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2017年3月17日金曜日

エジプト旅行記 XXVIII

今回は、中休みの旅行記事である。スフィンクスを見学後、レストラン Sun Z で昼食を取る。

クフ王のピラミッドの見える場所にある。


店内の様子


人気の店らしく、我々グループが入って来たときもほぼ満席でした。予約を入れておかないと利用できないようです。

海外グルメもこのブログの目的の一つなので、早速紹介する。

モロヘイヤスープ  モロヘイヤを粘りの出るまで刻んで作るスープで、クレオパトラの美容の元となったと言われている。




エビのグリル(残骸のみ)と白身魚のソテー、および焼飯。


デザートで、エジプト菓子のバクラバ。


全て美味しく頂くかせて貰った。

昼食後カイロのエジプト考古学博物館へ向かったのだが、その車中から眺めた景色。

エジプトのビルには余りハデな色彩は使われていない。大体がこのようなレンガ色ばかりである。日射が強くてペンキはすぐ剥げてしまうし、砂嵐もあるとすれば、このような色彩に落ち着くのであろう。


それと特徴として窓が少ない上に小さい。部屋では暗くして過ごすというのが標準的なようだ。こんなに直射日光の強いところでは当たり前といえる。


建設途中のビルが無暗に多い。ガイドの説明では、一般市民は銀行ローンを組めないので自宅を途中まで建設して、お金が溜れば上に継ぎ足して建設するからだそうだ。


給水塔のようだがこれも建設中である。 中央の白いコンクリのビルは建設時に完成されている。窓のデザインからそれが分る。見た所このようなビルはむしろ少ない。
一方、レンガ積みのビルはそのほとんどが完成していない。最上階部分が建設中になっている。美観は頗る良くないが、商業看板は全く見受けられない。


ビルの屋根の至る所にパラボラアンテナが置かれている。衛星中継でTVを見るそうで、視聴料は無いそうだ。国営放送はあるが、NHKみたいに金は取らない。取れないんでしょうね。なおケーブルTVの放送もあり、これは有料との事。


ビル一つとっても、所変われば品変わるという事ですね。

カイロのナイル川岸の高層ビル 色彩は別にしてデザインは悪くない。窓も多く都市ビルとしての面目は保っている。



季節柄晴れているのは有難いが湿気が多く、旅行中はいつもこのように空は霞んでいた。クリアーな写真が撮れなかったのは残念でした。

今回はこれでおしまい。


エジプト旅行記 XXVII

引きつづきギザの観光である。今回は三大ピラミッドと並んで有名なスフィンクスの見学。

クフ王のピラミッド南側にある衛星ピラミッド。女王のために建設されたピラミッドとされる。



カフラー王の母であるヘヌトセンのピラミッド


クフ王の妹であり妻でもあったメリテレスのピラミッド


杭石の列 



写真では写っていないが、左側にも崩れたもう一基のピラミッドがある。クフ王の母・ヘテプヘレスのピラミッドである。 さる旅行社のブログページからその画像を入手したので記録のためアップしておく。



ご覧のように3基ともピラミッドとしての規模は小さい。
それに比してクフ王のピラミッドの巨大な事!

ラクダの乗り場  安易に乗ると大金をふんだくられる。


三大ピラミッド
スフィンクスの見学場所にバスで向かう。 

車窓から見たスフィンクスの全体像。


スフィンクスの正面像。 その背後に参道とカフラー王のピラミッドが見える。


バスから降りて、カフラー王の河岸神殿に向かう。


河岸神殿の石柱


床はルクソールアラバスターで造られている。


神殿を抜けると、正面は四角い巨大な窪地になっており、その中央にスフィンクスが坐している。


頭部


鼻とヒゲはないが、凛々しいお顔である。鼻はアラブ人の侵攻により削りとられ、ヒゲはイギリス人により持ち去られ現在大英博物館にある。

観光風景


スフィンクスをこの目で見たという証拠写真   隣の赤ちゃんが証人。




ここで、Wikipediaからの解説を引用する。


ギザの大スフィンクス(Great Sphinx of Giza)



