ワイフの提案は、岡山の地ビールを飲みに行こうということであった。
もう2か月以上前になるが、 赤穂のレストラン さくらぐみ で食事をしたとき、注文した地ビール
御崎が事のほか美味しかったので、その発売元で生ビールを飲もうという計画である。
赤穂 さくらぐみ
勿論私は、大賛成である。異論はない。 ワイフは、ぐるなび で場所はチェック済である。
それで岡山に行くことになったが、生ビールのほうは夕方なので、メインの観光先を探せというのがワイフの命令であった。 それで、岡山観光を検索して、今だ行っていない場所として見つけたのが 総社市の 国史跡 古代山城 鬼ノ城 であった。
ウォーキングコースもあり、運動不足解消になるし、その後のビールがうまくなるに違いない。
それに、鬼ノ城 自体が面白そうである。 ここで決定である。 車でないと行けそうにない場所にあるので、今回も下の息子のお世話になることにした。 息子は現在フリーなので、自由がきくのである。
朝の母親との朝食をすませて、母にはワイフと息子3人で山登りをすると告げ(嘘ではない)、
夕食のかわりに昼食の冷麺を差し入れてから、息子の住む垂水に向かう。
毎回旅行では、同じパタ-ンである。
天気予報では、曇りのち昼から雨ということだったが、予想外に晴れてきた。
JRの車中から、須磨の海を写してみる。 白波が立っているが写真では良く見えない。
垂水駅のコーポで食料とお茶を調達する。 弁当は、380円の代物である。 年金生活者にとっては、やむを得ない選択である。 しかしながら、食してみて判明したのだが、これは安くてうまくて絶対お得であった。 息子のアパート前で、落ち合って車で出発。
ナビによると2時間半くらいかかる。 岡山なので近いかと思うとさにあらず、結構時間がかかるのだ。
山陽自動道を車で走る。 総社I.C.で高速を降り 鬼ノ城 へ向かう。
途中 砂川公園を通って舗装された細い山道を上っていくと、 鬼城山ビジターセンター に着く。
ここで、国史蹟 鬼ノ城 についてのお勉強をする。 総社市教育委員会 より
■鬼ノ城とは
鬼ノ城は、標高400mの吉備高原の最南端に築かれいています。眼下には古代吉備の中心地であった総社平野や足守川流域平野を望み、吉備の津(港)も間近に見えます。
かつて、朝鮮半島に進出していた大和政権は、天智2年(663)朝鮮半島の白村江の海戦で唐・新羅連合軍に大敗しました。敵軍の侵攻に備えるため西日本の要所には大野城をはじめとする朝鮮式山城を築城したことが「日本書紀」天智4-6年(665-667)の条に記されています。一方、記録にはありませんが朝鮮式山城と同種遺跡と考えられている古代山城が16城あり、鬼ノ城もその一つと考えられています。
■鬼ノ城の構造と規模
鬼ノ城は、すり鉢を伏せたような山の形をしており。城壁は山頂部の8合目-9合目にかけて鉢巻き状に巡り、全周2.8kmを測ります。
城壁の基礎には一列に列石を配置し、その上に土を一層ごとに突き固めた版築土塁が築かれ、その規模は幅約7m、推定高は約6mです。要所には高い石垣を築き、その威圧感は圧倒的な迫力を持っています。このように、版築土塁や高い石垣で築かれた城壁は、数m~数十mの直線を単位とし、地形に応じて城内外へ「折れ」ていることに特徴があります。また、城壁の内外には敷石が配置されており、日本の山城では初の事例になりました。
城壁にともなう遺溝としては、谷部に6ヵ所の水門(排水機能を持つ城壁)が設けられ、西門の近くには防御効果を高めるために、角楼が築かれています。また、出入り口となる城門は4ヵ所で発見されました。
城内には食料貯蔵庫と考えられる礎石建物跡や、のろし場、溜井(水くみ場)も発見されています。
■鬼ノ城・城門
発掘調査により4ヵ所の城門が発見されました。各門の共通点はいずれも床に石が敷かれており、門扉が取り付く門礎には、「軸摺穴」、「蹴放し」、「刳形」が精巧に加工され、扉は全て内開きとなります。城門の柱は各門とも地中に柱を埋没させて建てた掘立柱です。
