菅原文太 逝去
久々の記事であるが、病気になったのでも、書くのが嫌になっていたのでもでない。インターネットがこの1週間近く圏外ばかりで、全く接続できなかったのだ。 メールはできないし、調べ物もできないし、ということで勉強はせずに読書三昧であった。 風邪気味で具合の悪かったのは事実だが、なにもしないというのは、それはそれで楽しい1週間ではあった。 しかし、病院通いが続き、日々の老々介護はやはり心に重くのしかかる。 自分は勿論だが、親はさらに老い病気がちになり、身体や精神に不便を感じながら、そして死に向かい歩を進めていくのである。 そんな感慨を持っていた折に、高倉健につづいての訃報であった。
文太兄ィが先月の28日に、肝がんによる肝不全のため、亡くなられた。81歳であった。
本名 | 菅原 文太 |
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生年月日 | 1933年8月16日 |
没年月日 | 2014年11月28日(満81歳没) |
出生地 | 日本 宮城県仙台市 |
死没地 | 東京都 |
身長 | 178cm |
血液型 | O型 |
職業 | 俳優・声優・ラジオパーソナリティ・農家 |
ジャンル | 映画・テレビドラマ・CM アニメーション・ラジオ |
活動期間 | 1956年 - 2014年 |
配偶者 | 菅原文子 |
著名な家族 | 菅原加織(長男) 狭間二郎(父) |
主な作品 | |
映画 『現代やくざシリーズ』 『関東テキヤ一家シリーズ』 『まむしの兄弟シリーズ』 『人斬り与太 狂犬三兄弟』 『仁義なき戦いシリーズ』 『県警対組織暴力』 『トラック野郎シリーズ』 / 『鉄拳』 『太陽を盗んだ男』 / 『わたしのグランパ』 |
Wikipedia には、彼の経歴が書かれている。そこには、息子さんの菅原加織を2003年に踏み切り事故で亡くし、少しエキセントリックで頑固親父風になってゆく彼の行動が記されている。
菅原加織さん
新聞記事を交えて最後の15年の概略を記す。 彼は、強い思いを持ち戦争反対、脱原発を表明している。
・1998年(平成10年)頃に岐阜県の飛騨地方に移住。
・2007年(平成19年)に膀胱がんが判明し、筑波大学附属病院にて手術せずに放射線や陽子線治療による膀胱温存療法を受けた。
・2009年(平成21年)より山梨県韮崎市で耕作放棄地を使って農業を始める。農業生産法人を設立し、ライ麦等の有機農業に取り組む。当時、俳優業は「半分引退した」と語った。
・2012年(平成24年)1月、病気のため都内の病院に入院。11月に、菅原が名誉顧問を務める民間非営利団体「ふるさと回帰支援センター」の設立10周年記念講演の席上で、56年に及ぶ役者生活にピリオドを打った旨を明らかにした。
身体はぼろぼろであったが、気力で今まで乗り切ってきたのであろう。ガンは恐らく全身に転移していた。イメージ通り、男らしく出来る限りのことをして逝ったのだ。
奥様の文子さんの彼を送る言葉である。
「がん発症以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり
の心境で日々を過ごし、小さな種をまいて去りました。
1つは、先進諸国に比べて生産量の少ない無農薬有機農法を
広めること。
もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないように声をあげることでした。
今も生者と共にあって、これらを願い続けているだろうと思います。」
思わず、ほろりとしてしまう言葉である。短期間だが、太平洋戦争を経験している。親父もそうであったが、戦争経験者の反戦の言葉は重い。
そんな、文太兄ィの若くて、カッコよくて、精力に満ち満ちていて、かつコミカルな姿を思い出す。
私の兄ィへのそんな思い出を書く。 文太兄ィの映画を最初に見たのは、勿論「仁義なき戦い」である。