巨大なスフィンクスの石像である。古代エジプトの古王国時代に作られ、カイロ郊外、ギザのギザ台地の、三大ピラミッドのそばにある。
一般には単に「スフィンクス」と呼ばれることも多い。現代アラビア語では「畏怖の父」の意味。

全長73.5m、全高20m、全幅6m。一枚岩からの彫り出しとしては世界最大の像である。 ちなみに、頭の部分だけ、別の場所から運ばれてきた硬質石灰岩で造られており、完全な一枚岩ではない。

ガイドブックからの追加説明:

スフィンクスはファラオの顔とライオンの体を持つ神聖な存在とされていた。敵を打ち滅ぼし王家や神々を守護すると考えられており、死後に神格化したファラオと猛獣の王ライオンを組み合わせて生み出された伝説だといわれている。

有名なスフィンクスの謎というのがありますね。

朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か

という問いで、答は人間というやつです。

でもこれは、ギリシャ神話にあるお話でエジプト神話にはない。ギリシャ神話では、スフィンクスは、ライオンの身体、人間の女性の顔、鷲の翼を持った存在として描かれている。
なぞ解きやゲームを好む怪獣である。

画家モローの描くところのスフィンクス   頭部と胸はとても色っぽいですね。



オイディプス神話によれば、フェキオン山に住んでいたスフィンクスは、旅人を捕らえて謎を出し、答えられぬ者を食べていた。この謎が解かれた時スフィンクスの災いから解放されるであろう という神託をテーバイ人達は得ていたため、この謎を解くべく知恵を絞ったが 何人も解く事は出来なかった。テーバイに来たオイディプスはこの謎を解き、スフィンクスに言った。 答えは人間である。
何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、 老いては杖をついて三つ足で歩くからである。

最近はつえを2本ついて歩く老人を見受ける。それに車椅子の老人も多い。3本足では死ねないことになってきた。厄介なことです。

脱線した。

実際のスフィンクスに戻る。この巨大石像は石灰岩の丘を彫り下げて建造したもので、その四角い窪地の中にスフィンクスは位置している。

窪地の周りは高台になっていて、その片側が観光用の通路になっている。

通路


それではスフィンクスの拡大写真集である。 巨大なので部分写真を組み合わせる。

ななめ正面前足部分


横顔


胴体と後ろ足

後頭部


臀部


後方からの全体像  巨大ナメクジのようである。


窪地の角



スフィンクスは前半身の状態からも分るように、首や背中の部分は風により浸食されている。その理由の説明(by Wikipedia):

ギザ台地の石灰岩は硬い層柔らかい層が交互に積み重なっている。胴体の凸凹は硬い層より柔らかい層が風化により差別侵食された結果である。それに加え、ギザ台地はその由来から塩分を多く含み、毛細管現象により表面に析出した塩分が膨張することで表面が脆くなって剥離し、大スフィンクスは建造以来常に、そして現在も、崩壊し続けている

スフィンクスのような堅牢な石でできた歴史遺産とて崩壊は免れない。ピラミッドより寿命が短いとは意外であった。

今回はこれでおしまい。


2017年3月15日水曜日

エジプト旅行記 XXVI

ブログを書く時間がなく又もや開店休業状態になってしまった。諸々の事情があり、私としては致し方の無いことでした。この旅行記を中途半端で終わらすことなく、気力をふり絞ってつづけることにします。

今回はギザの3大ピラミッド観光の後篇で、太陽の船博物館の見学記である。博物館はクフ王のピラミッドの南側にある。



上の写真ではわかりづらいが、建物は船の形をしており、つぎの写真のようにピラミッド側はガラス窓が張り巡られている。斬新なデザインです。




太陽の船は通称で、 通常はクフ王の船と呼ばれている。 Wikipediaでは、このように解説されている。


クフ王の船(クフおうのふね、通称「太陽の船」)

