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2017年12月13日水曜日

大阪 天満宮 I

毎日厳しい寒さの日々がつづいている。六甲山の麓に住んでいると朝の冷え込みは本当に厳しい。その結果部屋の窓の結露が凄いことになり、毎朝窓脇のふき掃除が日課になった。またもや主夫業のレパートリーが増えたことになる。4ヶ所ふき掃除しているので結構な労働で運動不足解消にはもってこいである。黒カビが壁紙に付着しているので、ごしごし擦らないと薄くならないのだ。廃棄処分のカーテンを切り刻んで沢山の雑巾を作成したので当分は窓拭き掃除には困らない。(雑巾作成を自慢している)

冬の窓掃除は今まではワイフがやっていたそうなので、現役時代、私は家の事は如何に何もしてこなかったのがよくわかる。その報いが今になって現れている。

窓掃除を済ませ朝食の用意もしたので、今から趣味のブログ書きに耽るわけである。神社仏閣巡りは今のところまだ面白いので、飽きてしまうまでは当分つづけようと思っています。

前書きが長くなったが、今回は神社シリーズ大阪天満宮紹介の1回目である。先週の火曜日12月5日に府大での講義終了後に駆けつけた。

地下鉄御堂筋線中百舌鳥駅から天王寺駅まで出て、そこで谷町線に乗り換えて南森町駅で下車。

天神橋筋商店街

商店街を少し歩いて左側に折れたところに天満宮があるのだが、その境内前に繁盛亭がある。天満宮のかって駐車場の在った場所である。天満宮の宮司さんのご厚意によりこの場所が上方落語の定席として提供された。

天満宮の東入口鳥居前の 天満天神 繁盛亭 


上方で唯一の定席である。良く知られているように、現在の桂文枝師匠の 絶大なるご努力により建設された。勿論彼だけの努力ではなく上方落語会の方々の努力があっての賜物である。

顔出し看板



客席



天井提灯高座

上方落語協会会長 桂文枝師匠 の高座




東門社碑  大阪 天満宮 とある。

東門前の石鳥居

鳥居前 石灯籠

南高梅  天満宮といえばがシンボルですね。


東門から境内に入って左側にある常夜燈  


ここで天満宮の基礎データをWikipediaから取得することにする。

大阪天満宮

   
大阪天満宮
Ôsaka-ten'man-gû Shintô Shrine - Haiden Sanctuary.jpg
拝殿
所在地大阪府大阪市北区天神橋二丁目1番8号
位置北緯34度41分45.69秒
東経135度30分45.43秒
座標: 北緯34度41分45.69秒 東経135度30分45.43秒
主祭神菅原道真公
社格等府社・別表神社
創建天暦3年(949年)
本殿の様式権現造
別名天満天神・浪華菅廟・中島天満宮
札所等神仏霊場巡拝の道50番(大阪9番)
なにわ七幸めぐり
菅公聖蹟二十五拝
主な神事天神祭
地図
大阪天満宮の位置(大阪府内)
大阪天満宮
大阪天満宮


大阪天満宮

本社

楼門


大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)

大阪府大阪市北区天神橋に鎮座する神社(天満宮)。別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮がある。大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれている。
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られている。


祭神: 

菅原道真     火雷天神と同一視されている。


由緒:

奈良時代 白雉元年(650年)孝徳天皇難波長柄豊崎宮を造営した頃、都の西北を守る神として大将軍社という神社をこの地にお祀りされた。
以来この地を大将軍の森と称し、又後には天神の森ともいわれ、現在も南森町北森町としてその名を残している。

901年に菅原道真が、藤原時平により九州大宰府へ配転(左遷)させられた際、同地にあった大将軍社に参詣した。903年に菅原道真が没した後、天神信仰が始まる。949年に大将軍社の前に7本の松が生え、霊光を放ったという奇譚が都に伝わった。そのため村上天皇の勅命によって天満宮を建立させたのが始まりである。


境内の案内図



境内外社は思いの他沢山あります。

実際は東門から参拝を始めたのであるが、やはり正規の参拝順序ということで、表大門から参拝を始めよう。

表大門


社碑  東門にもありましたが、こちらの方が大きい様です。

表大門大注連縄十二支方位盤 



真下から眺めるとその大きさが分ります。出雲大社ほどではないけどね。


十二支方位盤  色鮮やかで十二支のキャラつきです。



表大門前 常夜燈

表大門横に左大臣右大臣大人形が祀られているのだが、ガラスで反射してうまく写らない。残念でした。



調べて見ると、この人形は 表門の随身さん(おもてもんのずいじんさん)と呼ばれている。正式には右大臣左大臣ではなく 矢大臣左大臣 とのことです。

矢大臣右大臣とも呼ばれるが、江戸時代では矢大臣が一般的な名称だったということです。 幸い画像を見つけたのでアップしておく。


催事暦舎

境内に入って左側に天満天神の神水を祀る御神水舎がある。

これまた御影石製の表示板



大阪四か所の清水」と賞された評判の美味でしたとある。大阪の井戸水としては殊の外美味しく藩主の蔵屋敷でも取り寄せていたそうです。

御神水舎


その右隣の社



境内に入って右側にある車宿  御車を保管していると思われる。



常夜燈お百度石 こんな百度石もあるんだね。

 手水舎



手水鉢



拝殿  大阪一の天満宮とあってさすがに立派な建築です。



本社裏  拝殿のちょうど真裏に当る。

拝殿常夜燈  火袋には金梅のご紋がついている。



拝殿前の幟   

お伊勢さまと氏神さまの お神札をおまつりしましょう



祭舎が三社造りの場合は、このようにお神札を並べるそうです。


神棚での配置はこのようにする。お神酒は欠かせない。


拝殿前 お賽銭箱  紋章入りの貫禄のあるお賽銭箱です。私にしては珍しく100円もお賽銭を弾みました。



 拝殿前 狛犬二基  珍しく二基とも口を開けた「阿形」です。

天満市場の寄進である。


拝殿横  献燈の提灯が屋根から吊るされてずらりと並んでいる。


拝殿側面

本社裏  拝殿の裏側になる。



本社屋根

本社側面



西登龍門 



御影石製の掲示板 この登龍門の由緒を解説している。



この門を通り抜ければ必ず出世すると言われている。

の図柄をもつ金燈籠  登龍門前に二基ある。 梅の御紋が入っていて傘の部分にはがいる。


通常の常夜燈  



東登龍門



西と東との違いはわかりませんね。


長くなりすぎたので今回はこれでおしまい。次回も境内の参拝のつづきである。


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