ページビューの合計

2014年11月19日水曜日

乳香


旧約聖書によると、南アラビアのシバ国の女王、シバの女王はソロモンの知恵を噂で伝え聞き、自身の抱える悩みを解決するために遠方の国家からエルサレムのソロモン王の元を訪れたとされる。その来訪には大勢の随員を伴い、大量の金や宝石、乳香などの香料、白檀などを寄贈したとされる。

エチオピア正教では、シバの女王ソロモンの知恵と王都エルサレムの繁栄を見て驚いたと伝えている。 

無論二人は、仲良くなるのだが、エチオピア帝国が13世紀に編纂した歴史書によれば、ソロモンシバの女王の息子(メネリク1世)がエチオピアを建国したとされる。

 photo:02
シバの女王             シバの女王と会談するソロモン    

ここでは、エチオピアの歴史を勉強するわけではない。シバの女王が携えた香料乳香についての記事である。当時金に相当すると言われた、乳香がいかなるものかを知りたく思ったのである。
どのような香料か、不明にして私は全く知らなかったのだ。

Wikipedia で調べてみれば、勿論すぐにわかった。 これである。


乳香(にゅうこう)

ムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木から分泌される樹脂のこと。


ボスウェリア属植物の樹木
 
樹木は栽培して増やすことが困難で、これらの自生地の特産品となり、かつては同じ重さのと取引されたこともある。

ボスウェリア属の樹木は、オマーンなどの南アラビア、ソマリアなどの東アフリカ、インドに自生している。 これらの樹皮に傷をつけると樹脂が分泌され、空気に触れて固化する
1-2週間かけて乳白色~橙色の涙滴状の塊となったものを採集する。
乳香の名は、その乳白色の色に由来する。 古くからこの樹脂の塊を焚いて香とし、または香水などに使用する香料の原料として利用されている。

勿論専用の香炉を用いて、香を焚くわけだが、火をつけると黒煙をあげて燃えるそうである。火を消すと、微妙に甘い香りのする白煙が立ち上る。この香煙は、身の穢れを落とすと言われている。

Wikiの引用をつづける。

古代エジプトでは、神に捧げるための神聖な香として用いられていた。
神に捧げるための香という点は古代のユダヤ人たちにも受け継がれており、聖書にも神に捧げる香の調合に乳香の記述が見られる。

ということである。 サウジアラビアの紅海沿いには、かって乳香の道と言われるものがあった。
地図は、 miriyunさんの記事 乳香の道とシバの女王 より引用。



オマーン乳香の産地として古代から名を馳せた地で、アラビア湾に面したホール・リーリなどの都市から、季節風を利用し、海のシルクロードを伝った海洋交易によって各地に運ばれた。

その乳香の道はタリム、サユーン、シバーム、マーリブというハダラマウトに発展した交易都市に繋がる。 (付近には、都市サナアがある。)

  • ムトラ・スークの乳香屋
  • 乳香を焚く
  • ワディ・ドカールの乳香の木

  • ということで旅情をそそるが、miriyunさんによると、

    マーリブなどいくつもの地域が外国人誘拐などで外務省の安全情報で警告されていますし、サナアもテロがあったり、事件が起きています。そういったリスクがあるので、他の国と同じような意識では歩かないほうがいいです。

    ということなので、旅行する際には十二分に気をつけねばならない。

    マーリブ旅行のツアー会社のホームページからの画像です。幸福のアラビア イエメンへの旅


     






    やはり荒涼たる景色ですね。 最後に乳香を焚いている画像をあたえる。


     
     

    火を付けた時。

    (後注:記事を書いて後、実際に乳香を採取している画像が見つかったのでアップしておく。

    フランキンセンスの樹脂樹木を乾燥させないように最大の注意を払って、樹皮に切り込みを入れ、香木の樹液を採取する。




    乳香ミルク色の樹液が滲み出す。

    これを1ヶ月以上乾燥させて樹脂がしっかり固まったら採取し、水蒸気蒸留をして精油にする。

    木の樹脂から採った精油なのに、木の葉や枝に含まれる成分を含むので、森林浴効果もある。)





