この一角だけの小さな神社である。鳥居、狛犬(狛狐)は見当たらないので淋しい。
社殿はこぶりだが真新しい。
社碑 村社 猿田彦神社 とある。
由緒舎(板と言ったほうがよい)
猿田彦神社も全国あちこちにあるが、神戸市の灘区にもある。
由緒: (兵庫神社庁の記事より抜粋引用)
当社は猿田彦の大神を奉斎している。猿田彦大神は「魁の神」として常に神々の先頭に立って道案内を務められる神で、天孫降臨の時、皇孫瓊瓊杵尊を天八衢に立ち迎えて云々とあり、災難除けの信仰がある。
即ち海上では船霊神、陸上にあっては交通の守護神として尊ばれている。
当社の創立は詳かではないが、口碑によれば、元矢田郡白川村に鎮祭されていたが、平清盛福原に都を定め、兵庫築港に際し七日七夜参籠し、祈願を込めたるところ、難事業に成功したので、後年、此の佐比江の地に奉遷したと伝えられている。
かっては、広い境内や社殿をもっていたが、市街地の発展と共に狭められ、第二次世界大戦により戦災を受け、その後都市計画によって現今の社地となった。現在の社殿造営に際し、当時の日本画家・森月城、版画家・川西英等の絵画で拝殿天井を飾り、更に本殿衛扉の左右の羽目板には、彫刻家・新谷秀夫の手になる彫刻が施されており、一見の価値がある。
拝殿天井の絵画
ぶらり散歩路 さんより画像引用。羽目板の彫刻については全く気が付かず。
明治6年(1873)に村社となったが、戦後は神社本庁所属の神社となった。
ご祭神: 猿田毘古神(サルタヒコノカミ)
境内の参拝といっても狭いので2分とかからない。
手水舎ならぬ手水鉢 文化文政期に寄進された由緒ある鉢であるという。
御神燈
拝殿
境内社の佐比江稲荷神社
いなり社 べんてん社 と刻された石碑が立っている。
これでおしまい。
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