夢野の厄神さんと呼ばれているそうだが、実体は急斜面の森の中にあるとても小さな神社である。
鳥居
由緒:
夢野八幡神社は、平清盛の福原新都造営にさきがけ、新都の守護神として治承元年(1177)に創祀されたと伝えられる。
安元3年(1177)4月、京の都で大火災が発生し、都の三分の一を消失すると共に、引き続く飢饉で京は荒れ果てた。
清盛は復興が遅々として進まぬのに嫌気がさし、急遽8月4日に都を神戸福原に移す決定をなし、年号を「治承」とした。
清盛は自分の荘園・福原荘に新都 東西十町、南北十五町の条里 を計画し、福原荘全域が展望できる当神社境内において「のろし」をあげ、新都の位置を測定し、条里を決めたと考えられる。
そして、都の繁栄を祈願して、ここに八幡大神を創祀したのであろう。
それなりに由緒はあるが、現在は小さな改築された本殿を持ち、境内に名称不明の稲荷神社の赤鳥居と社があるだけである。境内は非常に狭い。
本殿 扁額には八幡厄神神社とある。
扉はサッシで出来ていて本殿という感じは全くしない。
横から見た本殿 何か物置風です(雑な表現ですみません)。
境内の稲荷鳥居とその社。 お狐様は見受けられない。
鳥居までの急な石段
この石段が唯一の見どころです。実際は大した事はないがね。いずれ全ての神戸の神社をお参りしようと思っているので、この神社の記録も必要なのである。
これでおしまい。
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