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2018年10月15日月曜日

奈良 東大寺 I

ブログ再開の1回目は奈良の世界遺産の紹介である。
1昨日の13日、14日と連続して孫の運動会で奈良にでかけた。午前中に競技応援を終え、ワイフと別れ1人で古都奈良の散策を行った。奈良公園東大寺春日大社の見物をしようと思ったのである。奈良公園には何度も行ったことはあるが、常に漫然としか観光していないし大した記憶はない。それで老い先短いこの身としては心置きなく、奈良の名所旧跡を見て廻りバッチリ写真を撮って訪問記録にしようと思ったのでした。

腰の痛みは相変わらずで、長時間歩けるかどうか不安であったが、何とかなるだろうと楽観することにした。結論から言えば、休み休みならば何とか4時間くらいは歩けた。これは今回の最大の収穫でした。この調子で無理せずに興味あるものを見て廻り、以前のようにはいかないだろうが見物記事をぽつぽつ書いて行こうと思っています。

今回は東大寺の見学編の前篇です。

無知蒙昧の私としてはWikipediaからの基礎データ取得は欠かせない。

奈良東大寺

東大寺(とうだいじ)

奈良県奈良市雑司町にある華厳宗大本山の寺院である。
金光明四天王護国之寺(きんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい、奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。「奈良の大仏」として知られる盧舎那仏(るしゃなぶつ)を本尊とし、開山(初代別当)は良弁である。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか、東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが、中世以降、2度の兵火で多くの建物を焼失した。現存する大仏は、台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり、また現存する大仏殿は江戸時代の18世紀初頭(元禄時代)の再建で、創建当時の堂に比べ、間口が3分の2に縮小されている。「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり、聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。
東大寺は1998年12月に古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。

国分寺の総元締めだったんですね。かように日本一の大仏様です。これは誰でも知っているね。

大仏様の素性はつぎの通り。

東大寺盧舎那仏像

東大寺盧舎那仏像
東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)


奈良県奈良市東大寺大仏殿(金堂)の本尊である仏像(大仏)。一般に奈良の大仏(ならのだいぶつ)として知られる。









聖武天皇の発願で天平17年(745年)に制作が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。その後、中世、近世に焼損したため大部分が補作されており、当初に制作された部分で現在まで残るのはごく一部である。 「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。 

東大寺大仏は、聖武天皇により天平15年(743年)に造像が発願された。実際の造像は天平17年(745年)から準備が開始され、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会が実施された。 のべ260万人が工事に関わったとされ、関西大学宮本勝浩教授らが平安時代の『東大寺要録』を元に行った試算によると、創建当時の大仏と大仏殿の建造費は現在の価格にすると約4657億円と算出された

大規模国家事業により建造された巨大かつ歴史を体現する仏様(国宝)なのでした。
詳しくは Wiki: 東大寺盧舎那仏像 を見て頂くことにして見学記事を始める。

JR奈良駅から市内循環バスに乗って大仏殿春日大社前で下車。

早速鹿君が出迎えてくれました。

南大門に向かう参道にも鹿が群がり集まっている。しかし観光客の方がはるかに多い。


公園内で寝そべる鹿

東大寺参道  観光客だらけで中国人と韓国人がかなり多い。日本語を話している人の方がむしろ少ない。奈良は外国人のテリトリーであった。


寺碑 華厳宗大本山 東大寺 と刻されている。

南大門  古そうな造りですがやっぱり巨大で立派なご門ですね。鎌倉時1199年)に復興されたものだが800年以上も前に建てられたものが現存している。国宝なのは当然ですね。



ユネスコ世界遺産認定の石碑  東大寺  毎回写真を撮っていますが色んなタイプがあります。


東大寺境内の案内図

一寸見えにくいのでイラスト図で見るとこんな配置になっている。

 

正面から写した南大門  迫力ありますね。扁額には 大華厳寺 とある。よく分かっていないが東大寺のことなんでしょうね。


南大門の真下から眺めた木組み  屋根部分の木材は比較的細いのを使っている。

 屋根の下の中空部分

門内左右にある金剛力士像

吽形像 運慶が中心となり製作されたとされる。

金網が邪魔だが鳥よけのためには致し方ない。何たって国宝ですもんね。

阿形像 こちらはが中心となり製作されたとされる。


ともに大変立派なお姿です。

後方から眺めた南大門


別の角度から

後方の門にある石造獅子1対、こちらは重要文化財。



参道にはこんな石碑もありました。

明治天皇奈良行在所
東大寺東南院旧境内

東大寺本坊山門  この奥の屋敷で明治天皇がお休みになったのかも知れぬ。


南大門を抜けると中門とその奥に大仏殿が見えてきた。共に真新しくてデカい。


参道右手にある 鏡池  池の中に舞台が設えてある。

中門  金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の楼門である。二階建てになっている。こちらの門は新しくて威厳がある。

鏡池横にある石灯籠  かなり古そうです。とかく石灯籠を見ると写したくなる。もう癖になってしまった。

 中門屋根裏の朱塗り


門内の左右に四天王の内二神が安置されている。
毘沙門天 


解説板 

持国天

拝観料を支払わずとも金堂のお姿は拝観できる。


私は大枚1000円をはたいて、大仏殿+東大寺ミュージアム拝観券を購入したのでした。大仏殿見学報告は次回の後篇にまわす。久しぶりに長い記事を書いたので草臥れた。今回はこれでおしまい。




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