開園(水牛2頭・水牛車2台)
昭和60年人口14名 5世帯
平成元年人口10名 4世帯
平成2年明電舎のCM放映で一気に観光客が増える
平成4年レストランを新築移転
平成5年人口10名 6世帯 水牛13頭
平成8年大型台風による高潮で被害を受ける
平成10年人口20名 13世帯 水牛20頭
平成15年人口24名 17世帯 水牛32頭 西表正治おじぃ逝去(享年96
平成16年オオゴマダラの黄金色のサナギを通年観ることができる「蝶々園」がオープン
平成18年1年で6頭の仔牛が産まれ、由布島植物園始まって以来のベビーラッシュ
平成20年30種以上のブーゲンビレアが咲く「ブーゲンビレアガーデン」オープン 水牛39頭
平成21年貝の館オープン この年も6頭の仔牛が産まれた


平成22年では、水牛43頭、水牛車23台、人口23名、17世帯

現在、由布島の水牛は始祖、大五郎と花子の孫世代と曾孫世代が中心となって水牛車を引いています。次世代を担う子牛たちも続々と誕生しています。
台風と西表正治おじい夫婦:

島の人々が消えていく中で、西表正治おじい夫婦は島に残り、再び島に人々が戻ってくることを信じてたくさんのやしの木や花を植え続けていった。そうして現在では、沖縄本島では見ることが出来ない熱帯性の植物がたくさん生い茂り、数々の動物たちが生息している。

 という事で、観光資源を独力で作り上げた西表正治おじい夫婦でのお蔭で、観光地として成り立った島です。96歳まで生きた偉い爺さんですね。

今回は、これでおしまい。


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