ページビューの合計

2017年6月26日月曜日

微分方程式講義(2017年版)レポート問題2

今年度の2回目のレポート問題をアップする。6月28日の講義日に配布の予定だが、入手できなかった場合には、これをプリントアウトして解答してください。

提出日は、7月19日。遅れる事は、原則許されない。遅れても受理はするが、減点の対象とする。とにかく、できる問題から早目に解いておくことが望ましい。前回と同じく、採点は、全面的にTutor の学生さんに任せている。問題は昨年度からかなり変更しているので、再履修の学生さんは注意してください。

レポート問題3は、定期試験日が締切です。これ以降は受け付けません。試験終了後に提出してください。

試験日は8月2日である。あと1ヶ月と少しなので頑張って解いてください。




微分方程式講義(2017年版) 教科書の誤植のお知らせ

微分方程式講義の番外編として、教科書の誤植をお知らせする。

修正部分を  で書き直しているので注意して見てください。









以上です。

現代画家 ロイ・リキテンシュタイン

バルセロナ旅行記 XXII の記事で、ロイ・リヒテンシュタインの作品がバルセロナポルト・ベイ入り口にあると書いた。このモニュメントです。



今回は、このアメコミみたいな絵柄を特徴とする現代作家の紹介です。アンディ・ウォーホルらとともにポップアートの代表的な画家とされる。

作家の肖像


Wikipediaからの記事を引用する。

ロイ・リキテンスタイン
Roy Lichtenstein.jpg
Roy Lichtenstein, 1967
生誕ロイ・フォックス・リキテンスタイン
1923年10月27日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州マンハッタン
死没(1997-09-29) 1997年9月29日(満73歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州マンハッタン
国籍アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
教育オハイオ州立大学
著名な実績絵画、彫刻
運動・動向ポップアート


ロイ・リキテンスタイン(Roy Lichtenstein、1923年10月27日 - 1997年9月29日)

アメリカ合衆国の画家。
アンディ・ウォーホルらとともにポップアートの代表的な画家。新聞連載の通俗な漫画の1コマを、印刷インクのドット(網点・Ben-Day dots)まで含めてキャンヴァスに拡大して描いた作品群で有名。漫画の持つ単純だが強烈な線、単純化された色彩などの表現力を油彩で表現している。

略歴:

リキテンスタインは1923年、ニューヨークに生まれた。
1940年、オハイオ州立大学美術学部に入学。途中、兵役期間を含んで第二次世界大戦後の1949年、同大学で修士号を取得している。
卒業後も大学にとどまり、1949年から1951年まで講師を務めた。
初の個展は1951年、ニューヨークのカール・バック画廊で開催している。
1950年代には製図工、大学講師などをしながら生計を立て、当時は最新の抽象表現主義風の作品を制作していた。

リキテンスタインの代名詞となっている、漫画のコマを拡大したような作品は1960年代初頭に登場する。彼の作品では事物は全て太い輪郭線で囲まれた平面として表され、色は原則として三原色のベタ塗り、陰影はドットの大小や密度で表現されている。

また赤・黄・青の三原色と白・黒に限定した色使いはモダニズムの抽象画家であるピエト・モンドリアンにも共通しており、漫画の平面性を強調した画面は同様に平面性を強調した抽象表現主義から連続しているところもあった。

後に漫画のみならず、古今の名画を同様の平面的な手法で描くシリーズや、絵具をぶ厚く塗った筆跡(ブラッシュストローク)のような平面性とは対極にあるものを漫画のように平面的に描くシリーズなども展開している。色使いも、後に三原色以外の色も使うようになり、また絵画の中に鏡面を取り入れたり、立体作品の制作なども手掛けるようになった。

1995年に都賞思想・芸術部門(美術分野)を受賞した。


京都賞を受賞しています。日本にも拘わりのある画家でした。


死後70年経っていないので、作品は著作権で守られている。従ってうかつに画像をコピペしてアップするとお縄になる可能性がある。それは嫌なので、作品がパブリックドメインにあるらしいと思える画像のみアップする。趣味で画像収集して個人で見て楽しむのと殆ど同然ですが、このブログにも少数だが読者がいるのでその配慮が必要になる。面倒くさいことです。

