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2015年12月13日日曜日

淡路 おのころ島神社

今回は、淡路島おのころ島神社の紹介である。12月5日に、次男が淡路島へのドライブがてら連れて行ってくれた。私の強い希望をワイフが聞き届けてくれて、ワイフから次男に指令が下ったのである。車がないと行けない不便な場所に神社はあるので、有難いことであった。
淡路島ドライブ

おのころ島神社のスタンプ台。スタンプ自体は撤去されている。

淡路花遍路 第五十七番 花の札所 である。


高さ21.7メートルの大鳥居。この一帯のランドマークとなっている。


巨大である。下から眺めた写真。


おのころ神社の碑と周辺のハイキングマップ。


おのころ島神社の航空写真



ここで、例によってWikipediaによる神社情報を与える。


自凝島神社
Onokorojima Jinjya 1.jpg
大鳥居
所在地兵庫県南あわじ市榎列(えなみ)下幡多415
位置北緯34度18分45秒
東経134度46分16秒
主祭神伊弉諾命
伊弉冉命
例祭5月3日
 



自凝島神社(おのころじまじんじゃ)

兵庫県南あわじ市(旧三原町)にある神社である。おのころ島神社とも表記される。

概要:

伊弉諾命(イザナギのミコト)・伊弉冉命(イザナミのミコト)を主祭神として菊理媛命(キクリヒメのミコト)を合祀する。当社が鎮座する丘が両神による国産み・神産みの舞台となった自凝島であると伝えている。このことから縁結びや安産などの御利益があるといわれる。
高さ21.7メートルの大きな鳥居がランドマークとなっている。この鳥居は平安神宮及び厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられる。
難読であるため境内の石標・案内板や周辺道などでは、もっぱらおのころ島神社という表記が用いられている。
当社西側を流れる三原川には朱色の欄干の「おのころ橋」がかかっている。

基本データは、つぎの通り。

御祭神伊弉諾命(イザナギのミコト)
 伊弉冉命(イザナミのミコト)


 

合祀   菊理媛命(キクリヒメのミコト、別名ククリヒメのミコト)

 
摂社八百萬神社
御神徳健康長寿・良縁堅固・夫婦和合・安産塩砂


由緒板



由緒:

当神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきました。
古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世の時、二神は天の浮橋にお立ちになり、天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となる、これが自凝島である。
二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て
先ず淡路島を造り次々と大八洲(おおやしま)を拓かれたと記されています。


境内にある 里深平八顕彰碑。京大出の工学士で、榎列(えなみ)村の村長であった、郷土の誉のお方である。勿論存じあげていない。ネット上には、情報は見当たらない。


 
手水舎  傍らのモミジが色づいてきれいですね。


磤馭盧島神社と表記された石碑。

服部嵐雪の句碑   有名な句ですね。 芭門十哲の一人である。 

梅一輪 一輪ほどの 暖かさ 


 左側にあるのが、幸藤五郎の顕彰碑。この方の情報も見当たらない。

千度石


正殿につづく石階段。

鶺鴒石  つぎの伝説による。

伊弉諾命・伊弉册命の二神様は、正殿前にあるこの石の上につがいの鶺鴒が止まり夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様をお生みになられました。


正殿

邪魔者がいなくなったのでもう一枚。



 

由緒舎 

手前の碑には、

産土(うぶすな)の我が親神よ  とこしえに国の鎮めと おわすこの神

とある。

御神木を祀る

古い夫婦松(こえ松)御神木
 

 
本殿
 
脇社の八百萬神社             伊弉諾命・伊弉册命の御子神様を奉斎している。





由緒舎

おのころ橋  今は干上がっているが、五十鈴川が流れている。



葦原国分社

その石碑

小高い丘の上にある正殿の周囲をとりまく参拝道。


旧鳥居の残骸

天の浮橋分社

 

その石碑

平成御大礼記念舎

最後に真横から写した大鳥居

 
これでおしまい。

1 件のコメント:

  1. この神社は、元々なかったモノ。
    本体は、本殿裏手の高速道の西側高台に鎮座坐す、淡路国二宮(三原郡筆頭)名神大社の大和大国魂神社。
    大和神社/大和坐大国魂神社の分霊を奉迎して創建した分社。創建時期は不明ながら社伝に磯城長尾市命(倭坐大国魂神社初代神主(祭主))や倭宿祢等の名前が伝わるなどかなり古くから存在したと思われます。
    こちら様は、社名にも関わらず祭神はイザナミの尊だと千数百年もの永きにわたり深く信奉されてきました。
    (イザナミ≒出雲の神)
    時代が明治になり、キキ神話を基にした皇国史観、国家神道の下、
    役人がやってきて神社名通りに祭神を大和大国魂大神に復すにあたり、
    併せて、旧来信奉され祭神通りされてきたイザナミ大神を遺棄(神殺し)する訳にも往かず、
    新たな社地を定め其処に遷し祀り創建したのがオノコロ島神社。
    (一切の古記録、伝承がない。)
    明治末期の全景写真では同地にほとんど平地に鎮座。
    これが大正の全景写真ではさすが国生みの神力を盛って現在と同じ高台に隆起?
    、、、国が神話(おとぎ話)に併せるため盛り土して辻褄合わせ、隠蔽工作
    (イザナギ神宮も千数百年の永きにわたり禁足とされ神聖視されてきた当時、拝殿/本殿後ろの円墳(御神体)を二度にわたりキレイさっぱりと破壊。無茶苦茶しよる)

    本殿や八百万神社を拝すると、遥か後背の二宮様/大和大国魂神社を遥拝している形に成ります。

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