道路は非常に狭くなっており、車両の行き来が多い。参道は崖を登るようにつけられている。
北向八幡宮、那須神社、および萩の寺の共通の参道になっている。
参道 崖には木の根っこが露出していて、崩れやすそうである。
この参道を登り切ったところが広場になっていて、そこに北向八幡宮がある。
本殿 新しい社屋である。 なぜか注連縄の一方が無くなっている。 風でとばされたのかもしれぬ。
ここで、神社の基礎データを記しておく。
ご祭神:
八幡大御神(応神天皇) 画像省略
大神宮(天照大御神)
今回は、この錦絵の画像。天の岩戸のシーン。
春日宮(春日大明神)
左端の神である。中央は牛頭天王で、右端は三宝荒神である。
由緒:
八幡神社の御本殿は、北向きに建立されており、通称「北向きさん」と呼ばれている。御祭神は応神天皇といわれているが、平成15年(2003)の大改修時に土に埋まっていた江戸時代中期、享保6年(1721)銘記の三本立て型幣帛からはじめて明らかになった御祭神が春日大明神、天照大御神、応神天皇の三柱と再確認出来ました。
又、一ノ谷の合戦の時、源義経は村人から、御神威が高く、飛ぶ鳥でさえ社殿の上空を飛べない社があると聞き、那須与一に武運長久の代参を命じた。与一は当社に参じ、主君義経の武運長久を祈念すると共に、己の守護神としても崇め、戦乱の後、与一はお礼参りに当社を訪れたが、中風の為に当地で亡くなった。
与一の命日である毎月7日には、守護神である当神社と墓所に多数の善男善女のお参りがある。
本殿の扁額と鈴
小振りの狛犬二基
境内にある石造笠塔婆。 神戸市指定文化財になっているそうだ。
このお堂に祀られている。
扉を開けばお写真を撮る事ができる。南北朝初期(1337年)の笠塔婆なので、相当に古い。ちゃんとお賽銭をあげて、戸締りを済ませました。
境内には稲荷明神も祀られている。この社は高取山頂上の荒熊神社から出張(勧請)してきたようですね。こちらの方は、中を覗いてはおりません。
山の向かい側にも参道があり、社碑と鳥居がある。
写真を撮り忘れたので、上の2枚は5年前のものですが ぶらり散歩路 さんから無断で拝借しました。 すみません。
境内に勧請されている那須神社。 那須与一を祀っている小さな社です。
那須神社の扁額
この神社はふるさと文化財で、那須与一に学ぼうというのが小学校のキャッチコピーになっている。
この神社の基礎データは見当たらない。 那須与一を祀っているとしか書かれていない。
那須与一 扇の的を射貫く
こちらが的の方。
道路を挟んで向かい側に那須与一の墓がある。
墓碑には、那須與市宗高公の墓 とある。
この急な石段を登ったところに、お墓と称するお堂がある。
お寺の本堂みたいですね。
手水舎 もある。
お堂の中は、神社の拝殿のようになっている。いささかはしたないが、金網の隙間から写しました。
境内にあった卒塔婆の山
お墓下の道路脇は崖になっているのだが、そこに一体のお地蔵様が祀られていた。
バス停の上には、高速道路(阪神高速)が走っている。山間の奥まったところにある神社でした。
これでおしまい。
0 件のコメント:
コメントを投稿