それでは彼の作品をご覧ください。ドットは全て一つづづ手書きです。

女性を描いたアメコミの1シーンを拡大描写している。


上の改変版


彼は女性が涙を流すシーンが好きらしい。




そのピカソ風バージョン


ドットを使わないベタ塗り風の絵もある。


ポスター



 立体作品もある。顔の青と赤のドットは何やら不気味です。



これでおしまい。

2017年6月25日日曜日

西宮神社 I

本住吉神社を参拝してから、阪神バスで西宮に向かった。前回の神社記事で書いたように、昼間の西宮えびす神社を参拝するためである。

阪神西宮駅



駅前から石畳の敷かれた戎参道(車両通行禁止)が神社に向かってつづく。


途中参道を右折すると、大練塀に囲まれた西宮神社が現われる。全国のえびす宮の総本山だけあって広大な敷地をもつ日本有数の神社である。私も年中行事の一つとして1月10日には、十日戎には福をさずかりにお詣りしています。

社碑


西宮神社は 福の神として崇敬されている えびす様をおまつりする神社の総本社です。
三連春日造(さんれんかすがづくり)と云う珍しい構造の本殿。
江戸時代寛文三年(一六六三)に四代将軍家綱の寄進になる国宝の本殿は、昭和二十年の空襲により烏有に帰してしまいましたが、昭和三十六年、桧皮葺から銅板葺に変わった他は、
ほぼ元通りに復興され、今は銅屋根も古色を帯び、 えびすの杜を背景に佇んでいます。
本殿後方一帯の境内えびすの森は、兵庫県指定天然記念物となっています。

国指定 重要文化財 の大練塀 

このような練塀が境内を取り巻いて建てられている。



大練塀が最初に建てられた年代についての文献は残っていませんが、昭和二十五年の大修理の際、築土の中から宗銭三枚、元銭一枚が発見され、これによって室町時代に建造されたものと推定されます。全長二四七メートル土塀で、その堅牢な構造から国の重要文化財に指定され、名古屋・熱田神宮信長塀京都・三十三間堂太閤塀と共に日本三大練塀と称されています。

知らなかったが、日本三大練塀なんてのがあるんですね。しかし、この大練塀は、家康塀というわけではない。

西宮市教育委員会による 西宮神社大練塀 の説明板もある。





大鳥居


社碑

由緒舎

大練塀前に立派な青銅製の常夜燈が二基ならんでいる。


二基並んでいる所を写す。何とならば土台の六角形の部分に二基で合わせて十二支の動物が描かれているからである。


表大門(おもてだいもん)

通称赤門(あかもん)と云われる表大門は、桃山建築の遺構をのこし、その左右に連なる大練塀と共に、重要文化財に指定されています。

西宮市教育委員会による 西宮神社表大門 の説明板。



赤門脇の常夜燈


下馬碑もある。

赤門横に鎮座する梅宮神社の社  



ここでWikipediaから西宮神社を解説して頂こう。

西宮神社
西宮神社
Nishinomiya-jinja01s4592.jpg
本殿
所在地兵庫県西宮市社家町1番17号
位置北緯34度44分8.5秒
東経135度20分4.6秒
座標: 北緯34度44分8.5秒 東経135度20分4.6秒
主祭神西宮大神(蛭子命)
社格等県社・別表神社
本殿の様式春日造
札所等神仏霊場巡拝の道67番(兵庫2番)
例祭9月22日
主な神事十日戎
おこしや祭
誓文祭
地図
西宮神社の位置(兵庫県内)
西宮神社
西宮神社


拝殿

西宮神社


西宮神社(にしのみやじんじゃ)

