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2017年4月26日水曜日

大阪大学総合学術博物館

週一の非常勤で阪大に通っている。最初の2年目まではまだまだ元気一杯だったので、講義終了後やその前に阪急宝塚沿線にあるお寺や神社を廻りこのブログの記事に書いたものだ。昨年はワイフの大病で大学に通うだけで精一杯で、講義終了後はすぐに帰宅していた。なにせ晩御飯の用意と術後の容態を常に見守る必要があったのだ。今年2月の小笠原諸島旅行後は不調だったが、4月に入って回復してきて、私のほうも比較的に自由が利くようになった。以前のようにある程度は自由勝手に行動できるようになっている。有難いことだ。

この機会を逃さず、今年はカメラを持って沿線周辺の場所を見てまわりたい。昨年のリベンジを果たそうと思っている。 その1回目が前回の記事 阪大豊中キャンパスの桜  である。

今回は前回と同じく豊中キャンパスでの取材である。先週の水曜日に撮った写真で大阪大学総合学術博物館まちかね童子像を紹介したい。

豊中キャンパスのマップ



上のマップでは阪急石橋駅から㉖基礎工学部へ向かう黄色の矢印が道順になっている。私の行き道は違っていて、駅から線路沿いに民家を通りぬけ、キャンパスを外側から回り込んで、通用口から刀根山寮を通過して文系総合研究棟に出て、㉖基礎工学部へ向かうというコースである。所要時間はあまり変わらないが学生は殆ど利用しないので一人歩きを楽しんでいる。帰りのコースは黄色の矢印の逆に進んで駅に向かう。

総合学術博物館は裏門の近くにあり、帰り道に見かけるのだがどうしても素通りしてしまう。それで、今回は自宅を早めに出て博物館を見てから非常勤講義室に向かおうと思った。

大阪大学総合学術博物館の表示板


この建物である。 入場は無料。非常勤講師の特典ではなく誰でも無料である。


博物館に入ると受付の女性(大学職員の方)がおられ、彼女から博物館のハンプレットを頂いた。

パンフ



博物館の建物は待兼山修学館という名称であり、懐徳堂適塾を源流としている。2008年に国の登録有形文化財に指定されている。

パンフには1階から3階まで貴重な学術標本や資料を展示している。



館内の展示室は撮影禁止になっている。それで写真紹介はできないが、幸い博物館のホームページがあるので、詳しくはそちらを見られたい。 総合学術博物館常設展示

1F  コンピュータの黎明期  世界にはばたく研究者

2F  みる科学  大阪大学の系譜

3F  待兼山に学ぶ

博物館で特筆すべき展示はマチカネワニである。1964年5月、豊中キャンパスの理学部建設現場から出土した。日本で初めて発見されたワニ類の化石だそうです。

そのマチカネワニの実物大化石のレプリカが入り口の壁にデーンと張り付いている。

その復元模型

非常に貴重な化石で国登録記念物になっている。 知らなければ、日本ワニが生息していたというのは驚きかもしれない。


1階から3階まで色んな展示物を見て、阪大在任の偉大な研究者の系譜に接して大したものだと感銘を憶えたのである。その一方で最近の 大阪大学医学部論文不正事件 - Wikipedia は嘆かわしい事だとも思った。

階段には古い機器が展示されていた。触れてはいけないが、これらは撮影可なので写してみた。

製鋲機および伸展用機器

旋盤


最近のニュースとしては、NIFREL(ニフレル)との協定がある。

平成27年11月19日に「生きているミュージアム」として万博記念公園(吹田市)内に開館したNIFREL(ニフレル)と当館は、今後様々な研究と展示の連携を図るため、包括協定を締結しました。
 ニフレルでは、当館が所有する骨(ワニの化石)から忠実に再現したマチカネワニの実物大復元模型を展示しています。


(写真:協定書を手にする永田館長とニフレル小畑館長)

