まづ先行知識として、以前紹介したWikipediaの解説記事の再録。 タイ国架空旅行記 VII ピマーイ歴史公園とパノムルン歴史公園
パノムルン歴史公園 อุทยานประวัติศาสตร์พนมรุ้ง | |
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所在地 | ブリーラム県 |
登録日時 | 1988年 |
歴史区分 | クメール王朝 |
公式サイト | 文化省芸術局パノムルン歴史公園(タイ語) |
タイの歴史公園の一つ。
パノムルンとは、クメール語で「大きな丘」を意味する。タイ東北部ブリーラム県チャルームプラキアット郡タムボン・ターペックにある死火山の山頂(海抜400m)に位置するアンコール期のバプーオン様式寺院で砂岩とラテライトで建築されている。
1971年から1988年まで17年に及ぶ復旧作業の後、1988年5月21日に歴史公園として指定された。
歴史:
ピマーイ歴史公園と同時期の10世紀から13世紀あたりにかけて増築されてきたと見られる。さまざまな石碑を判読した結果によると、アンコール王朝のラジェンドラヴァルマン2世(AD944年-968年)が最初期に礼拝所をパノムルンの丘に建立し、シヴァ神に捧げたとみられる。
ラジェンドラヴァルマン2世の記事は、Wikipediaでは見つからない。当然画像もない。シヴァ神の画像は沢山あるのでこちらをアップする。
踊るシバ神
そういえば、インドの神様というシリーズを始めて途中で頓挫したことがある。
インドの神様 ヴィシュヌ神
インドの神様 ガネーシャ
ワイフもだいぶ元気になったことだし、このシリーズも再開したいけど当分無理ですな。
ラジェンドラヴァルマン2世の記事は、Wikipediaでは見つからない。当然画像もない。シヴァ神の画像は沢山あるのでこちらをアップする。
踊るシバ神
そういえば、インドの神様というシリーズを始めて途中で頓挫したことがある。
インドの神様 ヴィシュヌ神
インドの神様 ガネーシャ
ワイフもだいぶ元気になったことだし、このシリーズも再開したいけど当分無理ですな。
13世紀頃にパノムルン周辺を所領とするマヒンドラプラ家のナレーンドラティットが大規模な寺院を建立したという。
その大規模寺院の遺跡
その大規模寺院の遺跡
地図
それでは見学記を始める。
パノムルン遺跡の公園碑
公園入口 管理官のおじさんが1人いるだけ。
入り口から長い参道がつづく。
参道脇には火山岩がゴロゴロ転がっている。
参道横の遺跡
中央祠堂に向かう参道の階段
最初の階段を昇った所に狭い十字テラスがあり、そこにナーガ像が四方にならんでいる。各方向に四体づつある。そのうち進行方向にある四体を撮影した。左右対称なので、まづ左側の二体を撮影。貫禄のある五頭のナーガです。
右側二体は後ろ姿のみ。
再び階段をエッチラオッチラ登っていく。
階段を上から撮った写真 途中草臥れて休んでいるご老人も沢山いる。ツアーの人ばかりですが。
中央祠堂 すっくと立つ女性は全く知らない方なので修正しない。
頂上から参道を望む 休まずに登って来れました。我ながらエライ。
山頂からの眺め 大平原がずっと続いている。
神殿門前のナーガ像
神殿の城壁
神殿前 写し忘れたので某広告画像から拝借。
神殿門
門のレリーフ シバ神が描かれている。
門を通り神殿の中に入る。そこは外回廊になっている。
そのまま外回廊を抜けて内回廊にはいる。内回廊の門にはやはりこのようなシバ神のレリーフがなされている。
内回廊
シバ神の乗り物である 聖牛 ナンディン
人間は乗ってはならない!
回廊には蓮の花を刻んだ四角い石柱が置かれていた。
胴体のない王の立像(と思われる)
回廊門のレリーフを眺めよう。
千手観音ならぬ十手神
細部まで細かい彫刻がなされている。
お堂 ラテライトのブロック造りで、10世紀頃の建造物らしいが詳細は不明。
小祠堂
別の方向からの写真 こちらの面のレリーフは保存状態が良い。
本殿である高塔
ここが写真を撮るベストポイントだそうです。 疲れ気味の爺さんが写っている。
本殿の写真集 ヒンドゥーの神々のレリーフが売りです。ゆっくりご覧ください。
壁の数珠玉みたいな意匠。 アンコールワットでも山ほど見たのを思い出した。
下から高塔を見上げる。
尖塔に向かってナーガ像が積み重なっている。
遺跡はもう充分に見ましたね。写真はもっとあるんだけどこの位にする。同じようなレリーフばかり見ていると素晴らしい彫刻ても飽きてくるもんね。
中庭のため池 蓮の葉が浮かんでいた。編集しているとこちらの画像のほうがほっとする。
神殿の見学を終え、外にでる。 夕暮れが近づいてきた。大平原の眺め。
頂上から参道を望む
途中見学の皆さんも十字テラスで一休み。 ツアーの方々はずっと前方で個人情報は守っています。念のため一言。
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