兵庫県西宮市にある神社である。日本に約3500社ある、えびす神社総本社(名称:「えびす宮総本社」)である。地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれる。なお、戎信仰については、えびすを蛭子と同一視する説の他にもいくつかの説が存在する。


祭神: 第一、第二、第三と祭殿ごとに異なっている。
  • えびす大神(西宮大神・蛭児命) - 第一殿主祭神

  • 天照大御神 - 第二殿

  • 大国主大神 - 第二殿

  • 須佐之男大神 - 第三殿


祭神の蛭児命伊弉諾岐命伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。
しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。ここまでは記紀神話に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。当社の社伝では、蛭児命西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたという。


由緒


西宮のえびす様は、古くは茅渟(ちぬの)海(うみ)と云われた大阪湾の、神戸・和田岬の沖より出現された御神像を、西宮・鳴尾の漁師がお祀りしていましたが、御神託によりそこから西の方、この西宮にお遷し、祭られたのが起源と伝えられております。
この鎮座の年代は明らかではありませんが、戎(えびす)の名は平安時代後期には 文献に度々記載されています。古社廣田神社の浜南宮の内に鎮座したえびす大神は、漁業の神として信仰されていましたが、この西宮は西国街道の宿場町としても開け、市が立ち、やがて市の神、そして商売繁盛の神様として、灘五郷の一つ西宮郷の銘酒と共に、隆盛を極めるようになります。
現在では一月九日、十日、十一日の「十日えびす」には百万人に及ぶ参拝者で賑い、阪神間最大の祭として全国に知られています。特に、十日早暁の大祭終了後の開門神事・走り参りは、福男選びとして大変な熱気につつまれます。 九月二十二日の例祭と翌日の渡御祭、和田岬までの海上渡御、産宮参りも、秋の西宮まつりとして地元の人々の大きな楽しみとなっています。

さらに詳しい歴史に関する記述があるが、それはWiki-西宮神社にまかせる。

赤門の看板  表大門 とある。


屋根部分  桃山風の建築様式らしい。


それでは広大な境内の参拝である。

境内案内図  このような配置になっている。



入ってすぐの参道横に常夜燈がいくつも並んでいる。


境内  広い参道が拝殿までつづく。

広田神社摂社である南宮神社末社である 児社。 
南宮神社は、この西宮神社境内内にある。



二柱鳥居

広田神社摂社である南宮神社



南宮神社拝殿
 拝殿前 狛犬二基

 本殿

西宮神社本殿に向かう参道


境内案内舎 境内にある数多くの摂社名も記されている。


本殿前 大鳥居


祈祷殿

神馬を祀る 神馬舎 その由緒板。

えびす様が10日えびすの前夜に市中を乗馬で巡回するという伝承がある。その神馬を奉る社である。


社内には、このように愛嬌のある神馬がおわせまする。


参道脇にある、二龍一玉のブロンズ板の埋め込まれた石碑


歌碑

手水舎 立派な太い柱です。
由緒舎

御戎之鐘を保存する社

豊臣秀頼公の発願による御社殿再興の翌年、即ち慶長十五年三月付の銘が有る事から、秀頼公の奉納になるものと思われます。天和四年(一六八四)の「西宮社旧記」には「志ゆろうたう(鐘楼堂)」の記載があり、実際に使われていた事を窺わせます。


銘文:

奉 建立攝州武庫郡 西宮
御戎之鐘 一口
諸行無常 是生滅法
生滅々己 寂滅為楽

大檀那武運長久息災延命之処也
洛陽三條 鋳物師
藤原徳左衛門 国宝作
慶長庚戌十五年三月八日
施主 敬白



拝殿



拝殿本殿の側面

立派な拝殿本殿です。社格は県社のようですが、全国のえびす宮を束ねるだけのことはあります。

拝殿前にはブロンズ製の威厳ある狛犬神馬が共に神社をしっかりお守りしている。

狛犬二基


神馬二頭


拝殿 から 本殿 を望む




本殿第一、第二、第三殿の屋根


今回はこれでおしまい。境内社神池等の参拝は次回にまわそう。