この地図 ↓ の場所である。
舞子延命地蔵の標識 境内のようになっていて石柵で囲われている。
このお地蔵さまで、台座から測ると4mになる大きな御影石造りの石仏である。
舞子延命地蔵 全体のお姿
摂州灘石屋村 石工 文左衛門 作
江戸末期、漁船安全と悪病不入のため村人が作ったといわれている。地元では「たたき地蔵」と呼ばれ、木槌で台座をたたきながら祈れば願いが叶うとされる。
木槌が沢山奉納されている。但し、実際にこの延命地蔵をたたいて貰っては困るとのことです。
由緒を調べてみると次のように記されてあった。垂水おもちゃ箱 より引用。
文政8年(1825年)、山田村(現在の舞子)の庄屋中津源左衛門らが船の往来安全と村の安泰を願って、灘の石工長谷文左衛門に造らせたものらしい。
伝説として、昔高知の桂浜を航海中、網にかかったお地蔵さんが船倉に転がり込み、あまりに重いのでどうすることもできず、荷物と一緒に山田の浦(舞子の浜)まで航海して荷揚げと一緒にあげた、そのため桂浜の方に向けて祀った。それで「南向け地蔵」と呼ばれたとある。
伝説として、昔高知の桂浜を航海中、網にかかったお地蔵さんが船倉に転がり込み、あまりに重いのでどうすることもできず、荷物と一緒に山田の浦(舞子の浜)まで航海して荷揚げと一緒にあげた、そのため桂浜の方に向けて祀った。それで「南向け地蔵」と呼ばれたとある。
延命地蔵尊の左横には、小さなお地蔵さまが並んで祀られている。いつのまにか持ち寄ってきて集められたものとか。
小地蔵たちの横には、供養塔と宝篋印塔が並んでいる。
境内の左端に、雨にも風にも負けないRC製の社殿を持つ、稲荷社と三宝荒神が祀られている。
白高稲荷大神 社には稲荷鳥居とお狐様が祀られている。
三宝荒神 荒神様は拝殿の中でお休み中であった。
鉄道犠牲者の供養塔(昭和34年) 絶えずお花が供えられているようです。
これでおしまい。
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