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2014年10月2日木曜日

鞆の浦史蹟めぐり

 



しまなみ海道サイクリング旅行での最終日、福山・鞆の浦を観光した。 ここへも若い頃行ったことがあるが、忘却の彼方で殆ど何も覚えていない。 瀬戸内海国立公園の名勝地という程度の知識しかなかったが、尾道の帰りに寄るとしたら、アニメ『崖の上のポニョ』の舞台のモデルとされる、鞆の浦しかないと思ったので、あらためてここを観光しようと決めたのだ。 しまなみ海道サイクリング

結論からいうと、正解で充分に鞆の浦観光を楽しむことができた。 その報告をする。

Wikipedia による説明。


医王寺太子殿から望む鞆の浦
 
鞆の浦(とものうら)

広島県福山市鞆地区の沼隈半島南端にある港湾およびその周辺海域。
現在は鞆港の港周辺の市街を含めた範囲も「鞆の浦」と呼ぶことも多いが、本来「鞆の浦」とは「鞆にある入り江」という意味であり鞆港を中心とした海域のことである。
沿岸部と沖の島々一帯は「鞆公園」として国の名勝および国立公園に指定されている。

この地域は、戦前に発行された、国立公園のシリーズ切手の1枚として描かれている。 
昔から潮待ちの港として知られていた。



瀬戸内海国立公園指定時に発行された記念郵便切手(1939年)
 
Wiki による説明をつづける。
 
瀬戸内海の海流は満潮時に豊後水道や紀伊水道から瀬戸内海に流れ込み瀬戸内海のほぼ中央に位置する鞆の浦沖でぶつかり、逆に干潮時には鞆の浦沖を境にして東西に分かれて流れ出してゆく。つまり鞆の浦を境にして潮の流れが逆転する。

「地乗り」と呼ばれる陸地を目印とした沿岸航海が主流の時代に、沼隈半島沖の瀬戸内海を横断するには鞆の浦で潮流が変わるのを待たなければならなかった。

このような地理的条件から、古代より潮待ちの港として知られていた。

鞆の浦の港町であるには古い町並みが残り、1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれた。江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみである。江戸時代中期と後期の町絵図に描かれた街路もほぼすべて現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用する。そのような町は港町に限らず、全国でも鞆の浦以外には例がない。

ということで、伝統的建造物群保存地区になっている。
 
時系列でいうと、尾道市街地観光 のつづきである。 
 
JR尾道駅を11時12分に出発し、
 
 
尾道大橋と新尾道大橋を車中から眺めつつ、

 
20分ほど走るとJR福山駅につく。
 
福山駅に降りるのも久しぶりである。 駅周辺のビル街である。

 
福山は、100万本のばらのまちだそうで、駅前には
 
 
この様なバラのアーケイドが設えてある。
 
 

みんなの「ばら」 100万本プロジェクト

2010年(平成22年)3月、「100万本のばらのまち 福山」の実現に向けて、ばらのまちづくりに関する行動計画「ばらのアクションプラン」が3月に策定されました。このプランは、「ばら」を通じたまちづくりを市民・団体・事業者・行政との協働によって行うことで、「ばらの咲き誇るまち」を実現し、市民一人ひとりが「ばら」に対する想いを共有し、2016年(平成28年)に迎える市制施行100周年に向けて、ばらの植栽本数100万本をめざしています。
2014年(平成26年)3月末現在、市内各地には約85万本の「ばら」が植栽されています。
 
ということです。あと15万本です。 実をいうと、そんなにバラが多いとは思わなんだ。
 
鞆の浦へは、福山駅から鞆鉄バスが運行している。 大体30分の所要時間である。
 
この様な、ローズマインドバスや、
 
 
わさみんバス
 
 
わさみんバス
 
そして、昔風のボンネットバス
 
 
が運行している。 残念なことに、私の乗ったのは通常の変哲のないバスであった。
 
ちなみに わさみんは、この方である。 岩佐美咲さんです。 
 
 
ゆるキャラの ローラはこいつ。 バラの妖精という事になっている。
 
 
思わず脱線したが、バスに乗ってこのような川べりの景色を眺めているうちに、
 
 

 
鞆の浦のバス停に到着。 ここには、ともてつバスセンターがあり、お土産屋を兼ねている。
 
 

