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2015年12月16日水曜日

明石 都心回遊路・時の道

週に1度か2度ワイフのピンチヒッターで、垂水の息子の店の皿洗いに出かけている。JR明石駅はJR垂水駅から快速で10分位なので、その行きかえりに立ち寄り、明石周辺の神社仏閣を取材してきた。手伝いついでのお手軽取材である。11月21日と23日の2日間だが、ついこの間と思っていたが、もう1月近くになる。月日の経つのは、ことのほか早いのである。

時系列の記事が編集上最もやり易いので、その方式を採用する。今回は11月21日の訪問記事である。

早朝のJR明石駅


明石城の掘

以前明石城明石公園の記事を書いた。あれから1年以上も経ったのである。(再び)月日のたつのは、思いのほか早いものである。 明石散歩+淡路島岩屋散歩 I


取材するまで気が付かなかったのだが、明石山手の神社やお寺の集まる場所は、時の道として整備されている。いつものことで迂闊な話だが、こういう事を知るのが取材の楽しみでもある。

明石観光協会のホームページより:

都心回遊路・時の道

東経135度の子午線が通る明石は、”時のまち”。それにちなんで、都心回遊路「時の道」が整備されました。明石駅から北東へ、明石城から文化博物館天文科学館を結び、人丸前駅へと続く約2kmの緑豊かなプロムナードです。



という事で、取材し損ねた場所もあるが、上の絵地図に従って写真による散策の記を始めよう。

1. 明石公園・明石城

これについては、既に記事にした。

2. 明石市立文化博物館

この近代的で立派な建物である。


博物館の玄関

 
常設展では「人々のくらしと自然環境」をコンセプトに、明石の持つ歴史上の特色ある出来事や果たして来た役割を8テーマにまとめて紹介しています。また、体験学習室では、火おこしや銅鐸などで弥生時代の暮らしの体験ができるほか、十二単の着付け体験や鎧の着付けコーナーがあります。

この日の催しは、これであった。


時間の関係で、入館できなかったが、屋外に展示されていたモニュメントの写真。

名称はわからんが、鯱なんだろうね。


水車と鯉の滝登りのモニュメント。

 
 
 3. 歩道橋

手前に見えるのがその歩道橋の欄干である。その歩道橋から見た文化博物館


文化博物館から明石神社へ抜ける歩道橋です。橋上から明石海峡大橋天文科学館を望むことができます。

そういえばそうだが、全く見ておりませんでした。画像ではこのようになっている。



 4. 上ノ丸弥生公園

遊歩道を渡り、上ノ丸弥生公園前にでる。 時の道の銅板案内。


上ノ丸弥生公園の石碑



通称、遺跡公園。文化博物館からこの公園の辺りに古墳時代後期につくられたと考えられる上ノ丸貝塚がありました。バカガイやイタボガイ等の貝類の他に、弥生土器や、蛸壺形土器、須恵器、獣骨片、石斧なども出土しました。このことから、当時の海の様子や生活の様子がうかがえます。

その遺跡の模造建築らしい社もあったのだが、全く感心しなかったので写真は撮らなかった。記事にするんだから、写しておけば良かったと思ったが後の祭り。それで建物の画像探しをしたところ、すぐに発見。つぎの建物である。


5. 明石神社

思わず仰け反ってしまったのが、この明石神社である。拝殿から本殿まで鉄筋コンクリート造りなのである。お寺ならばいざ知らず、由緒ある神社としては、あるまじき事だと些か憤慨したのである。この時は事情を知らなかった。神社は、阪神・淡路大震災で被災し、半壊状態が続いていたが、敷地を一部売却し再建費用を工面し、ようやく鉄筋コンクリート造りで再建されたとのことである。再建のためには致し方なかったのである。

神社としては、東照宮系である。

明石神社は明石藩9代藩主松平直常が松平家の先祖の徳川家康松平直良直明の霊を祀ったのがはじまりで、元々明石城内にありました。
明治32(1899)年に現在地に移転され、11代藩主松平直純が建てたと言われる護穀神社の祭神も合祀されました。
境内には明石城築城当時から太鼓門に置かれて城下に時を告げていた「時打ち太鼓」が保存されています。太鼓の胴はケヤキ造りで、城主が太鼓の皮の張替え修理をした年月日や城主名の墨書もあり、昭和49(1974)年には明石市の指定文化財になっています。
真新しいコンクリ製の鳥居


ガラス越しに、明石城太鼓が展示されている。上記の通り、明石市指定文化財である。


ご覧のようにそれ程大きな太鼓ではない。


拝殿

狛犬二基  御影石で作られており、モダンな造形になっている。悪くはないが、首のしめ縄が、似つかわしくないのではないでしょうか?



かっての拝殿にあった明石神社の額


石灯籠

社務所  狛犬や灯篭がなければ民家としか見えないね。


コンクリ製の本殿の屋根

 
上の明石神社の紹介は、自分でも思うが酷である。
 
それで、以前の神社の画像を調べて見た。結構な手間が掛かったが、やっと見つけた。
神社研究部のページにあった。
 
神社の境内 震災後なので、破損状況が酷いらかった。
 

拝殿 悪くない感じですね。

狛犬  しめ縄が似合ってますね。

 
拝殿に祀られていた明石城太鼓
 
 

6. 大聖寺

明治末期に、本松寺の檀家である三国茂三郎がこの一帯に梅林をつくりました。当時は「三国梅林」と呼ばれ、それは美しかったそうです。そして、明治41年に日露戦争の戦死者や祖先を祀るために、梅林の中に大聖寺を建てました。山門を入った左手に六角の慰霊塔と十一面観世音菩薩像があります。
 
山門
 
 
 十一面観世音菩薩像

日蓮聖人像


7. 上ノ丸教会
 
明治39年にアメリカからやってきた宣教師クーパーがプロテスタントの上ノ丸教会をつくりました。現在の会堂は昭和55年に改修されたもので、ヴォーリズ建築事務所(旧八尾政と大丸心斎橋店など設計)による設計です。正面に日時計が掲げられているのはとても珍しく、窓のステンドグラスはフランス製で西日を受けるように設計されています。ドイツには「日時計に一日光が当たっている家には悪魔がよりつかない」ということわざがあるとのこと。

会堂

羊年も僅かですね。

賛歌。 ダビデの詩。

主は羊飼い わたしには何も欠けることがない。



ダビデ像


間違った! こちらでした。



なお、欠ける所だらけの私は、すごすごと教会を立ち去るのであった。



8. 本松寺

9. 妙見社

については、項を改めて記事にする。これらの神社仏閣を見終わって、丁度時間となったので垂水へと戻っていったのである。

今回はこれでおしまい。 IIにつづく。

 

 

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