お盆で、親父の仏壇に花や果物のお供えをし、昨日供花などを近くにあるお墓に収めた。
親父は、フィリッピンでの捕虜生活から、終戦後実家の鉄工所にもどり、暫くそこを手伝ったのち、
阪神電気鉄道に就職。 そして、第2国道の路面電車(チンチン電車)の車掌として、55歳の停年まで務めあげた。 かつて大阪市の野田駅から神戸市の東神戸駅までを結んでいた路面電車である。この区間は1974年に廃止された。 父の遺品
これが、親父の乗っていた車両である。私も、もちろん利用したことがある。
それで、今やなくなってしまったこの路面電車を偲んで、この記事を書くのだ。
京阪神では、全く見かけなくなった路面電車だが、かっては日本だけでなく世界中の大都市で、市民の足として利用されていたのだ。 路面電車の歴史をWikipedia に従って簡単にのべよう。 路面電車
(I) 馬車鉄道の時期
路面鉄道は元々は都市内の馬車鉄道として生まれ、1840年代に欧米各地に広がっていった。
世界初の旅客馬車鉄道は、ウェールズのスウォンジー・アンド・マンブルズ鉄道 である。
(II) 蒸気機関とケーブル索引による路面電車
その後、動力を馬以外にする試みが行われ、蒸気機関や
1890年代のイタリアでの、蒸気機関を動力とする路面鉄道
ケーブル牽引方式などがあった。 この方式の最初の路線は、1872年、坂道の多いサンフランシスコに出現。2本の走行レールの中間の溝にケーブルを敷設し、坂の頂上に設置した蒸気運転の巻き上げ機により、動かす。 現在も使われている。
2014年時点で現存するサンフランシスコ・ケーブルカー
(III) 電気動力による路面電車
しかし結局は、電気動力がもっとも普及した。
これは1879年にドイツの電機会社、シーメンスがベルリン博覧会でデモンストレーション走行させたのがはじまりで、電気は3本目のレールから供給されていた。1881年にはベルリン郊外のLichterfeldeで試験運行が開始され、1883年に定期運行が始まっている。
世界初の路面電車であるグロース・リヒターフェルデ路面軌道
1881年には、同じくシーメンス社が、パリの電気博覧会で架空電車線方式を試み、1884年に登場したフランクフルトの路面電車で採用され、その後ヨーロッパ各地に広がっていった。
それだけでなく、アメリカ、ソビエトおよび日本等の当時の列強国にも広がっていく。
この架空電車線方式です。 ちなみに、これは函館市電の車両です。
その後、路面電車は郊外列車へと発展していく。
そして、時代の流れと共にモータリゼーションの波にのまれ、多くの都市で消えていった。
最近、地球温暖化の対策の1つとして、路面電車は復活の傾向にあるのは喜ばしいことである。
親父が、主として乗車勤務していたのは、阪神国道線で野田 - 東神戸間である。 私が大学生のころ、尼崎駅から、このチンチン電車にのり、写真の甲子園球場まで行って、そこで野球観戦ではなく(それもしたが)、球場内でかちわり氷売りのバイトをしたのだ。
かちわり~、かちわり。 かちわり~、かちわり。 の繰り返し。
懐かしのチンチン電車の画像を幾つかアップする。
周辺の風景も懐かしい。
路線図を、Wikipedia からコピペする。
停留所・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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これを見ていると、母校の県立尼崎高校前駅から、武庫大橋 まで乗ったことを思い出した。この電車は、なんせ速度が遅いので、ヤキモキしていたような気がする。なぜ 武庫川 まで行ったかは忘れた。
また親父が、朝早くに自転車で向かうのは、浜田車庫 であった。ここで、勤務を始めるのだ。
県立尼崎高校というのをクリックしてみると、卒業生の著名人として、
平松邦夫(元大阪市長、毎日放送元アナウンサー) が出ていた。彼は文系で、私は理系であったが同期生である。 話したことはないが、学生のころの彼は知っている。卒業生の中での一番の有名人ですね。
まだ若々しいが、かってのアナウンサー時代と比べるとオジンになりましたね。
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