メンフィスの野外博物館を見学してから、バスはサッカラにあるジェセル王のピラミッドへと向かう。
その途中の車窓写真
イスラム寺院だと思われる。 この塔の上からアザーンの声が流れる。
名前はわからないのだけど、小さな川の両岸の風景。
サッカラのカーペット学校
サッカラは産業もなくむしろ貧しい地域である。サッカラの産業振興と青少年育成の為に絨毯作りを教えている学校がつくられている。バスから何校かのカーペット学校が見受けられた。
上とは別のカーペット学校
エジプト絨毯にはペルシャやイランのような絨毯製作の伝統はなく、むしろ青少年の技術教育と働く場を与えるために設立されたものである。見学もできるし、各種の絨毯も販売しているそうである。
ユーカリの大木
ジョセル王の階段ピラミッドコンプレックスの入場口に着いた。 目の前に見えているのがその階段ピラミッドである。
ここで入場チケットを購入する。 以前の入場券の画像も一緒にアップする。
ダハシュールの屈折ピラミッド 40 エジプトポンド
メンフィス 野外博物館 40 エジプトポンド
サッカラの階段ピラミッド 80 エジプトポンド
田舎なので値段はそれほど高くはない。
だだっ広い駐車場で、監視員の小屋がポツンとあるだけ。
遠景 ピラミッドの周りを取り囲む壁が見えている。
ジョセル王の階段ピラミッドの上部分が見える。 まだ修復中の足場が残っている。
ここでWikipediaからピラミッドの説明を頂く。
ジェゼル王のピラミッド
ジェセル王のピラミッド (Pyramid of Djoser)
古代エジプト時代、第3王朝のジェセル王によってサッカラに建設されたピラミッドである。
サッカラのピラミッドともいう。典型的な階段ピラミッドであり、単に階段ピラミッドともいう。
史上初のピラミッドとも言われ、その建設方式や宗教的理念は後代のエジプト社会に大きな影響を与えた。
エジプト考古学博物館で撮影した画像です。
約4700年前に建設された最古のピラミッドである。エジプト王の威光を示すべくでっかい建造物を作り上げようとした最初のモニュメントといえる。
その設計についての記述。
設計
高さ62メートルであり、東西125メートル、南北109メートルという長方形の底面を持っている。後代に建設されたピラミッドは通常正方形の底面を持っているが、階段ピラミッドの場合は五次に渡る設計変更の結果長方形の底面を持つことになった。
階段ピラミッドは元来、初期王朝時代から見られる正方形のマスタバとして高さ10メートル、一辺63メートルの規模を持って建設される予定であった。しかし、建設を担当したジェセル王の重臣イムホテプらによって東側に向けて何度も拡張が繰り返され、最終的には階段上の概観を持つピラミッドとして完成したのである。
正方形のマスタバ墳から順次拡張して行って現在見られる階段状のピラミッドになった訳である。
ピラミッドの地下には深さ28メートルの地下室が設けられており、王の遺体を納める玄室や、玄室を取り巻く多数の部屋、回廊が張り巡らされた。
ピラミッドコンプレックス
階段ピラミッドは単体ではなく、周辺の付属建造物とあわせてピラミッド複合体(ピラミッド・コンプレックス)を形成していた。北側に葬祭殿、東側に王宮、及びセド祭用の神殿、南側に「南墓」、西側に巨大な倉庫があり、この複合体全体を高さ10.4メートル、東西277メートル、南北545メートルの外壁が取り囲んでいた。全体を石造で建設する建造物としてはエジプト史上初ともいえるものであり、このピラミッドの建造によってイムホテプは建築家としても名声を博した。
三大ピラミッドなどと共にメンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されている。
階段ピラミッドの威容
その周辺に見える崩れかけたピラミッド
小山のようになってしまったピラミッド
周壁に穴が開いており、そこがピラミッド・コンプレックスへの入り口である。
するとそこには2列に20本の柱が並ぶ柱廊がある。
柱廊を抜けると中庭になる。
柱廊を出た所が葬祭殿正面になる。 柱廊脇には石灰岩が山積みにされている。修復に使われるらしい。
この中庭に階段ピラミッドがデーンと聳えている。
中庭からの風景
ロバの背に乗るエジプト人
葬祭殿跡
列柱の崩れ落ちた残骸
境界標石
中庭奥の高台はテラスになっている。
また、崩れて瓦礫のようになってしまっているが、ウナス王のピラミッドが見える。
このピラミッドは2016年に修復をおえ、公開されている。その見学記は次回にまわす。
今回はこれでおしまい。