私も一応は名誉教授であるが、昨年3月以来趣味の研究も全くしていない低能状態で、実体は不名誉教授かつ耄碌爺さんなので情けない限りである。不本意ではあるが、考えてみれば本来の(頭のよくない)自分に戻っただけで、現役のころは無理を重ねて、仕事のできる研究者を(本質ではないのに)演じていただけにすぎないと思われる。定年まで仕事は充分させて貰ったし、大きな破綻はなく最後まで勤めあげることができたのは幸運だったのである。弟子である優秀な共同研究者に恵まれたのである。今ごろになってそんなことが良く分かる。私個人の実力で勝ち取ってきた地位や業績ではなかったのである。
人生には予測のつかぬ事が起こる。それに遭遇しても揺るがぬ自己を作っておくのが一番必要なことなのですね。私はそこまでの(研究者としての)自己を作ってなかったので、ワイフの大病であたふたとして、現在のような体たらくになってしまった。自分を一角の研究者であるとおこがましくも信じておりました。それは間違いでした。 加齢のせいもあり私の体調も芳しくない(腰痛!)というのを言い訳に、買い出し、おさんどんとワイフの世話だけに日々を過ごしている。そして時間があればこの益体もないブログを書いて鬱屈を晴らしている。数学のお勉強は講義の前日に済ますだけである。客観的にみれば無理もないと思えるが、40年間も研究を続けてきて今や研究論文などに見向きもしないのは、それだけの研究者でしかないことの証である。嘆かわしいけどそれが実情ならばありのままに受け入れていかねばならない。
いづれにせよ、できないことはできないものね。
現役研究者のIさんの研究苦労話や研究関連のゴシップ話を聞かせてもらい、研究の現場からは遠く離れてしまった私は帰宅後にそんなことを思ったのであった。
と、いつもの情けない感慨を書いてから記事を始める。
Iさんからハイキング+グルメのお誘いがあり、先週の土曜日に出かけた。待ち合わせはJR加古川線の9時11分西脇行の列車の中ということである。
JR六甲道駅から普通と新快速を乗り継いで加古川駅まででた。時刻は9時前であった。
知らせてくれた行き帰りの時刻表を記す。
行き: JR加古川駅 (9:17) → 黒田庄駅 (10:24)
帰り: 黒田庄駅 (15:29) → JR加古川駅 (16:31)
加古川線の駅案内図
9時3分には加古川線に乗り換えることができたが、改札はイコカで通過した。
後で解るが、それは失敗のもとであった。西脇まではイコカ利用はOKなのだが、そこから先は使用できないのを全く知らなかった。
加古川から粟生を経て西脇市にでる。ここで2時間に1本しかない谷川行の列車に乗り換える。
加古川線のプラット
西脇行の列車。 この列車に乗り込んだ。
車内にはすでにIさんが着席していました。久しぶりなので雑談に花が咲く。
会話しているうちにあっという間に粟生を経て西脇市駅に到着。正確には10時6分であった。多くの人はこの駅で下車する。
西脇市駅のプラット 上りと下りを繋ぐ陸橋が架けられている。
この陸橋を渡って、谷川行の列車に乗り換える。
この車両で、ワンマンカーである。 10時12分発で、黒田庄駅までは12分間。
黒田庄駅に定刻の10時24分についたが、私がイコカを使ったため、清算ができず証明書を記入してもらい帰りに加古川駅で清算することになった。Iさんは、そんなことは百も承知で、乗車券を購入済みであった。
私のせいで車掌兼運転手さんに迷惑をかけ、運行ダイヤが数分遅れてしまったのでした。申し訳ないことをしました。
黒田庄駅のプラット
黒田庄駅駅舎 無人駅で構内の一部が喫茶室になっている。
黒田庄駅周辺案内図
ここでハイキングのコースを説明する。Iさんからこの案内図のファイルを送ってくれたので、その上に赤線で記入するとこのようになる。
コースは、
黒田庄駅 → 兵主神社 → 前坂大歳神社 → 松尾の辻 → 白山
で帰りはその逆コースであった。
目的地の白山は余り知られていないが、兵庫50山のひとつである。私も全く知らなくって、早速Wikipediaで調べてみました。
白山 (西脇市)
白山 | |
---|---|
標高 | 510 m |
所在地 | 日本 兵庫県西脇市 |
位置 | 北緯35度02分50秒 東経135度01分19秒座標: 北緯35度02分50秒 東経135度01分19秒 |
山系 | 丹波高地 |
| |
白山(はくさん)
兵庫県西脇市にある標高510mの山である。丹波高地の最西端に位置する山であり、兵庫50山の一つである。
概要:
白山は丹波高地の最西端に位置する山である。登山道は加古川線本黒田駅、若しくは、福知山線谷川駅を基点とする。近隣に位置する妙見山と共に、地域における信仰の対象であり、修験道の拠点となってきた山である。白山の山麓には、荘厳寺があり、信仰の拠点の一つをなしている。また、甞ては、山名に由来する、白山権現が頂上近くに位置していた。山頂に三角点はない。
特に歴史や由緒のある山ではなさそうだが、修験者の活動する信仰の山であったらしい。
かなりキツイ登りがあったのだが、修験道の拠点になっていたと聞くとさもありなんと思うのであった。