    今回は、これでおしまい。

    高倉健 逝去


    昨日、母親の付き添いで病院に行ったとき、待ち合わせの薬局に置いていたTVで、高倉健
    亡くなったことを知った。83歳であった。 

    俳優として、功成り名を遂げ、大往生とは思うが、やはりファンとしては、淋しい思いがする。 

    1956年「電光空手打ち」にて主役デビュー

    高倉 健(たかくら けん、1931年2月16日 - 2014年11月10日)

    日本の俳優・歌手。愛称、健さん。福岡県中間市出身、身長180cm、血液型B型。高倉プロモーション所属。戦後の日本を代表する映画スターである。半世紀以上活躍しており、代表作は映画『網走番外地』シリーズ、『日本侠客伝』シリーズ、『昭和残侠伝』シリーズ、『新幹線大爆破』、『幸福の黄色いハンカチ』、『八甲田山』、『南極物語』、『鉄道員(ぽっぽや)』など、いずれも邦画史上に残るヒットを記録している。2006年度文化功労者。2013年には文化勲章を受章した。

    偉大な映画俳優です。新聞記事では、日本のクリント・イーストウッドとあったが、そんな見方ができるのかと少し意外であった。 私のイメージとしては、任侠映画の健さんの印象が強い。

    ヤクザ映画以降の作品で、健さんは国民的な大スターになったと思う。 
     あるブログでは、このような順位になっていた。 ヤクザ映画は、1篇も挙げられていない。

    第10位 新幹線大爆破
    第9位 幸福の黄色いハンカチ
    第8位 野生の証明
    第7位 君よ憤怒の河を渡れ
    第6位 鉄道員

    第5位 南極物語
    第4位 居酒屋兆治
    第3位 夜叉
    第2位 冬の華
    第1位 八甲田山
     

    幸福の黄色いハンカチを見て、感動したのは事実だが、健さんの演技がうまいというより脚本が優れているからだと思っていた。健さんのキャラがあってこそ、感動作になったというのは、後で気づいたことだ。


    この作品では、故渥美清も出演している。 

    健さんの座右の銘は、

    往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし


    この言葉は天台宗・比叡山延暦寺の大阿闍梨、酒井雄哉から贈られたものです。

    男らしくてストイックで、我々の世代(団塊の世代)は、みんな健さんの生き様に憧れていたように思う。 画家の横尾忠則は、そうですよね。 若いときの健さんの映画について書く。




    東映やくざ映画の、極め付きのスターでした。 

    45年位前の尼崎には三流館が2,3軒あり、そこでは5本立ての映画をやっていて、その殆どがヤクザ映画もしくはピンク映画でした。 そこで、健さんのヤクザ映画をよく見たものです。それと、石原裕次郎小林旭の映画ですね。しばらくすると、ヤクザ映画は仁義なき戦いのシリーズが始まり、これはメチャクチャ面白かった、さらに子連れ狼女囚さそりのシリーズも始まり、寅さんシリーズは健在だし、当時映画は斜陽とはいえまだまだ活気がありました。 

    私の記憶する映画での健さんのお姿です。その台詞



    死んで貰います

    は、非常に有名ですね。 気にくわないことを言うやつには、このセリフをいってふざけていたもんです。また、主題歌の『昭和残侠伝』も歌っていました。

    昭和残侠伝のシリーズでも、『昭和残侠伝 死んで貰います』というのがある。 

    全9作で、一作目は1965年10月なんですね。 以下7年にわたりつづく。

    第1作『昭和残侠伝』(1965年10月1日公開 東映東京撮影所製作)
    • 監督:佐伯清、脚本:村尾昭、山本英明、松本功
    • 出演:高倉健、池部良、三田佳子、江原真二郎、松方弘樹、梅宮辰夫、他
    記憶では、毎回池部良藤純子が出演していたように思っていたが、藤純子は4回だけだったのだね。 緋牡丹博徒と、どうも混同していたらしい。(私の)記憶つうものは、曖昧なものである。

