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2018年4月27日金曜日

姫路 播州男山三社 千姫天満宮

播州男山三社の二社目は千姫天満宮である。男山の中腹にある。名前の如く姫路城の城主であった本田忠刻の妻であった千姫によって建てられた神社である。

まづWikipediaから神社の基礎データを取得する。


千姫天満宮



所在地 兵庫県姫路市山野井町1-3
位置 北緯34度50分29.5秒
東経134度41分20.1秒
主祭神 菅原道真
創建 1623年(元和9年)3月
例祭 梅花祭



神社参道にある「幸運の蛙、三福かえる」。


千姫天満宮(せんひめてんまんぐう)

兵庫県姫路市山野井町にある神社。男山の中腹に鎮座している。


ご祭神: 菅原道真

今回はこのイラスト画像。




由緒:

1623年(元和9年)3月 - 千姫徳川家康の孫、豊臣秀頼正室)によって創建される。

千姫天神(天満宮・菅原道真)を信仰しており天神の木像を祀っていた。1615年(慶長20年)の大坂夏の陣秀頼が自害し千姫は寡婦となるが、その翌年、1616年(元和2年)には本多忠刻と再婚。1617年(元和3年)に忠刻が姫路に移封されると、千姫は本多家の繁栄を願い姫路の天門(乾・北西)の鎮めとするため1623年(元和9年)3月に男山天満宮を建立し6枚の羽子板を奉納した。千姫が生活していた姫路城西の丸から拝礼出来るように東向きに造営されており、千姫長局の廊下から拝礼していたと伝わる。


千姫羽子板

2002年(平成14年)4月 - 社殿を新築する


学問の神菅原道真が祀り神なのでご利益は学業成就で当然なのだが、その他に、忠刻千姫夫婦仲の良さから恋愛成就の御利益もあるといわれている。


Wikiの記事にも画像はあったが、「幸運の蛙、三福かえる」の石像。男山参道にある。

石鳥居  額束には 千姫天満宮 とある。

玉垣を始めなにもかもが真新しい。きれいに整備されているが境内はとても狭い。そのせいか狛犬君は見当たらないのでした。かわりに狛牛はいます。

手水鉢

道真ゆかりのお牛様ブロンズ像 

撫で牛  梅の金印がお腹についています。


解説板が台に書かれている。

牛は天神様のお使いです。此の神牛をいつも撫でていると思いもよらない幸運や、子孫繁栄のおかげが大きいと申します。

このように書かれていたので心を込めて撫でさすりました。後利益はまだ現れていません。1回限りでは無理なようです。

拝殿  白鷺城にちなむ清酒名城酒樽が奉納されている。


絵馬掛け  千姫羽子板にちなむ羽子板型絵馬が並んでいる。全て恋愛成就のお願いです。

尾張徳川家第二十一代 徳川義宣の 千姫天満宮 参拝記念碑


千姫天満宮の参拝はこれでおしまいで、八十八の石段がある参道を男山八幡宮に向かって登っていくのでした。


これでおしまい。

2018年4月24日火曜日

姫路 播州男山三社 水尾神社

今回は神社シリーズで、姫路播州男山三社の紹介である。神戸の神社は大体行き尽くしたので一寸姫路まで遠出である。JR姫路駅からは徒歩で17分、姫路城から6分位の所にある。神姫バスを利用することもできるが姫路城を見て時間があれば歩いて立ち寄るのがベストであろう。  地図のgooglemapサイト 姫路水尾神社

姫路城を見晴らす男山水尾神社千姫天満宮男山八幡宮がありこれらをまとめて男山三社という。

今回の水尾神社男山の麓に鎮座する。

注連縄の掛けられた渡し鳥居 
石柱にはそれぞれ 産土神徳  萬生所頼 と刻されている。 神学の言葉らしいがよくわからない。


この鳥居をくぐり石畳の参道をまっすぐ進んだ先に水尾神社拝殿がある。

境内に入らず道路際に沿って20mほど先にも石鳥居がある。こちらの鳥居男山八幡宮鳥居も兼ねているようだ。





男山三社のパンフ


神社ご祭神由緒など基礎データの説明はWikipediaとこのパンフから引用した。


水尾神社 (みおじんじゃ)

水尾神社
新築された社殿
新築された社殿
所在地兵庫県姫路市山野井町1-3
位置北緯34度50分28.5秒
東経134度41分22.4秒
座標: 北緯34度50分28.5秒 東経134度41分22.4秒
主祭神大己貴命・伊和大神
例祭11月
主な神事御神幸・湯立神事
地図
水尾神社の位置(兵庫県内)
水尾神社
水尾神社




水尾神社(みおじんじゃ)

兵庫県姫路市山野井町にある神社男山の麓に鎮座している。同市内安富町にある水尾神社 (姫路市安富町)は「みずおじんじゃ」と読む。

境内から姫路城が望まれ、城下町の家並みが残る氏子約千三百戸の氏神神社である。


ご祭神: 大己貴命 (おおなむちのみこと)