また本日4月26日から8月5日まで HANDAIロボットの企画展がある。



企画展 HANDAIロボットの世界-形・動きからコミュニケーション そしてココロの創生へ-

本日見に行こうと思っている。

博物館の見学がおわり、キャンパスを散策する。

しだれ桜はまだ見ごろである。


さつきの花の蜜を吸うアゲハチョウ


「友よ我らぞ光よと」像  旧制浪高の像である。


まちかね童子像


ともに夢童百里子の彫刻作品である。旧制浪速高校の第1回卒業生でもある国文学者・野間光辰のお嬢さんとのことです。

お二人の写真



これで阪大豊中キャンパス紹介の2回目はおしまい。

2017年4月25日火曜日

奈良 月ヶ瀬の梅 II

月ヶ瀬の梅の後篇である。 

天神神社の周りは休憩所になっていて渓谷を眺めることができる。


ここから少し上ったところに駐車場になっている小さな広場がある。

そこに祀られていた鳥居

稲荷神社と思われるが正確な名称は不明。


その社 最近作り直されたらしく真新しい。社額は見当たらず。


そのすぐ下に句碑苑がある。

月ヶ瀬句碑苑の石碑



ふるさと賛歌の石碑

句碑 

朝の陽に馬酔木鈴ふる句碑のかげ


梅林へ縷々と降らねば花を得ず

故郷とはひそかに泣かす花わさび


水浴びにいくと大仏もうさるる


頼山陽詩碑

裏面には頼山陽の評伝が記されている。


その足元に頼山陽著の日本外史からの一文が刻まれた石碑がある。


和州の香世界を観るに非ずんば
人生何ぞ梅花を説く可けんや
                                   

頼山陽は有名だがお顔の方は思い浮かばない。それでWikipediaさんにお聞きしてみた。髭づらのおっさん顔でした。


頼山陽

頼山陽像(帆足杏雨筆 広瀬旭荘賛 京都大学総合博物館蔵
書斎山紫水明處・京都市上京区


頼山陽の署名「頼襄」

頼 山陽(らい さんよう、1781年1月21日) - 天保3年9月23日(1832年10月16日))

大坂生まれの江戸時代後期の歴史家、思想家、漢詩人、文人。幼名は久太郎(ひさたろう)、名は(のぼる)、字は子成山陽、三十六峯外史と号した。主著に『日本外史』があり、これは幕末の尊皇攘夷運動に影響を与え、日本史上のベストセラーとなった。贈正四位。

    詩句を読んで我々も、紛いなりだが日本の香しい月ヶ瀬の梅を見て人生のささやかな意味を感じとったのであった。

    焼きたけのこを売っている露店がルートから少し離れた所にある。


    早速買ってきて食っている食い意地の張っている爺さん。新筍だけあって美味だが、値段は高い!


    品種苑の梅  実はまだ時期尚早でしたね。 あと1週間もすれば見ごろでした。


    斎藤拙堂詩碑


    とても読めないが下の詩文のように掘られている。拡大すれば読めます。



    斎藤 拙堂




     Wikiによる説明:

    斎藤 拙堂(さいとう せつどう、寛政9年(1797年) - 慶応元年7月18日(1865年9月7日))

    幕末の朱子学者。諱は正謙。字は有終。通称は徳蔵。

    頼山陽大塩平八郎渡辺崋山吉田松陰など、多数の儒者、文人との交流をもった。弟子に三島中洲河井継之助らがいる。
    その博学ぶりは広く世に知られたが、特に漢文をもって知られ、古今の漢文について評した『拙堂文話』や武士のあり方について論じた『士道要論』『海防策』などその執筆分野は多岐にわたっている。
    しかし拙堂の最も得意としたのは紀行文であり、『月瀬記勝』は大和国月ケ瀬を梅の名所にたらしめ、頼山陽の『耶馬渓図巻記』と並んで紀行文の双璧とされ、拙堂の名を高めた。

    昔のトラベルライターであった訳でもある。

    ここからは帰路である。

    休憩所の梅


    展望台

    坂道

     渓谷の梅


    枝の切り取られた古木があった。 面白いので写してみただけ。

    過って使われたという大きな梅干しの樽。


    月ヶ瀬のマンホールの蓋。


    マンホールの蓋にも色んなデザインがありますね。月ヶ瀬の梅を見終わり、駐車場に戻った。そして神戸へと帰っていくのであった。これでおしまい。



    奈良 月ヶ瀬の梅 I 

    2ヶ月近く前になるが、3月4日に奈良へドライブに行った。今回はその日帰り旅行記の1回目である。梅の時期になったので関西では有名どころの月ヶ瀬の梅を見に行こうという事であった。発案はワイフでアッシーは次男であった。私はワイフの見守りである。

    自宅を出て約2時間で月ヶ瀬梅の資料館に到着する。



    資料館の道路向かいに月ヶ瀬観光案内図があった。



    資料館で頂いたパンフをアップしよう。 



    観梅マップでこのコースに従って梅見をする。


    月ヶ瀬観光協会による解説:
    月ヶ瀬梅林1922年(大正11年)、金沢の兼六園・奈良公園とともにわが国最初の名勝に指定されました。名張川の深い渓谷と梅の木が織り成す風景は、多くの著名人の訪れるところとなり19世紀の前半には梅の名所として知られていました。1969年(昭和44年)高山ダムの完成で梅林は分散しましたが、移植・保護に努め、今では他では類を見ない月ヶ瀬湖湖水との絶妙な調和が観梅客の目を楽しませてくれます。

