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2015年11月10日火曜日

亀岡 寺院編

亀岡日帰り旅行記の3回目。今回は、寺院編亀岡城下町散策で見て廻ったお寺を紹介する。

その前に亀岡市の生んだ偉人の一人である、山脇東洋ゆかりの家を見よう。このような文字のかすれてしまった立て看板が、瓦葺のお家の前にある。はっきりとは読めないのだが、山脇東洋は、日本で初めて解剖を獄舎で行い、その成果を「臓志」で著したとある。


彼の生家である清水家の家屋らしい。


名の知られた江戸時代の医学者だが、Wikipediaでその略歴を調べてみた。

山脇東洋



山脇 東洋(やまわき とうよう) 
宝永2年12月18日(1706年2月1日)- 宝暦12年8月8日(1762年9月25日)

江戸時代の医学者。実験医学先駆者の一人。東洋は後の号で、はじめは移山。名は尚徳、字は玄飛、子飛。子に山脇東門、門下に永富独嘯庵らがいる。

略歴:

丹波国亀山に生まれる。医家清水家の生まれで、享保11年(1726年)に父が門下の法眼山脇家の養子となる。1729年には家督を相続して法眼となる。

後藤艮山から、理論よりも実践を重視する古医方を学び、延享3年(1746年)には唐代の医学書『外台秘要方』を復刻。
カワウソの解剖から陰陽五行説に基づく人体の内景に疑問を抱き、宝暦4年(1754年)閏2月、京都所司代の許可を得て死刑囚の解剖、観察を行う。宝暦9年(1759年)にはその成果を解剖図録『蔵志』として刊行。漢方医による五臓六腑説など、身体機能認識の誤謬を指摘した。

古医方においても人体解剖には抵抗が強かったため批判を浴びるが、国内初の人体解剖は蘭書の正確性を証明し、医学界に大きな影響を与える。

東洋の影響を受け、江戸では杉田玄白前野良沢らがより正確性の高いオランダ医学書の翻訳に着手する。日本医学の近代化に大きく貢献した人物である。

人体解剖書である解体新書を出版した杉田玄白前野良沢らの先駆者といえる。 養生七不可

解剖の行われた場所は、京都六角獄舎である。死刑囚の名も残されている。

解剖された遺体は、屈嘉という38歳の男で、凶悪な強盗犯だったため斬首に処せられた。

その男の解剖図。



山脇東洋の墓所は、亀岡の誓願寺墓地にある。調査不足で、このお寺には行ってない。


それでは、亀岡市のお寺巡りを始める。いずれも小さなお寺です。


法華寺

山門

山門横には、なぜか鳥居があり、奥は休憩所になっている。


また妙見宮の常夜灯があり、

鬼子母神を祀る社がある。神仏混淆の名残でお寺と神社がごっちゃになっているんだろうね。


境内にこのような社がある。七福神を祀っているようである。


本堂

北向地蔵尊
 

 



寿仙院



歴史の説明は、省略。上の案内板を見てください。

本堂



 
道すがらにあるお堂もしくは社。 名前は調べていない。


 

 

 
本門院
 

 
本堂
 

 
 立正安国日蓮像    青年期の日蓮ですね。
 

 
爺さんになった日蓮
 
Nichiren.jpg
波木井の御影 (久遠寺蔵)
日蓮立正安国論
 
 常夜灯

このお寺には、菊の鉢が飾られていた。久しぶりの花の写真である。


 
 南無妙法蓮華経の石碑   
 




圓通寺


通用門


本堂

山門は修復中であった。


見学した寺院の案内は、これでおしまい。

ついでだが、亀岡の酒蔵所を2か所紹介したい。

丹山酒造


ここでは、酒蔵の見学ができる。酒造りの様子をビデオで鑑賞することもできる。



我々はパスした。そんな時間はなかった。

関酒造  褐色の壁を持つ屋敷です。 煙突は、何のための煙突か不明。


この酒造では、地酒 古春 を醸造している。 360ml 入りを購入した。美味しいお酒でした。


お店の中に飾られていた杉玉。なお、撮影許可は店主から頂いている。


薀蓄話:

酒造所では、新酒が出来たときに飾ります。 杉の葉を束ねてクス玉のように丸く、今年の出来に期待と、安全醸造の心を込めて作られます。ここにはお酒の神様が宿っています。


座乱読後乱駄夢人名事典 さんのページから引用。愉快な挿絵ですね。

日本のお酒の神様は、以前紹介した、大物主神(おおものぬしのかみ)。大神神社のご祭神です。 桜井 大神神社  

これで 亀岡 寺院編 はおしまい。

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