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2016年11月7日月曜日

タイ国架空旅行記 V アユタヤ

タイ架空旅行記の5回目は、アユタヤである。

市内のタクシー



アユタヤ遺跡の黄昏





有名な木の根っこに埋まった仏頭



仏塔や寺院などの遺跡群






1351年にウートン王によって建都されてから、1767年にビルマ軍の攻撃で破壊されるまでの417年間、アユタヤ王朝の都としてタイの中心であり続けた都市です。
チャオプラヤー川とその支流に囲まれた地形は水運に恵まれ、17世紀はじめにはヨーロッパと東アジアを結ぶ国際貿易都市として繁栄しました。その都市計画や中央集権制度、国際貿易振興といった近代国家の基盤は、その後のバンコク王朝にも受け継がれています。

苔むした仏塔のチェディ、大草原に悠然と横たわる涅槃像、素晴らしい建築美を誇る歴代王の離宮、かつて栄華を極めた古都の壮大な歴史が眠る遺跡の街・アユタヤ。現代にその当時の姿をつたえる荘厳な遺跡群は歴史公園として整備され、1991年にユネスコ世界遺産にも登録されました。

世界遺産なのである。 Wikipedia による解説。

世界遺産古都アユタヤ
(タイ王国)
ワット・チャイワッタナーラーム
ワット・チャイワッタナーラーム
英名Historic City of Ayutthaya
仏名Ville historique d'Ayutthaya
登録区分文化遺産
登録基準(3)
登録年1991年
備考タイ政府およびユネスコは遺産の具体的物件を明記していない。
公式サイト世界遺産センター(英語)
地図
アユタヤ歴史公園の位置
使用方法・表示

1967年、アユタヤの遺跡を含む地域が正式にタイ芸術局により歴史公園に指定された。
後の1991年には芸術局によるユネスコへの推薦があり、世界遺産(文化遺産)に登録された。

遺跡

ワット・プラシーサンペット

ワット・マハータート

ワット・マハータートにある仏頭

ワット・タンミカラート

大きな画像で遺跡群を見よう。

ワット・プラ・シーサンペット



ワット・マハータート





そして木の根に埋もれた仏頭



ワット・ロカスタヤ





日本人町跡

遠藤周作の「王国への道」という小説がありましたね。山田長政の一生を描いている。


読んだのですが、内容はすっかり忘れています。アユタヤ朝の傭兵隊長でしたね。



関係はないと思うけど、山田長政の邸宅と思いたい アユタヤの遺跡



そのレビューから: 

この小説には、生まれながらにして身分の仕組みがかたく決められた日本の世に飽き足らず、異国の地で一旗あげる為国を飛び出した男と、厚い信仰心を貫いた為に迫害され国を追われた男、祖国を離れはるかかなた異国の地で、現代に生きる私たちでさへ驚嘆するような冒険と行動に生きた二人の男の壮絶な生き様と死に様とが綴られている。

日本が堅く国を閉ざそうとしていたあの時代、黄金のパゴダの国は、居住区を与えていた日本やポルトガルを始め、西洋人アジア人に分け隔てない開放的な包容力を示していたという。

アユタヤ日本人町の跡の碑


Wikipedia の説明。

アユタヤ日本人町(アユタヤにほんじんまち)

14世紀中ごろから18世紀頃までアユタヤにあった日本人町。

15世紀後半から16世紀初頭までアユタヤ王朝下、軍事力と貿易による利潤を背景に政治的に力を持つようになった。

当時のアユタヤ中心地をチャオプラヤー川沿いに南に下った東岸にあり、西岸のポルトガル人街とは相対の位置にあった。南北約570メートル、230メートルの敷地に最盛期で1000~1500人の日本人(タイ族などの使用人を除く)が住んでいたと思われている。なお『暹羅国風土軍記』の資料では寛永期ごろのアユタヤ日本人町の人口を8000人と見積もっている。
アユタヤ日本人町の住民は、傭兵、貿易商、キリシタン、あるいは彼らの配偶者やタイ族の使用人などで構成されていた。

これで5回目のアユタヤ編はおしまい。


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