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2016年11月7日月曜日

タイ国架空旅行記 VII ピマーイ歴史公園とパノムルン歴史公園

今回は2つの歴史公園を紹介する。いづれもクメール遺跡である。

始めはタイのアンコールワットと言われるピマーイ歴史公園である。 本物のアンコールワットについては、以前長い記事を書いた。

カンボジア旅行記 I 
カンボジア旅行記 II
カンボジア旅行記 III 


アンコールワットと同じくクメール遺跡である。 Wikipediaで確認しよう。


ピマーイ歴史公園
อุทยานประวัติศาสตร์พิมาย
寺院の本堂
ピマーイ寺院
所在地ナコーンラーチャシーマー県ピマーイ郡タムボン・ナイムアン
登録日時1936年9月27日 
歴史区分クメール王朝
公式サイト文化省芸術局ピマーイ歴史公園(タイ語)
ピマーイ歴史公園(ピマーイれきしこうえん)


タイの歴史公園の一つ。ナコーンラーチャシーマー県ピマーイ郡タムボン・ナイムアンにあり、クメール遺跡を保存している。


歴史公園の地図
Phimaihistparkmap.png






ピマーイ遺跡は、アンコールへとつながるクメール古道の重要な終着点の一つ。
アンコール遺跡北西260kmに位置し、同じくナコーンラーチャシーマー郊外にあるパノ・ムルン遺跡と、タイ - カンボジア国境にあるプラウィハーン遺跡(プレアヴィヒア遺跡)と並び、タイ国内では屈指のクメール遺跡である。
アンコール王朝の主都アンコール・ワットの副都的な役割を担っていたと考えられている。

歴史:

多くの建築物は11世紀から12世紀の間、スーリヤヴァルマン1世(在位1011年 - 1050年)によって建てられたと見られている。その後、ジャヤーヴァルマン7世(在位1181年 - 1218年)がピマーイ寺院を大乗仏教寺院に改宗した。
また、この遺跡がアンコール・ワット同じ規模であることを考えると、当時ピマーイにクメール人による大きな勢力があったと考えられる。ジャヤーヴァルマン7世の治世の後、クメール王朝の影響が弱まり、スコータイ王朝が勃興すると、ピマーイの重要性は低下し、衰退した。


遺跡群は、外観はアンコールワットとよく似ていますね。

Phimai temple Wikimedia Commons.jpg

ナーガの橋


中央祀堂の踊るナーラーヤナ神


プラッププラー   内部の回廊


他にも名の知られた遺跡として、

プラーン・ヒンデーン

バラモン祠

プラーン・プロマタット

経蔵

があるそうだが、写真は省略する。

つぎはパノムルン歴史公園の簡単な紹介。 段々と調べるのが疲れてきました。

パノムルン遺跡とは、山頂に建てられているクメールの大寺院の遺跡である。



パノムルン歴史公園
อุทยานประวัติศาสตร์พนมรุ้ง
Place PhnomrungPrasat.jpg
所在地ブリーラム県
登録日時1988年
歴史区分クメール王朝
公式サイト文化省芸術局パノムルン歴史公園(タイ語)
パノムルン歴史公園(-れきしこうえん)

タイの歴史公園の一つ。



パノムルンとは、クメール語で「大きな丘」を意味する。タイ東北部ブリーラム県チャルームプラキアット郡タムボン・ターペックにある死火山の山頂(海抜400m)に位置するアンコール期のバプーオン様式寺院で砂岩とラテライトで建築されている。

1971年から1988年まで17年に及ぶ復旧作業の後、1988年5月21日に歴史公園として指定された。



横たわるヴィシュヌ神




歴史:


ピマーイ歴史公園同時期の10世紀から13世紀あたりにかけて増築されてきたと見られる。さまざまな石碑を判読した結果によると、アンコール王朝のラジェンドラヴァルマン2世(AD944年-968年)が最初期に礼拝所をパノムルンの丘に建立し、シヴァ神に捧げたとみられる。
13世紀頃にパノムルン周辺を所領とするマヒンドラプラ家のナレーンドラティットが大規模な寺院を建立したという。


地図



中央祠堂に向かう参道


中央祠堂


ナーガの渡り橋  2つあるそうだ。 もう一つを調べる元気はない。


これでタイ国架空旅行記はおしまい。丸2日がかりで7回分一気に書き上げたのでとても疲れた。

次回はリアルのタイ国旅行記を書きたいものです。

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