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2017年8月11日金曜日

神戸中央区 中村八幡神社

今回は定番の神戸の神社シリーズで、中央区の中村八幡神社の紹介である。一昨日の9日水曜日に取材に出かけた。非常勤講義の試験が先週おわり、採点集計をすませた。阪大の学務情報システムであるKOANに入り、成績入力を済ませてから出かけた。講義の水曜日は自由活動をすることにしている。

台風5号が関西を通過して、猛暑になった1日であった。目的の神社は西区伊川谷惣社であったが、遠方なので近場のリストに入れながら参拝していない神社を、途中で取材しようと思った。その一つ目がこの中村八幡神社である。

自宅から神戸市バスでJR六甲道まで出て、そこから歩いて阪神新在家駅まで行き、ここで普通電車に乗って春日野道で下車。山側に歩いて5分ほどの所にある。

地図



周辺が商店街や集合住宅などに囲まれた一画にある。

鳥居


社碑ならぬ社名板  一寸威厳に欠けますね。


小さな神社なので、Wikipediaの記載はないかと思われたが、意外にもあった。しかしながら注釈付きで、この記事の主題はウィキペディアにおける独立記事作成の目安を満たしていないおそれがあります、とのことである。私の主観では微妙だが、他にも記載されていない由緒ある神戸の神社が沢山あるので、削除されても仕方ないとは思う。


中村八幡神社

中村八幡神社
中村八幡神社の拝殿.JPG
所在地神戸市中央区日暮通2-4-11
位置北緯34度42分01.29秒
東経135度12分22.44秒
座標: 北緯34度42分01.29秒 東経135度12分22.44秒
主祭神応神天皇
例祭4月15日、10月21日


中村八幡神社(なかむらやはたじんじゃ)

神戸市中央区日暮通に鎮座している神社である。主祭神は、応神天皇である。


この神社については、しばしばお世話になるサイト 神戸の空の下で。~街角の歴史発見~ に比較的詳しい解説があるのでそこから適宜引用する。神戸・中村八幡神社。

由緒:

 明確な創建年代は不明だが、9世紀末の元慶年間の頃に当地の有力者が京都の男山八幡宮から八幡大神(=応神天皇)を勧請してお社を建てたのが始まりとされている。昭和初期の書物には、中村八幡神社の古いご神体に『仁和丙午年(886年)』と刻まれていたことや、『寛元四年(1246年)』という刻印のある石灯籠があったということが書かれていますが、どちらも残念ながら残されていない。

経緯:

神社のある日暮通周辺は室町時代から江戸時代にかけて、摂津国莵原郡葺屋郷と呼ばれていた。葺屋郷には生田村熊内村中尾村中村滝寺村小野新田などがあり、1874(明治7)年にはこれら6つの村が一つになって葺合村が出来た。葺屋の村が合わさったから「葺合」だと言われている。その葺合村の守り神の1社である。

 老朽化が激しかった社殿は1930(昭和5)年に建て替えが行われましたが、第2次世界大戦中の1945(昭和20)年に行われた神戸大空襲によって全焼してしまった。そんな中村八幡神社1954(昭和29)年に氏子の尽力によって再建され、鉄筋コンクリート造りの立派な社殿が建てられた。
1995(平成7)年の阪神・淡路大震災では社務所が全壊するなど大きな被害を受けたが、同年9月には立派に再建された。

ご祭神:

応神天皇
今までと違う画像を探しているが、なかなか見つかりません。今回の画像はこれです。




それでは、駐車場と間違った境内の参拝を行う。

 由緒舎と思いきや掲示板



社殿   1954 年10 月に再建されたRC製の社殿


朱塗りの玉垣が鮮やかです。稲荷社かと思いましたが、確かに境内に稲荷神社があります。

社殿側面



手水舎なのですが、手水場は水栓場でした。便利とは言え有難味に欠けますね。


境内社蛭子神社   えべっさんで商売繁盛の神さまです。 RC製である。


境内社稲荷神社祖霊社  左側の朱塗りの社殿稲荷神社で右側の白塗り社殿祖霊社である。共にRC製である。



手水舎の屋根を除いて全てRC製なので、(私にとっては)本来の神社らしさに欠けるように思える。 しかし地域の中では存在感があり、毎年4月の第3日曜日には春季大祭、10月の第3土曜日には秋季大祭が行われます。子ども御輿幼児鼓笛隊などが巡行し、子どもたちの元気な声が商店街を駆け巡るそうである。

これでおしまい。


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