(息子の)休日に山歩きをしようという事になって、ワイフの発案により京都大文字山へハイキングに出かけることになった。 昨日15日のことである。 私は、毎日が日曜日なので、異存はない。 このところ運動は足りているが、居残りは嫌なので、くっついていくのみである。 ワイフは、珍しく朝早くおきて弁当の用意と、母親の夕食の用意を済ませていた。私は、定時出勤でお隣の母親と朝食をとってから、大急ぎでハイキングの支度をする。
息子達とは、京都市営地下鉄の蹴上駅で10時に待ち合わせと決まる。幸い天気は上々だ。
朝8時に自宅を出発。バスで、JR六甲道駅まででる。 快速で大阪駅に着く。 駅構内の写真を写してみた。ここで、新快速の京都行に乗り替えたのだが、土曜日で観光シーズンということもあり、ものすごい人で京都まで立ちっぱなしであった。
京都駅の構内。時刻は、9時半。 息子達も同じ列車だったが、出口が別で会えず。
京都駅で地下鉄烏丸線に乗り込み、烏丸御池で東西線に乗り換え蹴上で下車。
この駅です。
首尾よく息子達と合流できた。 蹴上駅1番出口には、駅周辺案内図がある。
京都は、どこでもそうだが、駅の周辺には古いお寺や由緒ある神社がいっぱいある。京都へは、昨年まで毎年2度は必ず研究集会で数理研(京都大学数理解析研究所)へ行ってたので、名前はこれっぽちも覚えていないが、大抵の神社仏閣へはお参りしていたのである。それで、何が言いたかったかというと、私は京都観光のプロであるということだ。しかし、直にそれはウソであることが判明する。
ここが、蹴上駅の地上出口。
道路向かいの駅舎の写真。
赤レンガの由緒ありげなトンネルがある。この上がインクラインの線路になっている。
トンネルの上にある石額には、
「雄觀奇想」(ゆうかんきそう) 北垣国道 筆
とある。見事なながめとすぐれたアイデアというわけですな。
トンネルの中。やはり、壁は赤レンガで作られている。通称「ねじりマンポ」です。
トンネルを抜けてから、観光客につられて真直ぐに進むと、
何有荘
東照宮金池院(こんちいん)
東照宮鶴亀庭園
そして、南禅寺山門に行きついてしまう。
南禅寺見学に来たのではない。全く方向が違う。こりゃいかんと引き返したのである。頼りにならぬガイドである。
トンネルの所までもどり、土手と平行に進むのである。 途中殉職者之碑がある。
昭和16年京都市電気局が建立したものである。
琵琶湖疏水を建造した際の事故による殉職者の碑である。
土手はインクラインの線路でした。
京都インクラインは、京都市の文化財に指定されている。 ここで、京都インクラインを説明しよう。
「インクライン」は傾斜鉄道とも呼ばれ、運河や山腹など、傾斜となった路面で貨物を運搬するためのレールや機械を指す。
琵琶湖疏水の大津から宇治川に至る20.2キロの舟運ルートの途中、水路落差のある2カ所に敷設されている。
蹴上インクラインは延長581.8メートルで世界最長。伏見インクラインは延長290.8メートル。
1890年代(明治23~)に完成、1940年前後(昭和15前後)に休止。
蹴上のみ形態保存。
この立看板にインクライン運転の仕組みが説明されている。
蹴上インクラインは、第3トンネルの掘削した土砂を埋立てて作られました。
上部の蹴上船溜まりと、下部の南禅寺船溜まりを、複線の傾斜鉄道によって旅客や貨物を積載したまま昇降させるという画期的なものでした。
着工は明治20年5月、竣工は明治23年1月です、翌年、蹴上発電所の運転開始により、インクラインの運転が始まりました。インクラインの延長は582m、落差は36mあります。
ケーブルカーと同じような仕組みで、ドラム(巻上機)を回転してワイヤーロープを巻上げ台車を上下させる設計です。
この古い写真では、レールとその上にのった台車が見える。この台車が舟を乗せる舟台である。
この碑は、昭和35年に田邊朔郎が私費建立した第1疏水殉職者慰霊碑である。
「一身殉事萬戸霑恩」
(いっしん ことにじゅんずるは ばんこ おんにうるおい) 田邊朔郎 筆
ここで、田邊朔郎 をWikipdia より説明しよう。
田辺 朔郎(たなべ さくろう、1861年12月2日- 1944年9月5日)
日本の土木工学者。琵琶湖疏水や日本初の水力発電所の建設、関門海底トンネルの提言を行った。北海道の狩勝峠の名づけを行った。
略歴:
- 工部大学校卒業。卒業論文は、『隧道建築編』、『琵琶湖疏水工事編』であった。
