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2015年12月2日水曜日

奈良県立美術館 浮世絵版画 美の大世界 III 

奈良県立美術館見学の最終回だが、今回は浮世絵版画とは関係がない。企画展に付随して催されていた、大和の古道 「山の辺の道」 を辿る の見学報告である。何事によらずだが、えらく遅くなってしまった。

観覧は企画展の料金を支払えばどなたも無料である。私は企画展も無料だったので、申し訳ない限りであった。

パンフ



紹介文:

奈良県立美術館企画展「- 錦絵誕生250年- 浮世絵版画 美の大世界」において、江戸時代の街道や宿場町を描いた作品も展示することから、同じように人々が行き来した、記紀・万葉の時代からの大和の古道「山の辺の道」の魅力を紹介します。

川端康成をはじめとする多くの文化人の揮毫による万葉歌碑の原書や拓本、美しい風景の写真などの展示を通し、いにしえ人の情景へと誘います。

また、「最新技術による4K映像(山の辺の道の風景映像)」「万葉講話」「万葉衣装体験」等もお楽しみください。

入り口の掲示

山の辺の道の全ハイキングコースとその名所の写真が掲示されている。



案内パネル  三輪山の麓の「山の辺の道」の写真


基本データ:

名称: 天理市・桜井市による連携展示
  ~歴史文化との出会い  記紀・万葉の時代からの大和の古道「山の辺の道」を辿る~
    ※企画展「錦絵誕生250年 浮世絵絵画 美の大世界」 と併催
 
期間: 2015年10月10日(土)~12月6日(日)
 
場所: 奈良県立美術館 新館1階 北展示室内和室
 
料金: 観覧無料 (※別途、企画展観覧料が必要です
 
 
大和の古道「山の辺の道」を辿るオリジナル高品質4K映像コンテンツ『神宿る山の辺の道』が放映されていた。  凸版印刷株式会社が製作した、鮮やかな動画でした。その画像。
 
 
万葉衣裳  高官と女官の装い
 

庶民の衣裳
 
 衣裳体験もできるそうである。
 
山の辺の道の風景写真。
 
大神神社の巫女さん。  桜井 大神神社
 
 
長岳寺のツツジ  天理 長岳寺
 

雪の長岳寺

大和青垣の菜の花    桜井 檜原神社

 
つぎは、文化人の揮毫による万葉歌碑の原書や拓本を示す。
 
東山魁夷  秋野 不矩と並び、私の最も尊敬する現代日本画家の一人。
 
 
 
東山 魁夷(ひがしやま かいい)  1908年(明治41年)7月8日 - 1999年(平成11年)5月6日
 
 

漢語で書かれているが、中大兄皇子の作った歌で、

香具山(かぐやま)は 畝火(うねび)ををしと 耳梨(みみなし)と 相(あひ)あらそひき 神代(かみよ)より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)を あらそふらしき

と読めるそうである。楷書で書かれているが、とても私には読めません。

(大意) 香具山は、畝火山を愛して、耳梨山と争った。神代から斯くの如くだったらしい。古もそうだったからこそ、現実も恋人を争うようだ。
川端康成  



川端 康成(かわばた やすなり) 1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日

余りに有名なノーベル文学賞の受賞者である。ガス自殺により死去。

友みなのいのちはすでにほろびたり、われの生くるは火中の蓮華」の歌が残されている。


大和は国のまほろば たたなづく 青かき 山ごもれる 大和し美し

古事記に収録されている日本武尊の歌(古事記では倭健命)。

 (大意) 大和は国々の中でも格別に優れた国だ。幾重にも重なる青々と木々の茂った山々。その山々に囲まれた大和こそは本当に美しい国だ。
 
父である景行天皇の命により、西に熊襲、東に蝦夷を討ちに行き、精根尽き果てた姿で鈴鹿の山にたどり着き、そこから故郷の大和を望んで詠んだ歌である。その時に次つぎと歌を詠むが、歌い終わると倭健命は病で死んでしまうのである。
 
 
棟方志功
 
 