長い引用であったが、由緒ある遺跡であるとわかって頂いたと思う。
Wikipedia では、日本の城郭シリーズとしてこのように記述されている。
鬼ノ城 (岡山県) | |
---|---|
西門遺構(復元中)
| |
城郭構造 | 神籠石式山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 伝・大和朝廷が有力 |
築城年 | 7世紀後半か |
主な城主 | 不明 |
廃城年 | 不明 |
遺構 | 石垣、土塁、水門 |
指定文化財 | 国の史跡 |
再建造物 | 門・石垣・土塁 |
位置 | 北緯34度43分35.53秒 東経133度45分46.49秒 |
写真では、復元中であるが、現在西門は復元が完成していて、それを写真で報告するのだ。
私が、参考にしたのはこのページです。
ウォーキング鬼ノ城ウォーキング
鬼ノ城ビジターセンター の駐車場に車をとめて、まずセンターを見学する。
センターの入り口です。 中に入ると、左側が、資料展示館になっている。
右側がウォーキングセンターになっている。 写真のように中央部分は、休憩場所になっていて
4台のテーブルとイスが置かれている。 イスは、木を切ってそのままを使っている。
右側に見える建物が鬼ノ城ウォーキングセンターです。
資料展示館を覗いてみた。 西日本の古代山城 鬼城山の説明パネルが展示してある。
鬼ノ城の全景の航空写真がこれである。
館内には、その模型が展示されている。
これ(下2枚目)が復元のなった 鬼ノ城西門 の模型である。 復元に使用されたチベットヒノキのサンプルやカンナも展示されている。
下にあげたのは、ヒノキのくずを素材にして作られた燕の巣とヒナの写真です。
貴重な写真(かな?)です。 書き忘れたが、このセンターの屋根に燕が巣を作っている!
中央につぶらな瞳が2個見える。
西門の模型、縮尺1/1000 です。
これが西門の拡大写真です。 朝鮮式山城 なので、通常の山城とは造りが異なっている。
西門に掲げられている盾の図案が目をひく。 これは、当時の盾を再現した物という訳ではないが、当時の装飾図案を参照して坪井清足史蹟整備委員長が考案したものである。
城壁、版築層のはぎ取りレプリカも展示されている。
そして、これが 「歴史に続き」 という鬼ノ城 をうたった なんばみちこ さんの詩である。
小さすぎて読めないが、 最後に
地球は 永遠の軌道を 回ります
とある。 このセリフが何となく気に入ったのであるが、実際は違う。
あと32億年ほどで、太陽は「赤色巨星」化して膨張、軌道も変化し地上の生物は絶滅する。
このようなものもありました。温羅(うら)は、鬼のことですな。
温羅は築いた 北極星のその下に
高くそびえる鬼ノ城を 吉備王国の豊潤を
誰が作った歌かは定かではない。 調べてみると、このような伝説がある。
当時吉備国は、朝鮮半島の百済の王子の温羅(うら)という鬼が鬼ノ城山に朝鮮の様式の山城を築いて支配しており、朝廷への貢物を奪ったり、女性や子供を攫ったりして悪いことを繰り返していた。そのため、崇神天皇十年に四道将軍の西道担当として孝霊天皇の皇子にして武勇の誉れ高い大吉備津彦命とその弟のワカタケ吉備津彦命が朝廷より派遣され、温羅を退治し吉備を平定したのです。卑弥呼の兄か弟です。このとき、お供をしたのが参謀の楽楽森彦命(ささもりひこのみこと‘猿‘)や兵士の犬飼建命(いぬかいたけるのみこと‘犬‘)・女の密偵・留玉臣命(とめたまおみのみこと‘雉‘)ら側近たちだったのです。そして、腹が減っては戦は出来ぬと持っていったのが吉備団子だったのです。
桃太郎伝説ですな。 ここで、童謡 桃太郎 を思い出す。
- 桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけた 黍団子 一つわたしに 下さいな
- やりましょう やりましょう これから鬼の 征伐に ついて行くなら やりましょう