- 北垣国道京都府知事に請われて京都府御用掛となり、琵琶湖疏水工事に従事する。
実に立派な土木工学者です。明治期には、このように偉い工学者が輩出しました。
ここで、ハイキングルートを書いておく。
蹴上駅 ⇒ 日向大神宮 ⇒ 神明山 ⇒ 大文字山 ⇒ 大文字山火床 ⇒ 銀閣寺
インクラインを登りつめ、蹴上の疎水を橋で渡り、石段を登っていく。
坂をどんどん登っていくと、日向大神宮の石灯籠がある。
神社には参らず、先に進むと、神田稲荷大神という額の架かった鳥居がある。
その奥の社。
このような山道をどんどん登っていくと、
京都一周トレイルの道標のある地点にでる。 ここから先は、ほぼ1本道で道標に従ってアップダウンを繰り返せば大文字山へたどり着く。 むろんアップのほうが多いので、結構爺いにはきつい。
稜線に出るので、アップダウンを数回繰り返すと、七福思案処に到着する。
どこが思案かと思われようが、実はこんなロケーションになっている。
分岐が多数あり、標識がなければ『思案処』なのだ。
さらに稜線を歩いてゆくと、このような標識が見つかる。あと25分で、大文字山だ。
途中の景色を写真に撮ってみた。
山科の方面である。
途中このように沢山の木が切り倒されている。
勿論台風による被害もあるのだろうけど、カシノナガキクイムシにより枯死した樹木を伐採処理しているという理由もある。
こいつです。ナラ枯れの原因となる昆虫。
ようやく、大文字山山頂についた。 465mで、到着時刻11時54分でした。 ここで、楽しいお弁当。おにぎり10個と、作ってきたお惣菜はあっという間に完食。 朝ごはんは、皆食べてなかったんだね。食べるのに忙しく、お弁当の写真を撮るのを忘れてしまった。
山頂からの京都市内眺望。
ここまで、登ってきたぞという証拠写真。
山頂には、土曜日ということもあり沢山の方がハイキングに来ていました。
山頂を後にし、しばらく下っていくと、大文字火床(の1つ)につく。ここもハイカー達で一杯でした。
山からの眺望は、むしろ此処のほうが良いと思える。パノラマがより広大になっている。
ここは、大の文字の交点になっている箇所の火床である。かなり広くなっていて、
弘法大使を祀った祠がある。
これは、恐らく一番大きな火床である。
このような急な石段の坂道をどんどん下っていく。 心臓破りの階段というそうだ。 登りはとても無理そう。
さらに下っていき、林に入ると、そこは銀閣寺山国有林である。
途中、ここような石塚や堰堤がある。
この一帯は、 世界文化遺産貢献の森林である。勿論銀閣寺は、世界文化遺産だもんね。
その森の一部。
さらに下っていくと、中尾城址にでる。
京都大学文学部とあるが、 「鳴呼 中尾城」 なんて、けったいな標識ですね。
中尾城の戦い - Wikipedia の記事はある。 しかし画像はないので、引用はしない。
チャッチっぽい城址である。
ここからすぐのところに、八神社の鳥居がある。
ここを右手に曲がると、銀閣寺の入り口に至る。観光客で一杯。観光人力車が走ってますな。着物姿と人力車は、なかなか乙なものである。
ここが、銀閣寺総門である。
銀閣寺境内の案内図がこれである。
総門前の売店で、抹茶ソフトを舐めているデブ爺さんは、ソフトのゆるキャラとツーショット。
ひつこく、ソフトを食べている糖尿病の爺さん。
銀閣寺のお札志納金は、大人500円である。
以前入ったことは、何度かあるが忘却の彼方なので、今回は参拝することにした。
記事が長くなりすぎるので、銀閣寺見学編は次回に回す。
銀閣寺から、このようなお土産屋の並ぶ通りを通って、
疎水の流れる哲学の道の入り口まで出る。
ここから、京大のキャンパスまで歩いていく。途中で見つけた、動く宇宙ダコ。
吉田神社の鳥居。 数理研の向かいにある。 何度となく登ったものです。
かくして、百万遍まで歩き、京大の正門前あたりでタクシーに乗って四条河原町まで行く。
ここで、BOOKOFF河原町オーパ店で古本3冊を購入。ここは、本の種類がとても多いので、もう少し居たかったが、時間がないのですぐに阪急四条河原町駅に向かう。
四条河原町から特急で三の宮に行く。
かくして、4時半には、KOBE豚饅サミット2014 に間にあったのである。
そして、前回の記事へとつづくのであった。
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