大国主命のことですね。今回の画像は黄金の大黒様。成金趣味に走りました。





別称:伊和大神

播磨(兵庫県)の揖保(いぼ)、讃容(さよ)、宍禾(しさわ)の3郡などで信仰された国作りの神。この地方の一族の基礎をつくった族長が神格化されたものとみられ、土着の豪族伊和氏によってまつられたという。のち大国主神と同一化された。

由緒:

古くは伊和大神を祀っていたが、565年から大己貴命を祀ったとされる。
764年(天平宝字8年)6月11日 - 水尾山(現在の姫路市山野井町)に兵主神を祭祀する。神社の名称はここからきている。

787年(延暦6年) - 坂上田村麻呂が兵主神を飾磨郡国衙小野江梛本(現在の姫路市本町)に遷座する(現在の播磨国総社)。周辺の民が男山に祠を建てて祀った。このため水尾神社播磨国総社の元宮といわれている。

1619年(元和5年) - 本多忠政が姫路城を増築する際、神守岡より岡大歳社を遷座し社殿を造営する。この時に社名が岡大歳社に改められている。

明治の神仏分離の際に大歳社徳大明神水尾神社と改め現在に至る。明治年間に社殿を改築。現在の新しい社殿は平成22年に再建したものである。

このように歴史は相当に古いけど神社の規模としてはさほど大きくはない。

それでは水尾神社境内参拝を始める。

手水舎 



手水舎の左横に見えるのが「日露戦捷紀念樹」の石碑砲弾である。


摂末社合同社殿

右から 市杵島姫社・荒神社・大将軍社・武大神 の四社を祀る。
 社額




拝殿   8年前に改築された新しい社殿です。


社額



拝殿前 旧狛犬二基  常夜燈二基

玉垣に接して置かれているので後方からの撮影となった。あっち向いてホイ。従ってお顔をお見せできない。



 拝殿前 新狛犬二基  小ぶりで可愛いい垂れ耳狛犬。



社殿内

奉納大絵馬  ガラスで光が反射してしまっているが姫路城男山三社が描かれている。

ガラスケース入りの 左大臣 右大臣 の人形 


本殿 祭壇


拝殿左に社務所がある。この社務所では男山三社を総合管理しているようです。御朱印などもこちらで一括して扱ってくれる。



御朱印  ネットで画像をみつけました。


境内の右端に天姫天満宮男山八幡宮に通じる石段の参道がある。


千姫天満宮の紹介は次回。今回はこれでおしまい。

ナポリ旅行記 XLII ナポリ歴史地区 (1)

前回の記事ではヌーボ城と記したが Wikipediaではヌオヴォ城と記されているので、今回からはこちらの名称を使う。

まづWikipediaからこのヌオヴォ城を含む世界遺産であるナポリ歴史地区の解説を引用する。


ナポリ歴史地区

ナポリ歴史地区
(イタリア)


ヌオヴォ城
英名 Historic Centre of Naples
仏名 Centre historique de Naples
登録区分 文化遺産
登録基準 (2), (4)
登録年 1995年
公式サイト 世界遺産センター(英語)
使用方法・表示


ナポリ歴史地区(ナポリれきしちく)

イタリアのナポリのユネスコ、世界遺産の登録物件名。

歴史:

ナポリの起源紀元前470年頃ギリシアの植民都市として建設されたことにさかのぼる。当時の町の名前は新しい都市という意味でネアポリス(Neapolis)と呼ばれ、碁盤の目のように整然とした都市計画のもとに整備されていたと考えられている。紀元前4世紀頃古代ローマの支配下に入る。62年と79年に地震が起こり、深刻なダメージをナポリにあたえたが、復興をとげた。

11世紀ノルマン人オートヴィル家が侵入してナポリを支配し、その後ホーエンシュタウフェン家の支配に入った。13世紀に入ってアンジュー家がこの地でナポリ王国を興し、ナポリは繁栄を迎える。16世紀前半アンジュー家が衰えると、ナポリはスペインの支配下に入った。

18世紀以降ブルボン家による支配を受けたが、1860年イタリア王国へ併合され、その後は他の都市と比べて近代化が遅れ、衰退した。


以上の歴史的なナポリの変遷があって1995年にユネスコ・世界遺産として登録された。

主な建築物:

これから訪問する予定の遺跡群を記しておく。既にドゥオモ(大聖堂)は拝観済みであるが、サン・マルティーノ修道院サンタ・キアラ修道院は時間の関係で見て廻ることができなかった。次回のナポリ旅行で報告したいと書きたいところだが財政的に無理ですね。

王宮

スペイン統治時代
17世紀初頭に、建築家ドメニコ・フォンターナの設計により建築された。以後、ブルボン家を始めとするナポリ王の宮殿(Palazzo Reale)として使用された。



