久々の海外旅行をしてきた。 といっても近場の台湾で、台北4日というツアーに参加したのだ。
私が留守の間は、妹が母親の世話をしてくれるということで、安心して出かけた。 メンバーは、言い出しっぺのワイフと下の息子である。常々、息子は台湾に行きたいと言っていたようである。
私は、何度か台湾に行っている。 調べてみると、1994年、1995年、2000年と国際学会や共同研究のために訪れている。 が、これは仕事のため。 その他に、個人的な旅行も2回していた。 都合5回も台湾に行ってたんだね。 そんな事は忘却の彼方で、すっかり忘れていた。
10年以上も経つと、台北は随分と様変わりしていた。 東京のような近代的な大都市に変貌していたのです。 何よりMRT(地下鉄)の利便性が良く、また車内はとてもキレイでした。
3泊4日の旅行で、一昨日帰って来たばかりなので、文字通りこの旅行記は台北最新事情という訳である。 物見遊山とグルメの旅でしかないが、最新の情報ということで旅行記を始める。
台湾のことは、英語で フォルモサ(Formosa, 福爾摩沙)という。
漢訳すると、美麗島 なのである。 ヨーロッパ人には、Taiwan よりこちらが通じる。 語源はポルトガル語からきているそうである。 そして、台北はフォルモサ=台湾の首都である。
と、誰でも知っているようなことを書いて相すまぬが、まづは台北の説明から。
ガイドブックによると、
台北
中華民国の首都であり、人口は268万人。台湾最大の中枢都市であり、アジアの世界都市である。面積は約272平方キロメートル。
ガイドさんの話によると、居住者でなく働きに来ている人を加えると500万人以上になるそうである。また台湾はかかあ天下で、旦那地獄だそうである。 それなら日本と変わらんね。
例によって Wikipedia で検索してやると、 相当な記事の量である。
台北(タイペイ)
261万人以上(2010年11月)が居住しており、市域の人口では衛星都市の新北市に抜かれたものの、中華民国の実質的な中心都市である。台湾最大の都市圏である台北都市圏の中枢都市であり、アジア屈指の世界都市でもある。面積は約272平方キロメートルで四方を新北市に囲まれている。
時計回りに上から: 台北市の遠景、円山大飯店、シャングリ・ラ・ファーイースタン・プラザ、故宮博物院、中正紀念堂、剣潭駅
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地理 | |
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座標: | 北緯25度5分27.8秒 東経121度33分35.4秒座標: 北緯25度5分27.8秒 東経121度33分35.4秒 |
面積: | 271.7997 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 臺北 |
日本語読み: | たいほく |
漢語拼音: | Táiběi |
通用拼音: | Táiběi |
ウェード式: | T'ai-pei |
注音符号: | ㄊㄞˊ ㄅㄟˇ |
片仮名転写: | タイペイ |
台湾語: | Tâi-pak |
客家語: | Thòi-pet |
行政 | |
行政区分: | 直轄市 |
下位行政区画: | 12市轄区 |
政府所在地: | 信義区市府路1号 |
台北市長: | 郝龍斌(中国国民党) |
公式サイト: | 台北市政府 |
情報 | |
総人口: | 2,686,516 人(2013年12月) |
戸数: | 1,026,738 戸(2013年12月) |
郵便番号: | 100~116 |
市外局番: | 02 |
台北市の木: | ガジュマル(榕樹) |
台北市の花: | ツツジ(杜鵑) |
台北市の鳥: | 台湾藍鵲(臺灣蘭鶴) |
台北市(タイペイし / たいほくし、繁体字: 臺北市、簡体字: 台北
ということである。 以下、詳しい説明は略する。
10月21日朝7時に自宅を出発する。
乗合タクシーであるMKタクシーで、直接関空に向かう。
湾岸線を走り、
1時間半くらいで関空に着く。 集合場所は第一ターミナルビル4階であった。 ツァーと言っても、殆ど個人旅行のようなものである。 ここで、旅行社の方から e-ticket を受け取る。 パスポートだけでチェックインできるので、随分簡素化されたものである。
久しぶりであったので、関空内の写真を撮ってみた。 今年の1月以来だが、全然変わっていない。 スターバックスでコーヒーを飲む。 搭乗時刻は、11時10分なので余裕綽綽である。
利用する便はキャセイ・パシッフィク565便で、約2時間の飛行。
このジャンボジェットである。 この便は、大阪の高校生の修学旅行客で満杯であった。
殆どの高校生がスマホを所有している。何とも女学生のうるさいこと。
定刻より1時間近く遅れて出発。 2時間後無事に台北松山空港に着。 ここは、ターミナル1である。 以前より、随分と大きく広くなったような気がする。
税関前のバゲッジの受け取り場所。どこの空港でも似たようなものである。
TAIWAN に着いたぞ、という証拠写真です。
空港では、旅行社のガイドが待っていて、バスでホテルへ向かうと思いきや、まづショッピングへ連れて行かれる。免税店である。勿論なにも買わない。
その途中の車中からの、景色です。 台北のタクシーは黄色に決められている。
ちなみにガイドさんは、全てオレンジのチョッキを着ている。
こんな寺院が見える。
都心に近付くと、このようにビル街になる。台湾の国旗が道路中央に掲げられているのが、特徴かな。
建設中のビルもかなり見受けられる。
ショッピングセンターをでると、すぐ向かい台北駅が見える。
台北駅の道路向かいに位置するのが、我々の宿泊するシーザー パーク ホテルである。
漢字で書くと、台北凱撒大飯店である。
道路から見上げるとこれだが、正面から見ると、このように威風堂々としている。