駅から2,3分歩いたところで、加古川線の線路を横断する。この道は兵主神社の参道になっているらしく、神社の大鳥居がある。黄砂の影響か、天気ではあるが空はうっすら霞んでいる。
石造りの立派な明神鳥居で、 笠のかけられた扁額には、兵主神社とある。
鐘楼 兵主神社の向かい側にある極楽寺のものと思える。
道路横に木製の鳥居があり、その奥が神門になっている。
神門には二基の狛犬が神社のお守りをしている。
茅葺の拝殿は実に珍らしいと思ったが、その奥に拝殿らしきものの見え、農村歌舞伎の舞台かもしれぬと思い直したりした。
興味があったが、ここで神社取材をするわけにもいかず、先を急いだ。(後注:やはり拝殿でした。写真を注意深く見るとお賽銭箱のあるのが分る。) 私は近い将来、この神社や黒田庄周辺の神社仏閣を取材しようと決心したのであった。
黒田庄の田園風景
交差点があり、右側の道路に沿って進むと日本のへそ日時計の丘公園に至る。
交差点の所に 白山・妙見山トレッキングコースの案内地図がある。これによると、前坂ルートをとり白山に至る。
途中に地蔵堂がある。六地蔵や道祖神らしき石像も祀っている。
西脇市黒田庄福祉センター
道路沿いにある坂本精肉店 この店では猪肉を販売しているそうです。
大歳神社の大鳥居 扁額には大歳神社と刻されている。
石段を上ると、さらに奥に石段がある。
その石段を上り切ったところが神社の境内になる。
拝殿
二基の狛犬が鎮座している。
この拝殿の裏手が前坂ルートの入り口になる。
それ程急ではないが登りの山道を足を踏みしめて歩いていく。 30分たらずで松尾の辻に到着する。
山周辺の新緑は美しい。
常に息のあがった状態になる。上りから平坦な尾根道に変わったので歩きやすくなる。登山道は良く整備されている。 しかし私の体力不足にため、Iさんの後をついていくのに精一杯である。最近は運動はしていないので、身体がなまっている。Iさんは、全く平気で話をとぎらせることなく先を進んでいく。
さらに7,8分歩くと前坂・秋谷の出会いに着く。 その標識。
出会いから登山路を眺める。
秋谷方面の風景
丹波高地の景色
標識 白山へと記されているので方向は間違いない。
この辺りがとがのおと思える。
しばらくお茶休憩をして、さらに尾根道を進む。 先に進むIさんは本当にタフである。
山頂はまだだが、昼食を取ることにした。私はコンビニでおにぎり3個を買った。お茶はペットボトル2本用意したので充分である。私は3個も食べれないので、おにぎり1個をIさんに食べてもらった。彼は菓子パンを持ってきていたが、喉が渇くのでぱさぱさしていて食べにくいとのことでした。ならばかえって良かったと思った。50分ほどのお休み。
再び白山を目指し尾根道を歩く。
標識 白山頂上まであと275mである。あと少しだ。
杖をつきつつ山道を登る。杖は有難い。
門柳出会いの標識 ここから最後の上りがかなり急勾配でキツイ。
白山頂上にて。 標高510mで、ようやく到着。 へとへとの爺さん。
山頂からの眺め なかなかの景色である。
帰りの3時29分の電車の時間に合わすべく、すぐに引きかえすことにする。
帰りは杖をついて下ることにした。大分楽であった。伸び縮みの自由な杖だが、帰りに電車か黒田庄駅に忘れてしまった。帰宅後にJR案内係に問い合わせたが結局見当たらずであった。年を取ると何でも忘れがちになり、こんな失敗をするのだ。忘れん坊は昔からではあるが・・・。
途中足がつってしまい、10分程休ませてもらう。 つるほど激しく筋肉を使ったとも思わなかったが、鍛錬不足で身体がなまっている。筋肉をほぐして歩けそうになったので下山をつづける。帰りは前坂・秋谷の出会いから秋谷ルートを取ろうとのことだったが、道に迷うと電車に間に合わないということでもとの道を辿ることになった。
尾根道は乾燥しているみたいだが、シダ類がかなり生育している。
大歳神社まで下ったときは、時刻は3時を過ぎていて電車に時間に間に合わないと思った。ところが、神社にお詣りに来た地元青年に会い、彼に駅まで自動車で送って貰えることになった。これは、ひとえにIさんの人徳である。私ならば不可能としか思えぬ。
発車時刻の10分前に到着する。名も知らぬお兄さん、どうも有り難う。
黒田庄駅のプラット 西脇方面
谷川方面
この駅での乗車客は私達だけであった。西脇、加古川と出て私は乗車料金を加古川駅で清算する。メデタシである。
加古川から新快速で三宮駅まで出て、ミュンヘンで生ビールと鶏の唐揚げ、ピザ、ザワークラフトを食し、二人で談論風発をしたのであった。Iさんは大ジョッキを3杯も飲んだ。私はその半分でフラフラであった。体力の違いは如何ともしがたい。私は運動とアルコールでかなり草臥れたのであった。しかし、久々に充実したハイキングでした。
翌日は平気だったが、翌々日から筋肉痛と腰痛である。何事も年をとると時間差で現われる。動く気になれず日々の買い出しや皿洗いをさぼってしまった。ワイフには申し訳ないことをした。ワイフはもうこのブログを見ていないが、ごめんなさいと書いておこう。
これでおしまい。
0 件のコメント:
コメントを投稿