卵城

卵城(it:Castel dell'Ovo)は、サンタルチア港の小島に突出して作られた要塞である。もともとはローマ帝国のルクルスが建築した豪華な別荘であった。


北側から見た卵城 

11世紀ノルマン人オートヴィル家ナポリを支配すると、要塞として機能を拡大する。ノルマン人がこの城を築くにあたって、基礎の中に卵を埋め込み、「卵が割れるとき、城はおろか、ナポリにまで危機が迫るだろう」と呪文をかけたことが城の名前の由来と言われている。アンジュー家統治時代には税を納めるための倉庫に使われた。


ヌオヴォ城

ヌオヴォ城(Castel Nuovo)は「新しい(Nuovo)城」を意味し、卵城と区別するために命名された。別名アンジュー砦とも呼ばれる。

13世紀アンジュー家出身のナポリ王カルロ1世が、フランスのアンジェ城をモデルに建築したといわれている。アンジュー家支配末期に度重なる戦闘の舞台となり、大きく破損するが、15世紀から18世紀にかけて改築されて、現在に残る。正面に3つの円筒形の塔を持ち、2つの塔の間に凱旋門が建っている。



サンテルモ城

サンテルモ城
(Castel Sant'Elmo)はナポリの町を見下ろすヴォメロの丘の上に建つ。アンジュー家により1275年頃、初期の城郭が建築され、その後、アンジュー家により拡張された。16世紀には、スペイン人がナポリを支配するところになり、星型の近代城郭へと改修された。



それではヌオヴォ城の見学を始めよう。城内の見学順序だかこのスマートツアーの掲示板にあるコースにそって見て廻ることにする。




ヌオヴォ城に関するもう少し詳しい記事が世界遺産オンラインガイドにあったのでそこから更に引用する。

フランス・アンジュ ー家ナポリ王カルロ1世の命でナポリ王宮の北東に建てられたのがヌオーヴォ城です。ナポリにはデッロー ヴォ城卵城)やカプアーノ城がありましたが、 デッローヴォ城はナポリ湾内に位置し、敵の侵入に 、カプアーノ城は港から遠すぎたため、中間地点に新たな城が必要とされたのでした。

カルロ1世の孫ロベルト王時代、城にはボッカチオなど文学者や芸術家が多く訪れ、栄華を極めたものの、その痕跡はほとんどの残っていません。次の支配者スペインアラゴン家が改修したからです。

アンジュー家アラゴン家は南イタリアの覇権を争う宿敵同士でした。両家の争いに終止符が打たれたのは、 1442年、アラゴン家アルフォンソ5 世によるナポリ攻略でした。

ナポリ王アルフォンソ1世となった彼は、ナポリ到着後ただちにヌオーヴォ城の全面改築を行いました。防御用の円塔5基を備えた堅牢な城は、16世紀初頭までナポリの重要な防衛拠点となったのでした。


城の地下にあるカタコンベ?  骸骨が何体もある。昔戦いで死亡した兵士の亡骸をここに埋葬したのだろうか。(注:後で調べ直してわかったが、これはポンペイ遺跡で出土したものをこの城に移設したもの。)


お城の地下構造が透明アクリル板を通して見られるようになっている。現代的ですね。


お城通路に展示されていた作品 現代彫刻で何故こんなのがある? と思いましたがこの城は市立美術館でもあるのでおかしくはないと後で思い至りました。

何せ私の好きなタイプの彫像なのですかさず写しました。



城構内  


2階階段への入り口 屋根にデカい青銅製の兜が置かれている。巨人族の兵士用である(笑)。



2階からはベヴェレロ港の様子やベスビオ火山を望むことができる。


ナポリ湾が港の前方に広がっている。

2階部分からは市立美術館になっていて壁面にはこのように金塗りの宗教画がびっしりと飾られている。このホールは武器庫であったそうです。


写実的な彫像  何かに耐えながらも(世の荒波にか?)前に進もうとする男性像


トロイの戦いなどが描かれたブロンズ製の扉



扉が破られる様をリアルに表現している。でなく本当に壊されたのが残っている貴重な遺物です。


展示作品を見ていこう。資料がないので作品の正しい説明はできない。コメントは適当に感じたままを書くことにする。イーカゲンで申し訳ない。

ヌゥオヴォ城を砦として戦闘の準備に備える兵士たちを描く絵画。



聖母マリアと幼子イエス


聖母マリア

こんな風に広い部屋ごとのスペースに絵画や彫像が展示されている。


部屋ごとに展示品の種類を変えているようです。

法王を描く絵画


お定まりの聖母マリア像

次はガラスケースに入った人物の彫像である。

婦人像 やさしさと強い意志を感じさせる表情です。勿論誰だかわかりません。王妃なのかな?


ヌオヴォ城を建設したナポリ王カルロ一世かもしれない。


法王像の様だがどなたか存じあげない。


再び宗教画  ストーリーに沿って何枚か連続的に描かれているようです。2枚のみで以下略。



天使像  凛々しい青年天使ですが背中のどこから羽が生えているんだろうね。右方の羽は羽ばたいているみたいだし・・・。




石像の部屋



ヘラクレスを描くレリーフ


この部屋で印象的であった石像を写真に収めた。

ナポリの有力者っぽいですね。


頭胸像の群  


貴婦人像

今回はこれでおしまい。