ここは、大変便利なホテルで、地下道で台北駅に通じている。したがって、MRT(地下鉄)利用は実に簡単である。 MRTについては、次回説明する。
チェックインを済ませて部屋にはいる。 我々はツインで、息子はシングルの部屋。ツインの部屋は、こんな風でデラックスである。 広くて寝やすいベッドでした。
息子の部屋の窓から外を眺めると、眼下に台北駅が見える。
駅の向こう側に立ち並ぶビル群と郊外の山々。
現地時間の午後4時45分に、 夜の九份観光プラン(軽食付き) なるツアーに参加する。
九份は、台北から少し離れており、交通機関を利用して行くには時間がかかり過ぎるということで、
この夜のツアーに参加したのである。
この夜のツアーに参加したのである。
観光バスからの、台北市内の景色。
この古びた3階建ての商店街こそが、15年前の台北の景色でした。
途中、このようなモダンな教会があった。キリスト教徒もいるんだね。 調べてみると、国民の4.5%でした。予想通り、仏教と道教の習合が94%で圧倒的です。実際は、日本人と同じで本質的には無宗教です。
高速道路からの景色です。 高層ビルが見当たらなくなり、郊外に出たという感じですね。
一気に日が暮れて、外は真っ暗になる。その暗い中を、バスは細い道路をクネクネと廻り登っていく。 大体台北駅から1時間20分ほどで、九份老街に到着する。
九份については、Wikipedia の解説が適切。
九份
その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものであり、酒家(料理店)などの建物が多数残されている。しかし、第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。
ということで、かっての金山の町である。 石段はかなり急で、その両脇に茶芸館がずらっと立ち並んでいる。 山の斜面にへばりついたような路地にも、飲食店やお土産屋が切れ目なしに続いている。 夜でも照明で明るい。
その後、九份ブームが起こるのである。
1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市(A City of Sadness)』(侯孝賢監督)のロケ地となったことにより、九份は再び脚光を浴びるようになる。映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多くの人々が九份を訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブームが起こった。
題名は聞いたことがあるが、この映画は見ていないと思うがはっきりしない。主役がトニーレオンなので、見たかもしれん。これも忘却の彼方である。
とにかく、その結果
また、世界の旅行ガイドブック(台北付近)にも多数紹介されており、今では台湾を代表する観光地のひとつとして定着している。
と相成ったのである。日本人も一杯来てました。中国人と台湾人の見分けはつかんので、中国人観光客がどれほどいたかはわからん。 多分相当数と思える。
日本人にとって有名なのは、千と千尋の神隠し のモデルということを聞いていたが、それはデマらしい。
やはり、Wiki の記事につぎのように書かれている。
宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになったという噂もあり、日本の観光客への知名度が高まったが公式に否定されている。
地図です。
またガイドブックには、
九份街道は「三横一縦」等、四本の道路が中心です。三横は、基山街、軽便路、汽車路を指しています。一縦はこの三本を貫通する豎崎路のことです。九份の路地の中で、階段を歩いて、いたるところを周り、いろいろな特色ある小さな店をのぞき、九份山城の美を発見することができます。
とある。この石段を登っていくわけである。
登り口には、巨大猫が屋根の上に鎮座ましましている。
これが、豎崎路である。 (写真がうまく撮れなかったので、Wikiの画像を拝借した。)
私が、九份に行ったという証拠写真。
九份に行ったという証拠写真その2。
提灯の沢山ついているのが、九戸茶語というレストランです。
坂の途中に、このような銅像があった。金の採掘人である。
また、かっての多くの映画や広告が撮影されたという昇平戯院である。 (画像はWikiより)
路地に入ると、このような店がつづいている。 食べ物屋さんも結構沢山ある。
九份に行ったという証拠写真その3。
石段を登り切ったところである。 女性達は、ここらで引き返すようである。
この上には、小学校がある。我々も石段を下っていく。
遠くに見える灯りは、基隆港である。かってこの港から神戸まで船が運行していたのである。
このような金鉱夫のレリーフが崖に彫られている。
さて、ツアーに付いている軽食である。 ここの七戸茶語というレストランでの食事。
同じ宿泊ホテルの人が集まり、回りテーブルを囲んで8人で食事。
メニューはこれである。 見ればわかるので、説明は略。肉はチキンである。
味については、普通である。まづくはないが、取り立てて美味ということはない。
九份見学が終わり、 つぎは地元の人が良く行くという夜市 餃河街夜市 である。
夜市の入り口の門。
その手前にある名前のわからぬ寺院の中。
寺院のきらびやかな屋根が、ライトアップされている。
夜市の風景であるが、食べ物やだけでなく雑貨の店も多かったですね。
夜市には学生さんもいました。中学生だと思うが、こんなに夜遅くて良いのかな?
見物の時間が少なかったので、大急ぎでバスまでもどる。
そして、1時間と少しバスに乗り、ようやくホテルに到着。 これで初日のスケジュールは終了。
風呂に入ってから就寝。明日から2日間は自由行動である。
台北最新事情 II につづく。
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