 
眼の前には、島々とたおやかな海が広がる。
 
 
ここ鞆海岸から臨む弁天島です。
 
 
さあ、これから鞆の浦観光である。 バスセンターで頂いてきた鞆の浦イラストマップがこれです。
 
 
その裏面が、観光コースマップになっている。
 

これを見ると見どころ満載でかつ町中に散らばっている。 ということは、散策コースの選定が難しいということだ。 そこで、この散策ガイドを用いる。



 
それによると、4つのコース

1 町並み散策コース

2 港町満喫コース

3 史蹟散策コース

4 寺社散策コース

がある。 下図のようなコースである。 




 
 全てのコースを周る訳に行かないので、まづ鞆の浦歴史民俗資料館を見学して後、4 寺社散策コース をとり、あとは目ぼしい施設や町家を見ることにした。
 
Wikipedia の 瀬戸内海国立公園 の項には、要領を得た解説がある。 そこからの引用。
 
鞆の浦は広島県福山市南部に位置し、同公園を代表する景勝地として知られる。
瀬戸内海国立公園開所当初の指定地のひとつ。
鞆港仙酔島などを含む地区で、内海交易や寄港地、中継貿易地として発展した。
とりわけ、福禅寺境内にある対潮楼から望む仙酔島は、朝鮮通信使の李邦彦により、「日東第一形勝」と絶賛されたことは有名。
また仙酔島自体も雄大な海食崖や海食洞が見られ、変化に富んでいる。
最高峰の大弥山は瀬戸内海を一望し、観光遊歩道が設けられている。
また、は文化地区としても価値が高く、現在も当時の港町の繁栄を残す町並みが残り、古くからの社寺も見られる。
 
鞆の浦歴史民俗資料館にいく道すがらに、龍馬の隠れ部屋桝屋清右衛門宅)というのがある。
 

 
内部は、このようになっているそうだが、生憎この日は休館日で見れなかった。
 
「いろは丸事件」とは・・・桝屋清右衛門宅に龍馬が泊まったワケ
 
当時すでに幕府から命を狙われていた龍馬は「才谷梅太郎(さいたにうめたろう)」という名前をつかい桝屋に投宿しました。 とある。 龍馬の隠れ部屋 参照。
 
外観は、庄屋屋敷という感じですな。
 
 
龍馬ゆかりの、いろは丸展示館というのもあるが、見学はパスした。
いろは丸展示館


鞆の浦歴史民俗資料館は、丘の上にある。 かっての鞆城跡に建設されている。
 
石垣を登っていくと、
 
 
 
ものの1,2分で資料館につく。
 
 
この境内は、鞆城跡で建設用の石材が今も残っている。
 
この丘の上からの鞆の浦の景色は、のどかで美しい。
 
 
資料館の入場パンプはこれである。 入館料は、一般150円、高校生まで無料である。
65歳以上は無料だが、他県者は有料となり、150円支払ったのである。 安いがね。
 

パンフには、展示物の説明がなされている。 



Wikipedia による記事では、このように記述されている。

ホームページ 福山市鞆の浦歴史民俗資料館 も参照した。

鞆の浦歴史民俗資料館(とものうられきしみんぞくしりょうかん)

広島県福山市鞆町にある博物館。「潮待ちの館」の愛称をもつ。   
 
Japanese Map symbol (Museum) w.svg 福山市鞆の浦歴史民俗資料館
Tomonoura museum of history and folklore in Fukuyama city.jpg
施設情報
愛称潮待ちの館
専門分野鞆の浦を中心とする瀬戸内の歴史と文化
所在地720-0202広島県福山市鞆町後地536-1
位置北緯34度23分03.41秒 東経133度22分54.29秒 /
 北緯34.3842806度 東経133.3817472度 / 34.3842806; 133.3817472

前庭にある宮城道雄像
 
とあり、えらく簡単な紹介であった。 規模から考えると無理はない。
 
主な展示物
  • 鯛網漁のジオラマ
  • イカリづくりの鍛冶場
  • 箏曲家・宮城道雄の愛用琴などの遺品
  • 国の史跡「朝鮮通信使遺跡」の歴史資料
  • 広島県指定史跡「備後安国寺」の歴史資料
  • 広島県指定史跡「鞆七卿落遺跡」の歴史資料
  • 市無形民俗文化財「お弓神事」、同「お手火まつり」、秋祭りの布団太鼓「チョウサイ」、「八朔の馬出し」等の民俗資料
  • 保命酒店先の復元模型
  • 鞆の歴史・祭り等の紹介ビデオコーナー
 幾つかの興味のあった展示物を紹介する。

