西宮成田山と書かれた大きな寺碑(看板塔?)が立っている。寺前は広い駐車場になっている。
お寺は新しい真白な塗り塀で囲まれていて、対照となる青銅葺きの2つの山門がある。1つは、円満寺の山門であり、もう一つは西宮成田山の山門である。
円満寺の山門 寺額には、真言宗 円満寺 とある。山門前には二基の常夜燈が立っている。
西宮成田山の山門 成田山の額が掛かっている。
ここでWikipediaからこのお寺についての基礎情報を教えていただく。
円満寺 (西宮市)
円満寺 | |
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所在地 | 兵庫県西宮市社家町1-36 |
位置 | 北緯34度44分4.30秒 東経135度20分2.43秒 |
山号 | 医王山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
寺格 | 別格本山 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 康保3年(966年) |
開基 | (伝)法道仙人 |
別称 | 西宮成田山 |
札所等 | 摂津国八十八箇所79番 |
円満寺(えんまんじ)
兵庫県西宮市にある仏教寺院。 高野山真言宗別格本山、山号は医王山。摂津国八十八箇所79番札所。本尊は薬師如来。
薬師如来坐像
歴史:
開山・法道仙人、創建・康保3年(966年)
円満寺は、西宮市鷲林寺にあった、武庫山鷲林寺を現在地(西宮市社家町)に移したのが始まりである。
武庫山鷲林寺は平安末期の治承・寿永の乱(源平合戦)、戦国時代には、荒木村重の乱に遭い荒廃した。また、織田信長の焼き討ちのため炎上し、灰燼に帰した。灰燼に帰したときに、南勝坊に霊夢によるお告げがあったため、鷲林寺を現在地に移した。そのため、今里鷲林寺とも称されて、現在に至っている。
1945年(昭和20年)8月の空襲で、すべての建物が全焼した。その際、所蔵していた古記録も焼失して、詳しい歴史が解らなくなってしまった。1948年(昭和23年)円満寺第53世、真応により、本堂・庫裡などの諸堂を再建し、中興を果たした。
境内の西側には、神変大菩薩の石碑、稲荷社がある。
西宮成田山
祀られている不動明王は、1959年(昭和34年)、大本山成田山新勝寺の貫首・荒木照定大僧正の開眼による成田山新勝寺本尊の御分身。
また、同時期に高野山真言宗管長・水原堯榮大僧正より、「西宮成田山」の山号を授かり、西宮成田山と称し、交通安全祈願道場とした。交通安全祈願のほか、厄除けなどの所願成就を願う参詣者も多い。
1995年(平成7年)の阪神淡路大震災で旧祈祷殿が全壊。震災以降、仮堂が設けられたが、祈祷殿を再建を発願し、着工。2013年(平成25年)10月28日、完成した祈祷殿の落慶法要が営まれ、震災からの復興を遂げた。
大阪大空襲で全ての建物が焼けてしまい、1948年に再建したものの再び阪神・淡路大震災で全壊してしまった。災難つづきですね。でも、これで本堂や祈祷殿が真新しいRC造りなのが理解できました。今後は災難に遭わないでいて欲しいものですね。
それでは広いとは言えぬ境内を参拝しよう。
4年前に再建なったばかりです。
手水舎
本堂正面
本堂側面
納骨堂(らしい?)
境内には稲荷社が祀られている。
その石鳥居
石の社殿と供養塔 これも震災時に崩れてしまったのだろう。現在は稲荷社らしい雰囲気はあまりない。らしいのは朱塗りの柵だけである。
これでおしまい。
成田山円満寺ではありませんよ。
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