メナハウスホテルでの朝。 前回ホテルの説明をしていなかったので、ここで簡単な説明を加える。 英語版のWikipediaから適当に抄訳したもの。 ガイドブックでは、チャーチルとルーズベルトがカイロ会談を行ったホテルと記されている。
1943年11月25日です。 蒋介石も同席していたのですね。知りませんでした。
メナハウスホテル
メナハウスホテル
エジプトのカイロの郊外に位置するホテル。エジプトの観光&ホテル総合商社(EGOTH)が所有。
歴史:
メナハウスは当初狩猟用のロッジとして建てられた、"Mud Hut"( "泥小屋")と呼ばれる2階建ての小屋であった。この建物は、 エジプトのイスマイル・パシャ王のために1869年に建てられた。
王はロッジを売却し、その後英国人の手に渡る。彼らは、1886年にザ・メナ・ハウスとして一般に公開した。 ホテル名は、最初のエジプト王朝のメナ(Mena)王に因んで名づけられた。
第一次世界大戦中、ホテルはオーストラリア軍によって徴収され、1939年にオーストラリア人によって再び占領され、オーストラリア軍の病院に転用された。
その後オベロイホテルが1972年にホテルの経営を引き継いだ。特に1977年12月、エジプトとイスラエルは、和平合意を求めて(米国と国連代表も参加して)このメナハウスで会談を行った。
このメナハウス会談の結果は、エジプトのシナイ半島の主権を回復させたキャンプデービッド協定につながった。
第二次世界大戦時中、連合国の対日方針が議論されたカイロ会談の舞台でもある。
その後EGOTHの所有となる。
ということで、歴史的にも重要な役割を果たしたホテルである。
有名な滞在客:
前述のチャーチル、ルーズベルト、蒋介石 以外に
アーサー・コナン・ドイル卿とその妻
エジプトのファルーク王(モハメド・アリ)
リチャード・ニクソン大統領
アガサ・クリスティ
ロジャー・ムーア
セシル・B・デミル
チャールトン・ヘストン
フランク・シナトラ
チャーリー・チャップリン
などである。
全く知りませんでしたが、そんな最高級のホテルなのでした。年金生活者の私が泊れるとは思いもしません。個人旅行に近いツアーに参加しただけですのにね。円高、エジプトポンド安のお蔭でしょう。
メナハウスの絵葉書
それではホテルで写した写真とグルメ写真を紹介する。
朝7時に朝飯を摂るため息子達と一緒にホテルの部屋をでる。朝靄がかかっている。
後方が客室の並ぶ棟 広い中庭で一面に芝生が敷かれている。
大ピラミッド(クフ王のピラミッド)が庭から見える。
浅いプールがあり、その水面に映るピラミッドが写真スポットである。
レストラン前
昨日は暗くて良く見えなかったレストランの建物
さて朝食は、ブュッフェ形式で私の選んだのはこれ。見ればわかるので説明は省略する。ブルーチーズをパンに乗せてせて食べると美味でした。野菜はしっかりとっています。
卵ポタージュスープとコーヒー
デザートのスモモ(酸っぱい)、ナツメヤシ、グレープフルーツ
朝食をおえてホテルの中庭を散策。
このゲートをくぐりエレベーターで2階の部屋228室に戻るわけだ。何故か階段はない。部屋番号は奇しくも私の誕生日の番号であった。それで部屋番号を覚えている訳だ。
写真奥はエントランスの建物
この建物
エントランスに植えられていた一輪草のような花。
部屋に帰り一休み。8時10分前になったので、エントランスに向かう。 ここにバスが駐車する。
その入り口にトナカイと共にいるサンタさん。 エジプトではまだクリスマスが続いている。
ホテルのロビー 立派な造りで、床は大理石!
イスマイル・パシャ国王の銅像
階上は広間になっている。野次馬根性で少し覗いてみた。
このような重々しい雰囲気の歓談室がある。
一般客には立ち入り禁止であった。凄いものですなと感心して、ロビーで待つ。すぐにバスが来てギザのピラミッドに向かう。ホテルからは10分もかからない距離にある。
次回からはピラミッド観光編である。今回はこれでおしまい。
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