鞆の浦といえば、鯛網漁で有名である。鯛網漁のジオラマ がこれである。

 

 
 ビデオコーナー で、観光鯛網漁の映像を写していた。 古来の漁法が再現されており、なかなか面白い。 YouTube 探すと簡単に見つかったので、ここにアップする。



 鞆の浦 鯛網観光

八朔の馬出し


八朔とは旧暦八月一日のことで,この日には農耕の習俗などの行事が全国で行われてきました。鞆の浦では,男児が生まれると木製の白い馬と台のセットを作り,町なかを引き回していました。残念なことにこの風習も昭和の初め頃に絶えてしまいました。

写真で見ていこう。

 
企画展では,鞆の浦に残る江戸末期から明治・大正・昭和初期の小さい可愛らしい馬から等身大の馬まで,12点と,福岡県芦屋町に伝わる『芦屋の八朔の引き馬』,『芦屋のわら馬』,香川県西讃岐地方に伝わる馬節句である『団子馬』等も写真パネルで紹介しています。

八朔の馬出し が毎年開催されている。今年で再開後13年になる。 昨年の写真がこれ。


祭りのお神輿の展示もある。 


保命酒店先の復元模型


 最期に、箏曲家・宮城道雄の愛用琴などの遺品。
 


Wiki では、

宮城 道雄(みやぎ みちお、1894年4月7日 - 1956年6月25日)



兵庫県神戸市生まれの作曲家・箏曲家である。旧姓は菅(すが)。十七絃の発明者としても知られる。大検校であったため、広く「宮城検校」と呼ばれた。

とある。神戸の生まれだったのですね。 なぜ遺品が鞆の浦で展示されているかというと、彼の父親が広島県沼隈郡鞆町 の出身であったからである。 神戸の旧居留地58番地には、生誕地の碑が建っているそうだ。知らなかった。

彼の使っていた琴である。かなりの長尺である。
 

 

 
館外の鞆城跡にある、宮城道夫像である。
 
 
宮城道夫といえば、筝曲 春の海である。 
尺八との2重奏であり、どなたも聞いたことがあると思う。 しばし、お聞きください。
 
 
春の海(Haru No Umi) 宮城道雄
 
いいですね、ということで資料館見学はおしまい。 
 
鞆城跡から海を眺望したイラスト掲示板です。
 
 
実物はこんな風だ。 


 
鞆城跡には、小さいが稲荷神社もある。
 

 


丘から、お墓の中央を下っていくと、
 

阿弥陀寺にでる。 ここから寺社散策コースである。



山門とお堂、鐘つき堂です。



 
ここが南禅坊。
 
お寺の由緒などを調べだすと、キリがないので写してきた写真のみをアップする。
 
法宣寺

 
静観寺

 
 
そのお堂の鬼瓦


山中鹿之助首塚とささやき橋伝説
 
 
山中 鹿之助は戦国大名尼子氏の家臣で、その中でも尼子十勇士の1人とされています。
武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取ったりしています。

 

昔の講談でよく出てきますね。

 「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」 

と三日月に祈った逸話は有名です。 Wikipedia ではこう記述されている。

山中幸盛
山中幸盛像(部分).JPG
山中幸盛像(広瀬中学校蔵)
時代戦国時代 - 安土桃山時代
生誕天文14年8月15日(1545年9月20日)?
死没天正6年7月17日(1578年8月20日)
改名山中甚次郎、亀井甚次郎、
山中鹿介幸盛
別名鹿介(通称)、山陰の麒麟児(渾名)、
鹿之介、鹿之助、鹿助
 
 
 