 
棟方 志功(むなかた しこう) 1903年(明治36年)9月5日 - 1975年(昭和50年)9月13日


痛足川(あなしがわ) 川波立ちぬ 巻目(まきもく)の 
由槻が嶽(ゆつきがたけ)に 雲居立てるらし


(大意) 痛足川には川波が騒ぎ立って来た。巻目の由槻が嶽に雲が湧き起こっているらしい。


岡潔

 
 
 
岡 潔(おか きよし) 1901年(明治34年)4月19日 - 1978年(昭和53年)3月1日
数学者で、多変数解析関数論の研究で文化勲章を受章。


あしひきの 山かも 高き 巻向の 岸の小松に み雪降りけり

(大意) おや、巻向川の川岸の小松に雪が降ってくる。このあたりは巻向山の山裾で、平地に比べて高いせいなのだろう。


武者小路実篤



武者小路 実篤(むしゃのこうじ さねあつ) 
1885年(明治18年)5月12日 - 1976年(昭和51年)4月9日


ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音高しも 嵐かも 疾き 

柿本人麻呂の歌である。 

(大意)  夜になると、巻向川の川音が高く聞こえる。嵐が激しいのかも知れん。
          
中河与一
 
 
         中河与一 (なかがわ よいち)  1897年2月28日 - 1994年12月12日
 


額田の女王

うま酒 三輪の山 青丹よし奈良の山の 山のまにい隠るまで 道のくまいさかるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見さけむ山を 心なく雲の 隠さふべしや

(大意) なつかしい三輪山よ。この山が奈良の山々の間に隠れてしまうまで、また行く道の曲がり角が幾つも幾つも後ろに積もり重なるまで、充分に眺めていきたい山であるものを、たびたび振り返っても見たい山であるものを、無情にもあんなに雲が隠してしまってよいものだろうか。

反歌  三輪山をしかもかくすか雲だにも

(大意) 名残惜しい三輪山をどうして雲があんなに隠すのか。人はともかく、せめて雲だけでもやさしい情があってほしい。


今東光
 
 
 
今 東光(こん とうこう)  1898年(明治31年)3月26日 - 1977年(昭和52年)9月19日


紫は仄(灰)さすものぞつば市の八十のちまたに逢へる児や誰 
 
作者不詳
 
(大意)紫染めには灰を加えてするものだ。その灰にする椿ではないが、海石榴市の四通八達した辻で会ったお前さんはどこの誰ですか、名を聞かせて下さい。


 
 
千玄室
 
 
 千 玄室(せん げんしつ) 1923年4月19日 -



鳴る神の 音のみ聞きし 巻向の 檜原の山を 今日見つるかも

柿本 人麻呂の歌。

(大意) 雷のような大変な評判にだけ聞いていた、この巻向の檜原の山を、やっとのおもいで今日は見たことよ。

以下書を書いた人物は不明である、歌碑の拓本。

パネル

 
石上 布留の神杉 神びにし 我やさらさら恋にあひにける

作者不詳

(大意) 石上の布留の社の年ふりて神々しい神杉のように老いた私が、いまさら思いもかけず恋に取りつかれてしまったよ。

拓本


パネル

未通女等之 袖振山乃 水垣之 久時従 憶寸吾者
(おとめらが そでふるやまの みずがきの ひさしきときゆ おもいきわれは)

柿本人麻呂の歌。 
 
(大意) 布留山(石上神宮の背後の神山、転じて石上神宮境内)に瑞垣(拝殿背後の禁足地の垣)が出来た昔から あなたのことを思っていました。

拓本

 

 
 パネル
 


柿本人麻呂の歌 

衾道を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし

(大意) 衾道を 引き手の山に 妹の屍を置いて 山路を帰ると 生きた心地もない。


 
 大神神社境内の古地図の掛け軸。
 

 
箸墓古墳の模型

 
 長岳寺極楽地獄図のパネル   天理 長岳寺 
 
 
 
 
かって存在した、内山永久寺の境内図。  古代の秘宝アドベンチャー 
 
 
 石上神社の写真パネルと石上神社絵図の掛け軸
 
 
 
 
 
江戸時代神社に納められた銅製の奉納鏡。
 


 

 

随分長くなったが、 奈良県立美術館企画展の鑑賞はこれでおしまい。

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