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2014年3月18日火曜日

平田弘史は、異形の日本人?

神戸三ノ宮の JUNKUDO で、未読だった

上原善広 著  異形の日本人 新潮新書

を買ってきた。   劇画家 平田弘史 を知ってるかい?

本の第2章で、平田弘史 のことを取り扱っている。

読んでみて、私の持っていた平田への印象とは少し異なっている。
著者と私の見方の違いによるものだろう。 
見方の深浅(浅いのは私)によるかもしれない。

私が当時読んだのは、リメイク版の 血だるま剣法/おのれらに告ぐ のほうで、
伏字なんかなかった記憶がある。 
南條範夫の「残酷武士道もの」の 劇画バージョンという感じで読んでいた。
描写がリアル(残酷)で、そこに迫力を感じたのだ。 

著者は、1962年に日の丸文庫より出版された初作 血だるま剣法 とその
解放同盟との顛末について論じているが、 なんだか見方が一方的のような気がする。

理解の浅いほうからの、疑問というか感想を書きます。
路地について描かれていたため、前作は封印されていたとは知らなかった事を
記しておきます。 

本文を長いが引用する。

その頃の平田は、六人家族を養うべく、ケント紙に自らの鬱屈をぶつけていた。
(中略)それが、「残酷すぎる」として世の不評をかった、平田劇画の真髄である。
そのため彼の初期作品は徹底的に過激で、暗く、そして残酷にできている。

そうした意味で、平田劇画は難解である。「政治の季節」を横目にみての平田青年の
情念は、”激烈で残酷な描写”により巧みにデコレーションされてしまっている。 
つまり初期の平田劇画は、そうした生活苦と青春の鬱屈を共有する者でないと
決して真実をみることのできない、トロンプ・ルイエ(だまし絵)のようなものであった。

だからこそ平田劇画は、同じ境遇にある一部の若い読者から熱烈に支持され、
同時に大人たちからは悪書扱いされた。 平田劇画はまさに、学生運動からも
疎外された、貧しく厳しい現実を生きるものたちだけが共有し合える”解放区”
だったのである。

青 の文章ですが、1962年ころは、確かにそうだったのでしょう。 
でも1968年ころは、特に 世の不評をかった 事はなかったように思う。
当時の他の劇画も陰惨な内容が多かったですよ。 
徹底的に過激で、暗く、そして残酷 なのは、平田だけではない。

 緑 の文章ですが、平田劇画は難解である なんて夢にも思ったことはない。
そうした意味で って、どんな意味なのか分からない。 激烈で残酷な描写 が、
なぜ難解なのか? むしろ、「主人公の気持ちになって描」かれた劇画が
読者にとって難解なはずはない。 私には、わかりやすい気がします。
青春の鬱屈 は、まあありましたが、生活苦 はさほどでもなかったので、私には 
真実 をみることが出来なかったのでしょう。 しかし、真実 見えたとして、
この劇画のトロンプ・ルイエ(だまし絵) の一面ってなんでしょう。 
文脈からいうと、平田が 自らの鬱屈をぶつけていた ため 徹底的に過激で、暗く、
そして残酷 なストーリーになったという事への共感でしょう。 
こんなの殊更に言う 真実 でも何でもありません。 
当時の貧しい若者は皆心に鬱屈したものを持っていただけです。 
今だってそうです。 過激で、暗く、そして残酷 な漫画は山ほど描かれています。 
 トロンプ・ルイエ(だまし絵)のようなものであった という 文章は、カッコ良いのですが、
実は内容空疎でないか。 

の文章ですが、これもカッコ良い文章ですが、頷けないですね。
平田劇画は、同じ境遇にある一部の若い読者から熱烈に支持され、
とありますが、それはあやしいと思います。 単に貧しい若者が娯楽で読んでただけです。
私の叔父たちがそうです。 漫画の回し読みはしましたが、共有し合える”解放区” 
なんかではない。むしろ、あしたのジョー ほど熱烈ではないけれど、
支持したのは私たち団塊世代の別の境遇にある若者です。  
 また、学生運動からも疎外された 大学に行けない若者がこの劇画を読んで
共有し合える”解放区” を見いだしたというくだりは信じがたい。 
世代を問わず個別に影響を与えただけでないか? 
なにかそのようなムーブメントが歴史的に残っているのだろうか? 
同時に大人たちからは悪書扱いされた のではなくて、運悪く当時勢力を増しつつあった
解放同盟に目をつけられただけではないのか?
平田の支持層は、こんな顛末の知らない我々団塊層や現在の40-50才台の層でないか。

文中平田の発言は、いつものごとく面白かったが、地の文章は 上から目線 
が感じられてどこか反発を感じる。 私がひねくれているからでしょうね。

この本は完読しました。 

面白い本かな。 

読む人によると思う。 
ほかの章は、それほどひっかかる箇所はない。 お勧めはしません。

平田弘史は、異形(の日本人)ではないと思います。 
野武士のような、気骨のある面白いおじいちゃんです。 描いた作品の主人公と違う。
事件の顛末 にしても、本を読む限り普通の言動です。 

最後になりましたが、 血だるま剣法 のあらすじと 事件の顛末 を記す。
Wikipedia からの転載です。

1) あらすじ

寛永9年(1632年)、猪子幻之助は師の朽木一伝斉を自らの手で殺害し、
死体の血で門弟たちへの復讐を宣言する声明文を書き残し道場を去る。
被差別部落の出であり、領主の命により家族を惨殺された過去がある幻之助は、
剣の道で身を起こし、同じような差別を受ける部落民を救おうと修行に励んでいたが、
異常ともいえる稽古熱心さから他の門弟たちからは忌み嫌われていた。
やがて幻之助被差別部落の出であることが他の門弟たちにもばれ、
幻之助への風当たりはますます強くなり、さらに師の一伝斉までもが自らを殺そうと
していることを知ると、ついに幻之助は発狂する。
師を殺し、宣言どおりに他の門弟たちを次々と惨殺していく幻之助
物語は、際限なき血みどろの復讐劇へと突き進んでいく。

2) 事件の顛末

『血だるま剣法』は日の丸文庫の貸本誌「魔像」の別冊として1962年7月に刊行されたが、
1ヶ月ほど経った1962年8月、部落解放同盟大阪府連から「差別と偏見を助長する」
として日の丸文庫へ本作に対する抗議が寄せられた。
糾弾会に呼び出された日の丸文庫社長の山田秀二が
「文句があるならそっちから来るのが筋」と返答したところ、
部落解放同盟大阪府連の同盟員ら5名が棍棒などを手に取り、
トラックの荷台に乗って日の丸文庫本社に押しかけてきた。
これに驚いた山田が平田を呼び出し、当時大阪府連の指導者だった
松田喜一の自宅へ、日の丸文庫専務を交えた3人で出向くことになった。
紳士的な松田とは対照的に、糾弾会に同席した他の5-6人の部落解放同盟員は
柄が悪くヤクザのように見えたとも平田は語っている。合計3回の糾弾会を経て、
部落解放同盟の要求により日の丸文庫は本作を回収・廃棄・絶版処分し、
以降2004年になるまでどこの出版社からも復刊されることはなかった。
部落解放同盟の要望で改作版を出す企画もあったが、改作版を担当した
『解放新聞』主筆土方鐵による原作が使い物にならず、山田が土方に不採用分の
原作料を払った後、話はそれきりになった。その後、 2004年に呉智英監修のもと、
青林工藝舎より42年ぶりに復刊され、また、ラピュータからは2012年に
『復讐つんではくずし』と合わせた復刻本が刊行された。


 今回は、文字ばかりだった。 反省。



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