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2015年4月1日水曜日

六甲御影界隈の桜

新学期になりました。六甲でも桜は満開に近い。一昨日は、快晴で花見に出かけた。その時の桜の写真をアップする。

神戸大の学生会館前の桜の木。八分から九分咲きでした。

 
桜には色んな種類があるが、これはソメイヨシノでなくしだれ桜と思えるが不明。
濃い花弁が綺麗である。
 

大学のキャンパスを抜けて、山道を歩き御影深田池にでた。散歩コースの一つである 自宅→大学→阪急御影です。 


池では、年配の方が釣竿を出して、ヘラブナ釣りをしていた。


このように、割合よく釣れている。釣った後は、すぐに池に戻していました。

深田池の景色。

池の周りの桜並木。ほぼ満開。ベンチでしばらくの間、お酒なしの花見をしました。長閑ですな。

 
阪急御影駅周辺のそぞろ歩きで、写した桜の写真です。
 
 
こちらの桜はほぼ満開で、とても艶やか。
 

 
この日の桜の写真は、これでおしまい。もっと沢山写したが、皆似たり寄ったりになるので、面白味があまりない。

今日4月1日は、朝から天気が悪くて花見には良くないが、買い物を頼まれていたので、傘をさして出かけました。

自宅近くの六甲団地の桜。満開です。




そういえば、昨年もこの時期は桜の記事を書いている。 孤独のグルメ、一人花見を思い出しました。 年年歳歳花相似たり ですな。

櫻、櫻、春の散歩 一人花見

夕方から風が強くなってきた。ビュービュー唸っているので、桜が散ってしまわないかと心配になり、夕方から再び花見にでかけた。

六甲川からの景色。

護国神社の桜。このように満開で、まだ散ってはおりません。




新しい鳥居が見えるように写してみた。


このように、朽ち果てた老木にも桜の花は咲くのである。
 
 

ここから、摩耶ケーブル下の桜並木を見に行こうと思い立った。 歩いて20分位の距離にある。時間は6時半を過ぎていたので、夜桜見物になる。本格的に桜を写している、カメラマンの方やスマホで熱心に桜の写真を撮っている若いカップルもいました。

満開の夜桜の写真です。 私には珍しく、先ほど写してきたものを速攻でアップします。





悪くありませんね。しかし、夜は次第に更けてゆき、写真さえも写せなくなってゆく。


六甲の夜の景色。

それで、自宅へと帰ってきたのである。

今回の桜見物はこれでおしまい。

『不思議の国のアリス』の挿絵

以前 最も短い記事として、飛び出す絵本における不思議の国のアリス』を紹介したことがある。 Alice's Adventures in Wonderland

作者は、誰でも知っているようにルイス・キャロルですね。本名は、チャールズ・ドジソンで、作家のみならず、数学者であります。というより、学者が本業。

ルイス・キャロル
Lewis Carroll
LewisCarrollSelfPhoto.jpg
誕生チャールズ・ラトウィッジ・ドジソン
Charles Lutwidge Dodgson
1832年1月27日
イギリスの旗 イギリス チェシャー州 ダーズベリ
死没1898年1月14日(65歳)
イギリスの旗 イギリス ギルフォード
職業数学者、論理学者、写真家、作家、詩人
国籍イギリスの旗 イギリス
代表作不思議の国のアリス』(1865年)



ルイス・キャロルLewis Carroll, 1832年1月27日 - 1898年1月14日)

イギリスの数学者、論理学者、写真家、作家、詩人である。


しかし、その挿絵画家の名前はご存じであろうか? 大抵の人(含私)は記憶にないだろうが、ジョン・テニエルです。現在では、余り知られていない。 

しかし、『不思議の国のアリス』の刊行当時はそうではなかった。
Wikipedia の記事 不思議の国のアリスの挿絵 によると、こう書かれている。この記事では、キャロルとの交渉や逸話などが書かれていて面白いですよ。

 
不思議の国のアリス』の刊行当時、キャロルが作家として無名に等しかったのに対し、テニエルは風刺漫画誌『パンチ』のトップ・イラストレーターであり、『アリス』の普及の少なくともその初期にあってはテニエルの知名度が大きく貢献したと考えられる。
アリスの物語が刊行された1860年代は、イギリスでは書籍・雑誌の挿絵の黄金時代にあたり、二つのアリスの本は当時とりたてて重要視されたわけではなかったが、今日では19世紀以来受け継がれてきた挿絵本のなかでもっとも人気のある作品となっている。

ジョン・テニエル
John Tenniel

自画像(1889)
生誕1820年2月28日
イギリス、ロンドン
死没1914年2月25日(93歳)
イギリス、ロンドン
国籍イギリスの旗 イギリス
著名な実績イラストレーション
代表作ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』挿絵


ジョン・テニエル(John Tenniel, 1820年2月28日 - 1914年2月25日)