 
妙蓮寺
 


とその境内。
 

顕政寺


そして、沼名前神社(ぬなくまじんじゃ)。 立派な神社である。 福山市教育委員会の記事によると、

古くから『疫隅の国社』として四海の民に崇められた由緒ある神社で、祭神:須佐之男命(すさのおのみこと)を祀っていた。いつの頃からか「鞆祇園宮」と称されるようになったが、明治維新の神仏分離令により、祇園社が仏教的だとされ、改称を政府から命じられ、明治八(1875)年、延喜式神内社で全国的に格式の高いと再評価された『沼名前神社』という神社名称に変えることになった。

とある。

 第二鳥居は、県指定の文化財になっている。

 



銅製の灯篭である。 大阪屋萬右衛門の文字がみえる。 由縁は不明。
 



 

善行寺
 
境内で草むしりをしているおばあさんがいました。


慈徳禅院


正法禅寺 


安国寺。 このお寺は、県指定史跡になっている。立派なお寺です。ソテツが美しい。


 

 

このお寺の 釈迦堂は国の重要文化財に指定されている。 拝観料200円だったと思う。

 
 
 
堂の内部です。
 


安国寺庭園があったが、残念なことに(恐らく人手不足のため)手入れが不十分であった。
 

 
祠のお地蔵さん


 
これが、安国寺本堂跡である。 石の土台のみ。
 
 
地蔵堂

 

 

 
金古稲荷神社

 
小烏神社。 小烏の森古戦場があったそうな。 


 
浄泉寺
 
 
 
 
福禅寺・対潮楼
 
石垣上にある伽藍である。
 
Fukuzenji Fukuyama02s4592.jpg
 
Wikipedia による説明。
 
福禅寺(ふくぜんじ)
 
広島県福山市鞆町にある真言宗大覚寺派の仏教寺院。山号は海岸山、院号は千手院。境内は「朝鮮通信使遺跡鞆福禅寺境内」として国の史跡に指定されている。
創建は平安時代の950年頃、空也による創建と伝えられる。現在の本堂と隣接する客殿(対潮楼)は江戸時代の元禄年間(1690年頃)に建立された。
 
 
 
 
 
 
圓福寺・夾明楼
 
Enpuku temple Hondo.jpg画像 046.jpg
 
 
これで、主だった寺社見学はおわる。 
 
話はまたもや逸れるが、このような 森下博の銅像を見つけた。 森下仁丹の創始者である。
 
 
 
彼は、鞆町の出身です。 今月の9日から、鞆の浦歴史資料館で彼の特別展が開かれる。
 
zintantirasiomote
 
 
ここでまたお勉強になるが、鞆の浦の歴史や町の骨格、景観についてである。
 

テキストは、福山市教育委員会事務局の発行した冊子である。

下の上図にあるように、鞆の浦は満ち潮と引き潮との交差点にあたる。ここで海流が変わる訳である。それで、鞆の浦は古代から「潮待ち」の港と呼ばれている。

時代と共に海岸線が埋立てられ、どんどん広がっていく様子が下図にある。
 
 町の骨格は、古地図では下のようになっており、300年前の港町が現在も殆どそのままで残っている。 稀有な例である。
 町並みの景観としてはは、このように屋敷跡、庫、商家などが残されている。

伝統的建造物保存地域は、下図のカラー部分になっている。

さて、寺院めぐりをひとまづ終えてから、鞆の津ミュージアムを見学。
 
 
 
出しものは、 花咲くジイさん であった。
 
 
破天荒な我が道をゆく超経験者、つまりジジイ、の藝術作品の展示である。
 
同じ爺さんとしては、実に面白い展覧会であった。
つぎの機会に、この展覧会の主について書いてみたいと思っている。
 
幾つかの作品を紹介する。ここは、写真は自由に取れる。
 
 


 
 


 
 

 
12人の老人芸術家が出品していますが、著名な方は蛭子能収とドクター・中松くらいです。
その他の我が道をゆくジイさんについては、つぎの機会にまわす。
 
ミュージアムを出て、町並みを散策する。
 

 
ここは、保命酒の造り酒屋である。
 
 
こちらは、鞆の津の商家である。 
 
江戸末期建造の母屋と土蔵からなる、福山市の重要文化財。母屋では通り土間に面して店の間、中の間、奥の間が一列に並ぶ典型的な商家の建築様式を見ることができる。
 
という事だが、ここも休館日で入れなかった。
 

 
 
