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2017年9月27日水曜日

透明骨格標本

今回は全くのお遊びで透明骨格標本を見ていこう。前回の沼津深海水族館の記事を書きながら面白そうだったので調べてみた。目的は画像を楽しむ事のみです。

まづ基礎知識を得る。

透明骨格標本

生物標本の種類としては、ホルマリンやアルコールなどにつける液浸標本、生物体を乾燥させることで保存する乾燥標本、顕微鏡を使って観察するためのプレパラート標本などがあります。乾燥標本の1つに骨格標本が含まれ、骨格標本の手法として透明骨格標本があります。
透明骨格標本とは、筋肉などのタンパク質を透明化させて、硬骨を赤紫に、軟骨を青に染色することで、標本を解体することなく、生きていたままの状態で、立体的な骨格配置を観察する研究技法です。学術的な標本や資料としてだけでなく、インテリアや芸術作品として注目されています。

インテリアとしては、新世界『透明標本』が出荷して東急ハンズで販売されている。その他、各水族館などでイベント販売をしている。透明標本作家 冨田伊織さんが作品というか製品を作っているようです。 新世界『透明標本』



【透明工房】ハツカネズミの透明骨格標本 11,000円(内税)


【透明工房】ウズラの透明骨格標本 28,000円(内税)


その作品の数々。

大量生産できないので製品の値段は高くつくわけです。

以下で 透明骨格標本を見ていく。

魚類編













甲殻類





昆虫  1種だけですがセミの抜け殻です。



爬虫類









両生類 カエル以外は見つからない。



哺乳類




最後に人間を透明骨格標本すればこうなります。


あれ、唯の 骸骨=骨格標本 でした。 これでおしまい。

2015年11月21日土曜日

鳥取の淀江傘

3日前にふと思いついて書いた記事です。その時は、ずっと雨が続いていた。

雨が続いてますね。外出するには、傘が必要だ。そこで、今回は傘の話。私も小さいころは、蝙蝠傘でなく、番傘をさしたことがある。


こんな洒落た奴ではないけど、油を染み込ませた厚紙で張ってありました。むしろ、この黄色と黒の番傘です。プーンと油の匂いがする。これがまた重たいんですよね。



これから見て行きたいのは、伝統工芸としての鳥取の淀江傘です。

ちと古いが、西ナビの6月号の表紙が鳥取の淀江傘である。いつものように、西ナビの表紙写真に関連した記事を書こうと思っていて、すっかり忘れてしまっていたのだが、雨が続いて思い出したのである。相変わらずのお手軽な発想である。 細工蒲鉾  石川の金沢箔   京うちわ  

記事を引用する。

傘の産地の一つ、鳥取県米子市淀江町
広い砂浜に、1万本以上の傘を一度に干すことができたこと、良質の竹材が入手しやすい土地柄だったことなどが傘の製造に適していたという。

壮観ですね。

 
 
 
文政4年(1821年)、倉吉から淀江に来た倉吉屋周蔵が傘屋を始めたことが淀江傘の歴史の始まりです。土地柄、竹材が入手しやすく、傘を大量に干すことができる日野川の流砂が堆積した砂浜もあり、大正時代には製造業者が71軒、年間生産量が17万本にものぼり、西日本一円に出荷するまでに成長しました。
しかし、洋傘が普及し始めるようになると、徐々に生産量は減っていき、1984年をもって淀江傘の製造業者はすべて廃業しました。



現在では「淀江傘伝承の会」の皆さんの手で伝統を守りながら作られています。

風雪に負けない丈夫さと、独特の美しい糸飾りは他に類がなく、その技術は「米子市無形文化財」に指定されている。
 現在「和傘伝承館」を拠点に伝統工芸として作り継がれ全国から改めて注目を集めている。



1本の竹から和傘を完成させるまで70以上の行程がある。そのプロセスの一部。

 
 
 
和傘の中にある本桔梗の糸飾りは、淀江傘独自のものといわれている。見事なものですね。








それでは、淀江傘の写真集。



 
 
 
 
 

これでおしまい。

2015年10月31日土曜日

桜井 山の辺の道 月山記念館

奈良山の辺の道 桜井編の4回目。大美和の杜をぬけて、山の辺の道に入って暫く歩いた所に月山記念館がある。今回は、その記念館の紹介。本日は息子の店の皿洗いに行くため時間がなく、手短に記事にする。手抜き記事だね。

Wikipediaでは、記念館でなく刀鍛冶月山の記述がある。

月山(がっさん)

日本刀の刀工の一派。 鎌倉期から室町にかけて活躍した刀工とその一派。出羽国月山を拠点とした。その中で幕末に大坂に移住した系統が、現代まで残っており奈良県を拠点として活動している。

伝承によれば、出羽国月山の霊場に住んだ鬼王丸(鬼神太夫とも呼ばれる)を元祖とする。以来月山のふもとでは刀鍛冶が栄え、軍勝、寛安、近則、久利 などの名人を輩出した。鎌倉期から室町期にかけて、月山の銘を刻んだ刀剣は実用性の高さと綾杉肌の美しさの両面から全国に広まり、この刀工集団を「月山鍛冶」、その作品を「月山物」と呼んだ。しかし戦国時代が終わり、江戸期に入るとそれはいったん途絶えた。そのため江戸初期以前の作品を便宜上「古月山」と呼ぶことがある。幕末、一門の弥八郎貞吉は大坂に移住。以来、月山家は、関西を拠点として作刀活動を行う。

近代の歴史については、このように書かれている。

月山貞勝(1869年-1943年)や孫の月山貞一(二代貞一、1907年-1995年、昭和46年 重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定)と、初代貞一の後も名人を輩出する。当代は、二代貞一の三男月山貞利(1946年生、奈良県無形文化財、前全日本刀匠会会長)。その長男貞伸(1979年生)も2006年より本格的な作刀活動に入る。

桜井市のホームページでは、このように記載されている。

三輪山の麓、谷あいを流れる狭井川のほとりに位置し、日本刀の鍛錬場もあり月山一門の刀剣が展示されている。

それでは、写真紹介を始める。

記念館の入り口に置かれていた歌碑。

狭井河よ 雲立ちわたり 畝火山 
木の葉騒ぎぬ 風吹かむとす           

伊須気余理比売  歌碑番号は、50番目。


お庭にあった、二対の鯱


月山記念館の看板パネル 日本刀鍛錬道場も併設されている。 嬉しいことに入場無料です。 


先ほどの伊須気余理比売の歌を、人間国宝であった月山貞一が揮毫した書の石碑。 


入り口。 看板には、月山日本刀鍛錬道場記念館 とある。



中にはいると、向かって右側が月山日本刀鍛錬道場になっている。


ここには、このように刀鍛冶に用いられる道具類が展示されている。


鍛冶場

道場の前が、枯山水の神聖なるお庭になっている。奥に見える方が、月山貞利氏と思えるが定かではない。

右手が、月山記念館になっている。月山貞利氏の作品や、刀製作のビデオが放映されている。そのご長男の貞伸氏らしき方が、たまたま留守番をしておられた。惧れ多いので、見学のお礼だけを申し上げた。

 
月山日本刀鍛錬道場 ~(Gassan Japanese sword master)
 
 
裏側のお庭の佇まい。
 
 
今回はこれでおしまい。