    渓谷に植えられた梅の木と名張川の眺めが名勝とされている。それを見に行ったのである。

    Wikipediaによる解説記事も引用する。

    月ヶ瀬梅林


    月ヶ瀬梅林

    月ヶ瀬梅林(つきがせばいりん)

    奈良県奈良市月ヶ瀬尾山とその周辺に位置する梅林である。五月川の渓谷沿いに梅の木が広がる様から月ヶ瀬梅渓とも呼ばれる。古くから有名な梅林で、日本政府が最初に指定した名勝の一つである。2007年現在、約1万3千本の梅が栽培されている。


    梅林の「歴史」が面白いのだが、引用すると長くなるので興味のある方はWikipediaの月ヶ瀬梅林をご覧になられたい。 

    烏梅の生産のための梅であったが、化学染料の台頭により10万本あった梅の木は徐々に衰退していく。かわりに風光明媚な風景を求めて、観光客は増えていき、一般の人々の観光地に変化していったのである。

    まづは月ヶ瀬梅の資料館の見学である。



    平成23年2月13日(日)にオープンした奈良市月ヶ瀬梅の資料館。鉄筋コンクリート造りの3階建てで、1階は梅を使った地元特産品の販売コーナー・月ヶ瀬の季節の移り変りをご覧頂ける視聴コーナー・月ヶ瀬の花の種類の紹介コーナーなどでさまざまな情報を発信しています。
    2階斉藤拙堂富岡鉄斎など月ヶ瀬を来遊した著名人の書画・書籍など観梅にかかわる資料を展示する展示室と収納庫、会議室となっています。また会議室の外には回廊がありダム湖と山間の木々の織り成す景色堪能ください。
    3階展望台で、鮮やかな朱色にかがやく月ヶ瀬橋と水面に映る花・木々の風情を感じることが出来ます。

    HPアドレス=http://umeno-shiryoukan.sakura.ne.jp/

    という事だが、2階と3階は見学していない。 資料館前に梅の古木があったので、それを撮影した。ちらほらと花が咲き始めていた。

    その前の石碑には行啓記念とある。昭和59年奈良国体の時に、皇太子夫妻(現在の天皇夫妻)行啓の記念碑である。


    富岡鉄斎題 「香雪世界  コケむしていて貫禄のある石碑です。


    鉄斎月ヶ瀬を度々訪れた。また月ヶ瀬の保全に協力したという。

    1階では、烏梅(うばい)の製造法の写真説明があった。


    ここで烏梅の説明をする。私は知らなかったのでお勉強を兼ねてである。

    歴史から言うとこのように書かれている。

    後醍醐天皇が笠置落城の折、天皇の側女が月ヶ瀬に逃れ村人に助けられ、紅花染の媒介済としてこの烏梅(墨梅)の作り方を教えた。これが高価に売れるので村人はこぞって各地に梅を植え梅林が広がった(約10万本)。それにより、梅の花渓谷による梅渓となった。

    ■「紅花染と烏梅」について

    古来より口紅や着物の染色にと使われてきた紅の伝統的な染色技法は複雑で、紅花の花びらから抽出した赤い色素を、落ちた梅の実を煤でいぶし乾燥させた「烏梅(うばい)」の酸性液で中和しながら発色させていきます。
    かつて京の都で口紅や着物の需要があった時代には、
    烏梅は米よりも高値で売れていたため各地でこぞって作られていましたが、化学染料の普及により次第にその需要量は減少し、現在では烏梅を製造できる職人は全国でも唯一、月ヶ瀬だけとなりました。

    ということなので、一般の人(私含む)は知らなくっても道理である。

    ところがである。烏梅は染色に使われただけでなく、昔から民間薬として使われてきた。

     なんでも梅学より:

    「烏梅」ってなに?

    未熟な梅の果実を、薫製(くんせい)にしたもの。 梅実を籠(かご)に入れ、釜戸(かまど)の煙で 黒く燻(いぶ)し、乾燥させて作る。

    名前の由来

    「烏梅」の「烏」はカラス。 黒い色にちなみ、名付けられたと思われる。 マムシやイモリの黒焼が漢方薬なのだから、 梅も黒くいぶされても不思議ではない。 逆にいかにも効きそうな漢方薬に思える。

    どんな味?どんな形?