イギリスのイラストレーター。
ルイス・キャロルの児童文学『不思議の国のアリス』および『鏡の国のアリス』の挿絵を手がけたことで知られ、19世紀半ばから約50年間にわたり風刺漫画誌『パンチ』で数多くの風刺漫画を手がけた。


テニエルによる『不思議の国のアリス』の下絵
 
 
 2014年は、彼の没後100年になる。したがって、著作権は消滅し(実際は、カラーイラストなどは、出版社が権利を一部所有しているので注意は必要)、余り心配なく画像収集はできる。

挿絵は、元々は単色であったが、原作の出版元・英国マクミラン社がカラー版を出版している。ジョン・テニエルが着色したわけでなく、出版元が着色したのでカラー挿絵の版権を主張している訳である。

実際画像を見てみると、やっぱりカラー挿絵のほうが良いですね。

不思議の国のアリス』刊行150年記念ということで、このような記念切手がイギリスから発行されている。


また、パラオからはジョン・テニエルの挿絵の小型切手シートが発行されている。

 
面白いですね。

これから彼の挿絵を見ていきましょう。私は、あんまり分かりませんが、好きな人はどの場面で、登場人物(動物)が誰かもすぐ分かると思います。

まずは、カラー版。








ついで単色版。





 



 














 

 

 
今回は、これでおしまい。
 


孫の誕生日

今回は、身内の話。 このところ私の身内は、このブログなど殆ど読んでいない。ワイフなど、週に1度タラタラ~と(記事と読むというより)写真を眺めておしまいである。息子も同様。それで余り身内の記事は書かんようにしている。そうではあるが、孫は特別なので、このような記事を書くのである。実際は、忘備録も兼ねている。爺さんは、日々何をしたかすっかり忘れてしまうのである。 

孫の3才の誕生日祝いに、奈良の王寺に行ってきた。息子夫婦の自宅が王寺にある。
プレゼントとお誕生日祝いのケーキを持って、朝9時半に出かけました。大荷物である。今回は、末の息子の車が使えないので、交通機関はJRの利用。プーから脱却した末の息子は、毎日仕事で忙しく、もう付き合ってはくれないのだ。

ここが、王寺駅。


地元ゆるキャラの 雪丸。孫の幼稚園運動会にも出没していました。王寺町のマスコットキャラである。 聖徳太子の愛犬とは、知りませなんだ。



いつものように、こいつを紹介しておく。

雪丸




所属:奈良県王寺町役場

おしゃれな烏帽子に真っ白ボディ!チャームポイントは、ぷにぷにの肉球!ご主人様はなんとあの聖徳太子というゆるキャラ界随一の高貴な犬のキャラクター。
奈良県王寺町観光広報大使「聖徳太子の愛犬”雪丸”です。

駅に、息子が車で迎えにきてくれた。息子の自宅で、孫とほぼ一週間ぶりにご対面。爺さん婆さんが4人も来ていて、しかもプレゼントを貰って孫はご機嫌であった。孫の写真を撮ろうとしたが、相変わらず動き回り視線を逸らせるので、上手く撮れない。まあ何枚かは良いアングルで撮りましたので、それで満足。 神戸アンパンマンこどもミュージアム再々訪

個人情報の保護のため、前回と同じく写真は一切なし。写真にモザイクを掛けると、可愛さが半減するし、何か不自然なのでね。

これが持参の誕生日祝いのケーキ。 洋菓子店の Emil に注文しました。

 


孫と楽しくボール遊びや、プラレールの機関車トーマス遊びをした。孫のみならず私も楽しんだ。ワイフと異なり、余り話すのが得意でない(本当)私に、振りわけてくれた役割であろう。

この写真は許してくれるよね(息子にお願い)。手前が私の膝。今回は膝だけの出演。



写真は、自分が撮るほうに回らないと、孫は不機嫌になる。顔と態度の両方で表している。自分が写した写真を見て欲しいのである。孫は増々しっかりとしてきて、自我が形成されている。服装も自分のお気に入りでないと嫌なようだ。子供の成長の速さには、改めて驚かされる。その分、爺さん婆さんは増々老化の一途をたどるのである。病気や体調悪化の話ばっかりになるのである。致し方ないのだが。

お嫁さんのご両親も来ておられ、お土産まで頂いた。帰ってから夕食が大変だろうと、お寿司を用意して下さったのだ。こちらは、何も用意せず、申し訳ないことであった。

帰りに、垂水の末の息子の店に寄ることにした。お手伝いである。私もいささか後片づけに貢献したのである。閉店後頂いたお寿司を3人でご馳走になった。お酒も頂く。美味し。

ここで、さりげなく息子の店を宣伝する。その日の夕方に撮った写真です。看板は、私が書いた。
かつ丼 達 商い中



そして息子と別れを告げ、垂水駅からJRで帰ったのだが、自宅に着いたのは10時半をまわっていた。 草臥れた一日であったが、まあ充実していたんだろうね。 

これでおしまい。