1954年および1987年にギザの大ピラミッドの付近で発見された2隻の船である。クフ王の船は紀元前2500年頃、古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオであったクフのために造られたとされている。


復元されたクフ王第一の船(正面)

クフ王第一の船は全長42.32m、全幅5.66mもの大きさで、古代の、最も古く、大きく、保存状態の良い船の1つである。主にレバノン杉板で作られていた。

発見の歴史はこのようになっている。

1954年にクフ王ピラミッド南側で発見される。第一の船は、649の断片に分解された状態で、台地に掘られた石坑に封をされていた。そのため、船は発見されるまで全く乱されていなかった。エジプト考古庁により、28年の歳月をかけ再現され、特にエジプト人のアフメッド・ユーセフはこれらの断片を14年かけて組み立てた。

アフメッド・ユーセフ

同様に第二の船についても、石杭が見つけられその存在は予想されていた。吉村作治の率いる
早稲田大学エジプト学研究所が1988年電磁波レーダーを用いた地中探査を行い木材反応を確認、翌1988年アメリカ隊が石坑内部を小型機器で視認、もう1隻の別の船体が発見された。




世間で流布されている吉村作治が、第一の船の発見に触発され第二の船の存在を確信してそれを探り当てた(同様にクフ王のピラミッドの秘密の地下室も発見)というのは正確には正しくない。ハイテクの機器を用いて、予想されていた存在を確認したというのが実情のようです。

勿論それでも日本人としての吉村作治と早稲田グループの貢献は素晴らしいと思っている。

こちらは「クフ王第二の船」と呼ばれ、発掘・保存・復元はエジプト考古庁早稲田大学エジプト学研究所が共同で行うこととなり、2011年6月23日より約5年間の予定で発掘が進められている。2012年2月20日より埋設現場から木製部材の採取を開始しており、600以上の木片を回収し木造船を復元する予定。

ということで現在復元中のようです。復元が完成されれば、新しく建造中の新考古学博物館に展示される予定である。日本からは484億円を供与する手はずになっている。

太陽の船博物館では、第一の船の資料展示がなされている。

館内に入るには、砂が入るのを防ぐため大きな靴カバーを付ける。

館内の1階部分



展示品を見ていく。

発見された石杭が積まれている様子。実際はもっとびっちりと被せられていた。


この石杭の下の船が断片に分解されて埋め込まれていた。


発見された当時の、木材が積み込まれている様子の写真。


王の船室の屋根(二重にカバーされている)


船を組み立てるのに使われたロープ。ハルファという草から作られたロープである。


船の主要部を結びつけるのに用いられた、複雑に組み合わされたロープ。


発掘当時の写真

並列する石杭


 全石杭の並んでいる様子と、それらを持ち上げて船が現れてきた状態を示した写真。


発見された組みひもの山


発見された当時の船の分解断片が収納された状態


当時のナセル大統領も視察に来たようです。


第一の船を再現する当時の作業状況を示した写真


第一の船の復元模型

中央に王の船室があり、その後部にオールが並んでいる。


館は中央部分が吹き抜けになっており、そこに復元された太陽の船が展示されている。船の周囲を取り巻くように通路が付けられていて、船の全貌が様々な方向から見学できるようになっている。

それでは、実物のクフ王の船を後部から見ていこう。





王の船室

舳先 


舳先部分からの眺め





クフ王の船を見てご満悦の爺さん


階上の少し離れた所から見ると、王の船室は空っぽで豪華という気はあまりしない。


吉村作治の著作では、太陽神ラーの元、復活する王を運ぶ儀式の船と断定的に書かれている。そのためこのクフ王の船太陽の船と呼んでいる。しかし、実際は水で使用されたと見られる跡があった。

現在の研究では、クフ王が死んだ際、メンフィスからギーザまで王の防腐処置を施した死体を運ぶために使用されたか、クフ王自身が巡礼地を訪問するのに「巡礼の旅船」として使用されたのではないかとされている。

当時の豪華絢爛たるクフ王の船がナイル川を曳航する様子を見たかったものです。

今回はこれでおしまい。