    強い酸味があり、ほぼ球状の形。
    表面は真っ黒でシワがあり、壊れやすい。

    烏梅の薬効 なにに効くの?

    鎮痛・解毒作用がある健胃整腸の妙薬。煎じて風邪薬や胃腸薬として用いる。
    「熱冷まし」「下痢止め」「咳止め」「食物や薬物中毒」
    「回虫駆除」「止血」「すり傷」「切り傷の手当て」など
    昔から民間薬として重宝され、漢方薬として現在も用いられている。

    結局のところ、烏梅染色剤か薬であって食べ物ではなかった。従って購入はしていない。

    その代わりといってはなんだが、手前の商店で草餅を買いました。 歩きながら食べるのは美味し。


    梅林入り口に立つ石碑  名勝 月瀬梅林 とある。


    早速満開の梅のお出迎え。


    道路に面して盆梅の展示即売が行われていた。

    こちらの梅は二、三分咲きといったところ。


    手作りの乾しイチゴとさんざしの実をビニール袋に詰め売っていました。


    民家の風景

    露天のお店が観梅コースに沿って何件も並んでいる。 こちらは干し芋屋さん。


    この坂を登ったところに真福寺がある。


    Wikipediaには記載はあるが詳しい記述はない。

    真福寺

    Shinpukuji (Tsukigase) 01.jpg

    月ヶ瀬梅渓を一望できる山上にある高野山真言宗 尾勝山「真福寺」。

    治承2年(1117)の創立
    と伝えられていて、江戸時代中期に再建され現在に至っています。

    境内には「姫若の梅」と言われる古木があります。また、月ヶ瀬梅林の始まりとされている由緒のある梅の木のあった跡も今も残っています。

    境内にいたる石の階段


    常夜燈  灯りを入れる部分は木製である。


    本堂に至る参道


    本堂


    真福寺寺額



    真福寺の本尊木造地蔵菩薩立像である。


    本堂奥に祀られているこの菩薩像である。 自由に拝観できる。


    境内の梅


    地蔵尊と墓石の山


    十三重の多重塔

    梅の花

    お掃除小僧

    ぼけ除け地蔵菩薩


    僧院からお主さんがお見えになった。

    一礼をしてお寺を出る。

    観梅コースにもどる。 いくつもの展望台がある。

    鹿飛谷の茶店  ひげっ茶や各種の漬物も売っている。


    名張川渓谷


    月ヶ瀬梅渓 一目八景 の看板  邪魔な爺さんも写っている。


    その景色

    我々は一目八景茶屋で、遅い昼ご飯を食す。

    山菜そば、鍋焼きうどん、天ぷらうどんを注文したのであった。




    結構美味でした。 こんな所でグルメ写真を撮るとは思わなかった。

    この茶店です。飲食店は向かいの渓谷側にある。


    城州白の梅の木

    渓谷の梅



    天然記念物の養老しだれ


    このような舗装された道を歩いての渓谷梅巡りである。


    渓谷の風景


     そしてこの小さい赤い橋を渡ると


    尾山天神神社に到着する。

    天満宮と刻された額をもつ石鳥居  表記が天神社でないのは何とも不思議である。


    社宮 拝殿というべきなのだろうか? 後述の姫若様を祀る社だと思われる。


    後方から写した社


    手水舎

    その横の表示板

    尾山天神社 加賀前田家百拾九万五千石気願書とある。


    由緒を刻んだ石版 

    次のように記されている。

    尾山天神々社()と月ヶ瀬梅林の由来

    元久二年当天神社()を産土神として真福寺境内に創祀され。明治十七年絶景の此の地に移祀された。
    元弘元年御醍醐天皇笠置落城の折、その女官姫若(別名園生)は尾山に逃れ来行倒れ村人手厚く介抱しお護りす。
    姫は天神社周辺の梅花を見て烏梅の製法を教え村人競って梅を植え、村人の財を潤す即ち月ヶ瀬梅林の起源である。
    その後姫若没するも梅に縁のある当天神社に合祀す。
    現在、厄除け、入学祈願、家内安全、月ヶ瀬梅林の守護神として深く信仰され、地元惣代に依り護持されている。

    こちらの社は産土神を祀る社だと思える。


    この神社は崖の側にあり、この場所から名張川にかかる月ヶ瀬橋が見える。この橋を渡ってここまで来たのであった。


    記事が長くなりすぎたので、途中だが今回はこれでおしまい。次回につづく。