    • 第2作『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1966年1月13日公開 東映東京撮影所製作)
      • 監督:佐伯清、脚本:山本英明、松本功
      • 出演:高倉健、池部良、三田佳子、津川雅彦、三島ゆり子、芦田伸介、他
    • 第3作『昭和残侠伝 一匹狼』(1966年7月9日公開 東映東京撮影所製作)
      • 監督:佐伯清、脚本:松本功、山本英明
      • 出演:高倉健、池部良、藤純子、島田正吾、扇千景、他
    • 第4作『昭和残侠伝 血染めの唐獅子』(1967年7月8日公開 東映東京撮影所製作)
      • 監督:マキノ雅弘、脚本:鈴木則文、鳥居元宏
      • 出演:高倉健、池部良、藤純子、津川雅彦、金子信雄、加藤嘉、他
    • 第5作『昭和残侠伝 唐獅子仁義』(1969年3月6日公開 東映東京撮影所製作)
      • 監督:マキノ雅弘、脚本:山本英明、松本功
      • 出演:高倉健、池部良、藤純子、待田京介、志村喬、他
    • 第6作『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』(1969年11月28日公開 東映東京撮影所製作)
      • 監督:山下耕作、脚本:神波史男、長田紀生
      • 出演:高倉健、池部良、片岡千恵蔵、大木実、小山明子、他
    • 第7作『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970年9月22日公開 東映東京撮影所製作)
      • 監督:マキノ雅弘、脚本:大和久守正
      • 出演:高倉健、池部良、藤純子、加藤嘉、中村竹弥、長門裕之、他
    • 第8作『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』(1971年10月27日公開 東映東京撮影所製作)
      • 監督:佐伯清、脚本:村尾昭
      • 出演:高倉健、池部良、鶴田浩二、松方弘樹、松原智恵子、他
    • 第9作『昭和残侠伝 破れ傘』(1972年12月30日公開 東映東京撮影所製作)
      • 監督:佐伯清、脚本:村尾昭
      • 出演:高倉健、池部良、鶴田浩二、星由里子、北島三郎、安藤昇、他

    それと、網走番外地のシリーズですね。網走刑務所のやくざの脱走者を演じていた映画です。 
    これまた、主題歌の『網走番外地』を歌っていた。 このシリーズも何本も見た。 
     『昭和残侠伝』のシリーズより、ずっと前だと記憶していたが、これまた違っていた。わずか半年前でした。 健さんのシリーズとして映画化されるまでに、色んな経緯があったようである。
    網走番外地 (東映) 



    Wikipedia の作品リストでは、石井輝男監督作品とその他監督の作品に分けられている。

    石井監督作品

    • 網走番外地
    • 続 網走番外地 (1965年度興行収入ベスト10 : 6位)
    • 網走番外地 望郷篇 (1965年度興行収入ベスト10 : 4位)
    • 網走番外地 北海篇 (1965年度興行収入ベスト10 : 2位)
    • 網走番外地 荒野の対決 (1966年度興行収入ベスト10 : 9位)
    • 網走番外地 南国の対決 (1966年度興行収入ベスト10 : 3位)
    • 網走番外地 大雪原の対決 (1966年度興行収入ベスト10 : 1位)
    • 網走番外地 決斗零下30度 (1967)
    • 網走番外地 悪への挑戦 (1967)
    • 網走番外地 吹雪の斗争 (1967)

    ※1965年度 (65年4月~66年3月)、1966度(66年4月~67年3月)

    DVDのカバーだが。

    他監督作品は、新新網走番外地シリーズとなる。


    • 新網走番外地 (1968)
    • 新網走番外地 流人岬の血斗 (1969)
    • 新網走番外地 さいはての流れ者 (1969)
    • 新網走番外地 大森林の決斗 (1970)
    • 新網走番外地 吹雪のはぐれ狼 (1970)
    • 新網走番外地 嵐を呼ぶ知床岬 (1971)
    • 新網走番外地 吹雪の大脱走 (1971)
    • 新網走番外地 嵐呼ぶダンプ仁義 (1972)

