葬祭殿前の駐車場
葬祭殿入り口にある土産物屋通り。ワンダラー、ワンダラーというしつこい物売りの声を無視して進む。ラ ショコラム(No thank you)と言えばよいと後でガイドさんから教わる。
奥に見える建築物がハトシェプスト女王葬祭殿である。三階建ての建物のように見えるがそうではない。三層構造になっている。
ガイドブック(地球の歩き方のこと。以下同様)では、見開き2ページでその写真が載せられていて、このように神殿前のテラスが広がっている。
上の写真より見やすい画像を見つけたのでアップする。
このように墓所としては絶好のロケーションにある。
ここでWikipediaから葬祭殿の基礎情報をゲットする。
ハトシェプスト女王葬祭殿
エジプト・ルクソール西岸にある古代エジプト唯一人の女性ファラオ、ハトシェプストが造営した葬祭殿。ハトシェプストの側近で建築家センムトが設計を行った。後にトトメス3世によって壁画や銘文が削られるなど一部破壊を受けた。手前にはメンチュヘテプ2世の王墓があり、あわせて、デル・エル・バハリ(Deir el-Bahri。アラビア語で「北の修道院」)とも呼ばれている。
ハトシェプスト(ラテン文字表記:Hatshepsut)
古代エジプト第18王朝第5代のファラオ(在位:紀元前1479年頃 - 紀元前1458年頃)。
父はトトメス1世、母はイアフメス。夫はトトメス2世、娘はネフゥルウラー。
夫であるトトメス2世は妾腹の息子トトメス3世を次の王にせよと遺言したが、トトメス3世は幼かったため、以後22年間にわたり共治王を務めた。実際には在位中、彼女が絶対的権力を保有していた。公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられる。ハトシェプストの意味は「最も高貴なる女性」である。即位については、トトメス3世を無視してプロパガンダを用いファラオの地位まで登りつめるほどの野心家であったと見るか、夫の遺言を守るために幼い継子が成人するまでの「つなぎ」を果たそうとしたと見るか、諸説ある。
治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によってエジプトを繁栄させた。
一寸注釈を加える。プロパガンダとはこういうことである。自分の王位を正当化するため「母はアメン・ラー神と結婚して私を生んだ。だから私は神の子である。」 こう主張して幼いトトメス3世と共治王についた。しかしその実質は王そのものであった。その後単独王位についたトトメス3世は、恨み骨髄で彼女のレリーフや像を破壊した。(そうではないという最近の説もある。ザヒ・ハワス)
このプロパガンダによるとトトメス1世=アメン・ラー神となるが、トトメス1世を調べてみるとアメン神官団を後ろ盾にしていたとされ、彼がアメン・ラー神と称したとは書かれていない。まあ、王位を簒奪するためのハトシェプストのでっち上げです。
Wikiの記事にはこのような記載もある。
1997年11月、ルクソール事件の現場となり外国人58人を含む62人が亡くなる事件が発生し、その中には多くの日本人新婚旅行者も含まれた。
20年前の痛ましい事件ですね。記憶にありませんでした。 試しに調べて見るとWikiに記載がありました。旅行中ずっと観光警察官が付いてきて警備が厳重なのは、このようなことがあったからでしょう。
ルクソール事件(ルクソールじけん)
エジプトの著名な観光地であるルクソールにおいて、1997年にイスラム原理主義過激派の「イスラム集団」が外国人観光客に対し行った無差別殺傷テロ事件。別名、エジプト外国人観光客襲撃事件。
この事件により日本人10名を含む外国人観光客61名とエジプト人警察官2名の合わせて63名が死亡、85名が負傷した。なお犯人と思われる現場から逃亡した6名は射殺された。
葬祭殿の入り口事務所に設置してある復元模型。
ハトシェプスト女王葬祭殿の遠景
葬祭殿の背景となる岩山
トロッコみたいな電気自動車に乗り込んで第一テラスの手前まで行く。歩いて行くと結構な距離になるので、乗り物を用意してくれている。
葬祭殿の概略図(ガイドブックより)
第一テラスの正面からの眺め
望遠にするとこのように見える。 第一テラス正面奥に見えるのが第一柱廊。
左側にある葬祭殿跡 列柱が一部残っている。
葬祭殿の衝立ともいえる崖
スフィンクス
坂道を上って第二テラスにでる。そこでの風景
第二テラス左側に並べられている巨石
葬祭殿の左方部 下層が第二柱廊
同じく右方部分
右方壁部分
第二テラスの奥左方部分は第二柱廊になっている。 右方部にも同様の第二柱廊がある。
第二柱廊の左横にあるハトホル女神礼拝所の列柱室を見学する。
列柱室の壁に描かれたレリーフ 雌牛の姿をしたハトホル神、右側はアヌビス神。
階下から見上げたオシリス神 三層目にある。
列柱
ホルス神の描かれた柱
残されている着色されたレリーフ
女王が行ったプント国との交易の様子を表したレリーフ。解りづらいが、上部には船が描かれている。因みにプント国とは今のソマリア辺りかスーダンとエリトリアの間の紅海に面した地域にあった王国と想定される。
至聖所 暗くて中の壁画が良く見えない。
列柱室を出て第二柱廊にはいる。
から連れて来た水牛、カバ、天秤などが描かれているそうだが、はっきり見えませんね。
第三テラスに通じる参道(坂道)の脇にあるホルス神の像
その参道
石段を登りつめるとオシリス神の列像がある。
現在10体のオシリス神が残されている。大変優しいお顔をしているが、これはハトシェプストの顔を形どっているとされる。女性だが男装をしてつけ髭も付けている。
ここで悪い癖が出てしまうのであるが、その10体の画像を全てアップする。見ている方がウンザリするのは承知の上ですが、コンプリートしたいという欲が無駄に働いてしまう。
これは頭部のみ。
中庭への門
第三テラスの様子
アメン神を祀る岩窟至聖所に入る門 中には入れませんでした。
ハトシェプスト女王の頭部の削られた像やレリーフ
第三テラスにある列柱
壁に彫られた象形文字(ヒエログリフ)
色鮮やかに残っている壁画
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