- 行きましょう 行きましょう あなたについて 何処までも 家来になって 行きましょう
- そりゃ進め そりゃ進め 一度に攻めて 攻めやぶり つぶしてしまえ 鬼が島
- おもしろい おもしろい のこらず鬼を 攻めふせて 分捕物を えんやらや
- ばんばんざい ばんばんざい お伴の犬や 猿 雉は 勇んで車を えんやらや
桃太郎という物語になったのも、桃が中国神仙思想で邪気を祓う果物だったからです。日本有数の桃の産地である岡山県の総社市が、桃太郎という題名になったのかもしれません。
という訳で、鬼ノ城 の由縁を説明したのだ。
史蹟めぐり登山をする前に、右隣のウォーキングセンターも見学する。
色んな自然観察の資料や本が置いてある。 ここで、季節ごとに見られる花々の写真が壁に貼り付けられてある。 ここにも、木製の机とイスがあり、 腹ごしらえをさせて頂いた。 380円の弁当です。 後で、気が付いたのだが、ここでの飲食は禁じられているらしい。 綺麗に片づけましたので、センター長さんどうか許してください。
鬼ノ城は、このセンターを起点として、さらに300メートルほど登っていく。
これが、100円で購入した 総社 ふるさと自然のみち 自然散策マップ です。
日本100名城 のスタンプが押してあるのを注目してほしい。
表に鬼ノ城周辺の動植物の写真や鬼ノ城周辺の風景が掲載されている。
裏面は、鬼ノ城ウォーキングコースマップとなっている。
無料のパンフレットは、こちらです。
我々のコースは、茶色の線で示した。 センターから鬼ノ城西門に至り、周囲約2.8kmの城壁を1周するというコースだ。
センターから 西門への道すがら。 我々は、遊歩道を採らずに近道で西門へ向かう。
すると、このような舗装された道が続いていく。
前方に見えるのが、西門である。 復元されて間もない。
遠く、見渡す風景はこれです。 眼下に総社市の景色が見える。
坂を登ったところにあるのが、角楼である。
そして、ここが鬼ノ城見学の最大の観光スポットである西門である。
アップで見よう。
このようになっている。
ここ西門から、向かいにある学習広場を見渡すことができる。
向こうからこちらを眺めた景色がこれである。
および 各水門 などの見学地点が続いていく。
これらを、 途中の周囲の風景や石碑などと共に写真でみていこう。
北門です。
このように険しい崖になっている箇所がある。
山道はこのようで、ここでは下りが続く。
この案内図によると、周囲2.8㎞、所要2時間30分程度 と書いてある。
まだ 1/3 も歩いていない。
山道周辺の雑木林の様子である。 湿気が多いのか、シダをよく見かける。
このように、石垣の基礎石がそこかしこに散らばっている。
山道からの遠景。
石碑2基。 昭和12年4月建立 鬼ノ城保勝會 とある。
同じく2基目。
見どころスポット1つ 屏風折れの石垣(高石垣) です。
この高台で一人(でないが)佇む私であった。
ここで、周辺の景色の動画を撮影してみた。
この案内図によると、ようやくコースの半分まで達した。
さらに山道を登っていくと、東門に着く。
山道で見つけた唯一の花 山つつじである。
一重積んでは父のため
二重積んでは母のため ・・・
二重積んでは母のため ・・・
大きな岩にレリーフのようにして彫られた仏様。
ここは、代水門を抜けての高石垣である。
さらに山道を登りおりすると、南門跡にでる。
ここまでくると、あと600mで西門に帰り着く。
さらに歩き続けると、遠くに西門が見えてきた。
巨大カタツムリを発見。 ツノだせ、ヤリだせ、目玉だせ。
カタツムリの角って本当に長くなるのだと改めて感心する。
遂に到着した。 止んでいた雨が降り始めた。
車に帰ろう。 かくして、鬼ノ城見学は終わりとなる。 1時間20分の散策であった。
いい汗をかいた。 続きの岡山観光編は、稿をあらためる事とする。
それでは、ごきげんよう。 さようなら。
0 件のコメント:
コメントを投稿