    横尾忠則画伯は、さいはての流れ者のポスターを描いている。良いですね~。





    合掌

    紅葉の銀閣寺



    一昨日、京都大文字山ハイキングの帰路に訪れた、銀閣寺のスナップ写真を紹介するのが、今回の記事の目的である。  

    まずは、世界遺産である銀閣寺の歴史からみていこう。 

    観音殿を「銀閣」と称するほか、寺院全体の通称は「銀閣寺」として知られている。

    京都おもしろスポット というホームページには、

    銀閣寺(ぎんかくじ)は、正式名称を慈照寺(じしょうじ)といいます。
    銀閣寺を創建したのは室町幕府8代将軍足利義政で、祖父である足利義満が建てた北山山荘(金閣寺)を参考に、東山文化の代表東山山荘を造営しました。

     東山山荘の楼閣建物を「銀閣」と呼ぶことから、寺院全体が銀閣寺と称されています。

    と説明されている。 Wikipedia では、もう少し詳しく、つぎの様に記述されている。

    慈照寺(じしょうじ)

    京都府京都市左京区にある、臨済宗相国寺派の寺院。相国寺の境外(けいがい)塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。
    室町幕府8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣(ぎんかく)、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺(ぎんかくじ)として知られる。「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。銀閣は、金閣飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。
    山号は東山(とうざん)。開基(創立者)は足利義政、開山は夢窓疎石とされている。夢窓疎石は実際には当寺創建より1世紀ほど前の人物(故人)であり、このような例を勧請開山という。

    慈照寺
    Ginkakuji Kyoto03-r.jpg
    所在地京都府京都市左京区銀閣寺町2
    位置北緯35度1分36.75秒 東経135度47分53.7秒
    / 北緯35.0268750度 東経135.798250度 / 35.0268750; 135.798250座標: 北緯35度1分36.75秒 東経135度47分53.7秒
     / 北緯35.0268750度 東経135.798250度 / 35.0268750; 135.798250
    山号東山(とうざん)
    宗派臨済宗相国寺派
    寺格相国寺境外塔頭
    本尊釈迦如来
    創建年延徳2年(1490年)
    開基足利義政、夢窓疎石(勧請開山)
    別称銀閣寺
    文化財観音殿、東求堂(国宝)
    絹本著色春屋妙葩像(重要文化財)
    庭園(特別名勝、特別史跡)
    世界遺産
    公式HP銀閣寺 

    公式のホームページ 銀閣寺 があるので、ここを見ればかなり詳し歴史的経緯などが解かる。

    これが、銀閣寺参拝のパンフです。
     

     
     
    チケット兼用の銀閣観音殿の御守護符です。



    土曜日ということもあり、観光客でごった返していました。 外人も沢山いました。 

    銀閣寺境内の案内図です。

    銀閣寺 案内図

    拝観料といわず、お札志納金であります。ゆえに、上の様な御守護符が付いてくるわけです。


    中にはいると、庫裡の前に、このように立派な一本松が植えられている。庭園は実にきれいに整備されている。

    銀閣のアップ写真。

    庭園にある、向月台

    銀沙灘(ぎんしゃだん)の遠景と近景。




    このように観光客で一杯でした。

    銀沙灘の窓からの眺め。


    東求堂本堂の弄清亭を拝観するには、追加の拝観料1000円が必要。 我々は、当然パス。


     
    東求堂とその前の池。

     
    池のなかにある、大内石。


    銀閣の遠景。 とにかく、庭園内の写真を撮りまくりました。


    洗月泉と、その標識。


    再び東求堂のお姿。

    お寺の周囲には、このよなうな竹林もあり、風情がある。


    庭園内の紅葉の写真も撮ってみた。 写真を見て、楽しんで下されば嬉しい。


     



     

     
    このように、みんなカメラやケータイ、スマホで写真を撮っていました。私だけではない。



    銀閣のお姿三葉である。



    銀閣寺の写真集でした。 これでおしまい。