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2018年4月15日日曜日

養父市 祐徳寺

今回は養父市のお寺の紹介である。次男が将来的には養父市に居を構えたいという希望を持っていてそのための住居を探すべく、市の職員さんの案内で空き家巡りをしたときに立ち寄ったお寺です。その空き家の近くにありました。かなり交通の不便な所にありこんな事でもない限り一生ご縁のないお寺さんです。袖すり合うも他生の縁と言うことで当寺の参拝記事を書くことにしました。

山村のお寺さんという感じで境内は綺麗に整備されている。雰囲気の良いお寺です。

山門  瓦屋根の鐘楼がひときわ目立っている。


お寺の駐車場がありその隅に六地蔵を祀る瓦葺き屋根のがある。


その奥の社殿  何仏が祀られているかは確認していない。


駐車場  お寺の周りには土塀倉をもつ大農家の屋敷が並んでいる。暮らし向きの豊かな地域のようです。


ここで祐徳寺の基礎情報を養父市の広報但馬情報特急、およびや八百万の神から引用する。残念ながらWikipediaには記載がない。



祐徳寺
(ゆうとくじ)

住所:
〒667-0141 兵庫県養父市(ヤブシ)森178

宗派: 臨済宗 大徳寺派 



JR養父駅からは2時間47分もかかります。 


由緒:

臨済宗大徳寺派の名刹で、1330年(元徳2年)にこの地の地頭、石和田光秀大燈国師(だいとうこくし)を招いて開山したといわれる。当初、石和田氏の屋敷内に七堂伽藍が造営されたが、弘治、永禄年間に竹田城主太田垣加賀守により現在の位置に再建されたといわれる。 
開山の歴史から、大徳寺の前住持が祐徳寺に多く入山している。有名な沢庵宗彭祐徳寺歴代住職を勤めている。
同寺には、本山・大徳寺の国宝「大燈国師像」と対比される同形の国師像時氏塔の銘をもつ宝篋印塔をはじめ、山名、太田垣氏といった戦国武将の寄進文書が多く保存されている。


脇門 ここから境内に入っていきました。



小堂  天満宮所縁のと思われるが詳しい事はわからない。

石仏

二基の石仏を祀る社  詳細は不明。

本堂  定祇山 裕徳寺 と記された寺額が掛けられている。


本堂は、今から約200年前にあたる江戸時代後期に建て替えられた。その際に本堂の部屋をしきる襖絵も新しく新調されたようだ。これらは但馬を代表する優れた襖絵である障壁画として現在に伝わっている。現在5人の絵師が書いた襖絵が残っており。人名が判明しているのは木村梁舟(りょうしゅう)、土方稲嶺(とうれい)、中蘭波(らんぱ)の3人である。 彼らは京都の有名な絵師として知られていた。

中でも土方稲嶺は、江戸に出て宋紫石(そうしせき)に絵を学び、京都に往んで円山応挙とも交わった。57歳の時、鳥取藩絵師に迎えられ、1897年に66歳で没した。稲嶺の門人は大変多く、鳥取画壇の祖と呼ばれている。

稲嶺の作品である4枚の襖を使った虎渓三笑図(こけいさんしょうず)



中国の東晋時代、東林寺に恵遠(えおん)という高僧がいました。寺域から外に出ない誓いをたてていましたが、訪ねてきた2人の友人を送って、そのまま虎渓の橋を渡リました。虎のなき声でそれに気づいた3人が大笑するという絵です。


同じく稲嶺竹林にいる虎を描いた竹虎図(ちくこず)の軸物 



天満宮社殿  ここに祀られている天満宮尊像は、菅原道真公自刻のものと伝えられている。


山門 境内よりの眺め

鐘楼  江戸末期建築の古い趣のある鐘楼です。

復刻された往時の屋根瓦


境内 このように綺麗に掃除されていて植木なども端正に配備されています。


本堂の拝観ができなかったのは残念でした。これでおしまい。

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