鞆の浦観光ガイドによると、こんな風らしい。 一昔前のしっかりした木造建築である。
 
鞆の津の商家
 
鞆の浦最期の見物は、常夜燈である。 
これは、鞆の浦のシンボルになっているが、どうということはない。
 
夜になると幻想的なのやもしれぬ。
 
鞆の浦の地続きの場所の観光は一応終わったので、つぎは仙酔島である。 

 
仙酔島へは、鞆の浦渡船乗り場からたった5分である。
 
 
そういえば、映画 「ウルヴァリン:SAMRAI」 のロケ地の一つが鞆の浦であった。
 
 
勿論、封切りでみましたが、X-MEN シリーズとしては、駄作でしたね。
 
 
このような帆船風の船に乗ります。船賃は、往復で240円、老人割引なし。

 
船中には、龍馬の写真が飾られている。
 
 
船からの眺め。 向かいに見える島が、仙酔島。
 
 
圓福寺

 
福禅寺・対潮楼

 
弁天島

 
 
そして、仙酔島の船着き場。
 
 
これが、私の乗ってきた平成いろは丸である。
 
渡船場の風景。 

 
仙酔島のパンフ。
 

裏面は、仙酔島散策地図。 戦前の国立公園切手にも描かれている。
日本初の国立公園・仙酔島

仙酔島のキャッチコピーがこれ。

鞆の浦から目と鼻の先、連絡船で5分の瀬戸内海国立公園の中心にある、
神秘と安らぎの島・仙酔島。
 
 
 
名勝 鞆公園
 
日本で最初に国立公園の一つとして指定された、瀬戸内海国立公園を代表する景勝地。
おだやかな瀬戸の海に弁天島・仙酔島などの緑の島々が浮かぶ姿は、まさに一幅の絵を見るようです。

 
 
確かに、海岸線はこのように美しい。
 
 
少し歩くと、国民宿舎前にでる。その前には芝生広場が広がっている。
その中に立っている鯛の看板。

 
この島の見どころの一つは、海岸線遊歩道である。
 
 
たまたま、観光バスでやってきたグループがいたので、その方々と一緒に遊歩道観光をおこなう。
 
 
このような舗装された道を海岸線に沿って歩いていく訳だ。

 
掲示板で示されているように、地殻変動の跡が岩肌に残されている。
この島は、およそ1億2千万年前、大規模な火山活動の結果できあがったものと考えられている。





 
 
 
海食洞や岩肌の様子だ。
 
 
 
仙酔島の中ほどには日本で唯一の5色岩があります。青・赤・黄・白・黒の5色の岩が海岸に延々と1キロに渡って続いています。
 
と説明されている。確かに、岩石の色の変化は面白い。 
赤い岩は、その中の鉄分が酸化したものだ。
 


 
この5色岩の場所を抜けると、このような海岸線がつづく。
 
 
ここが彦浦の砂浜である。


 
眼の前のこの島が、下加美島。
 
 
この立て看板にも書いてあるが、仙酔島には、
 
仙人が天上を舞っていて、あまりに美しい景色に酔いしれ 
臥して島になった 
 
という伝説がある。
 
 
山の中腹に登る遊歩道として、仙人ヶ丘コースがあり、そのコースを取る。
 
途中の海側の景色。
 
山道には、このような風でねじまがった灌木が生えている。
 
 
何の変哲もなかったが、仙人ヶ丘に着く。 標識は真新しい。
 
 
ここからの眺め。
 
帰り道、タヌキの子供に出くわす。 カメラで撮ると、やはり目が光っている。

 
無事に渡船場に着く。 そこから対岸を望む。
 
 
渡船に乗り込み、鞆の浦に到着。その後は、鞆鉄バスに乗り、
 
 
 
午後6時前にJR福山に着く。 福山の駅百貨店でお弁当を買った。これである。 
 
 
金目鯛の粕漬け焼き弁当。1050円なり。これが、私の駅弁である。 勿論ビールのロング缶もね。


新幹線の車中で食す。 大変美味であった。

お土産は、保命酒たいやき、

 
 鞆の浦ビーフカレー、

 
 十六味保命酒、
 
 
そして、ポニョのハンカチである。
 
 
 
午後10時30分ころ自宅に到着。 これでようやく鞆の浦観光も終わった。
 
長かったが、今回はこれでおしまい。 ごきげんよう。
 
 

 

 
 

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