山守さん、弾はまだ残っとるがよぅ
山守組組員 坂井鉄也
あんたは初めから、わしらが担いでる神輿じゃないの。
組がここまでなるのに、誰が血流しとるんや。
ケチで短気で見栄っ張りの小心者である、山守組組長
修士の2年生の頃であった。学部4年生の時に学生紛争を経験して、人並みに世間様に対し虚無的になっていたが、柴田翔の「されど我らが日々」の世界には、私の生まれのせいで(多分)入り込むことは出来なかった。代わりに、アウトローのリアルな世界を描いた世界に引き込まれたのである。それまで、子連れ狼等のチャンバラ映画も大好きで見ていたが、それとは異なる面白さがあった。
実録ものであり、現代ヤクザのコミカルさが描かれている。健さんの様式美めいた格好よさでなく、破れかぶれの滑稽なカッコよさである。当時の若者としては、自分に可能なカッコよさはこれしかないと思われたのだ。
後で知ったことだが、飯干晃一の原作より笠原和夫の脚本のほうがダントツに面白い。 ストーリー展開と生きたセリフが、よかったんだろうね。 戦闘シーンのリアルと広島弁の面白さである。
映画は、全5作品を全て見た(封切り館で、と思うが二番館であったかもしれん)。特に、山守組組長の金子信雄の演技が面白くて、登場シーンでは笑ってばかりいた。映画を見た後は、
わしゃ~ おとこじゃけん
という気分で居酒屋でお酒を飲んでいた。まだ、糖尿にはなってませんでした。
新仁義なき戦いも全作見ている。 シリーズは、このようになっている。
シリーズ各作品
- 深作オリジナル五部作
- 仁義なき戦い(1973年)
- 仁義なき戦い 広島死闘篇(1973年)
- 仁義なき戦い 代理戦争(1973年)
- 仁義なき戦い 頂上作戦(1974年)
- 仁義なき戦い 完結篇(1974年)
- 深作新シリーズ
- 新仁義なき戦い(1974年)
- 新仁義なき戦い 組長の首(1975年)
- 新仁義なき戦い 組長最後の日(1976年)
- 他監督作品
- その後の仁義なき戦い(1979年) ※工藤栄一監督
- 新・仁義なき戦い。(2000年) ※阪本順治監督
- 新・仁義なき戦い/謀殺(2003年) ※橋本一監督
広島抗争を扱ったのは、深作オリジナル五部作で、新仁義なき戦いは、俳優が同じで登場人物の名前やストーリーが一部異なる。他監督の作品は、オリジナルのリメイクと言える。
深作オリジナル五部作のイラストを見ていこう。
他監督の作品は、見ていないように思う。今度ツタヤで借りてこよう。
調べてみると、Wikiはもとより、仁義なき戦い関連のページが山ほどある。2,3読んでみると、それぞれの方の思い入れが書かれてあるが、私より若い世代のものばかりである。比較的にさめた感想が多いように思える。時代の背景が分からないと、やはり面白さがわかりづらいようだ。やはり、映画はその作られた時代に属するものである。
日本が高度成長期に入り始める時期に作られただけあって、登場人物のもつエネルギーがすごい。 油の乗り切った、監督、脚本、俳優が全て揃ってできた名作です。
もう一つの記憶に残る文太兄ィの作品は、言わずと知れた
トラック野郎である。 一番星の桃次郎さんですね。 アートトラック見参
シリーズが始まったころには、寅さんの真似だと思って馬鹿にしていたのだが、見てみると結構面白い。愛川欣也のやもめのジョナサンとの掛け合いが面白いのだ。それと、毎回のマドンナとのラブアフェアーとライバルのトラック野郎との交渉。これは、愛川欣也の企画であり、彼の ロードムービーを作りたいという構想によるものだという。これは、知らなかった。監督は、鈴木則文。この監督も今年の5月15日に満80歳で亡くなられた。
全作品の検証を行う。 といっても、ポスターや登場人物等を見て年月の経過を知るだけである。
第1作 御意見無用 マドンナ:中島ゆたか ライバル:佐藤允(関門のドラゴン)
マドンナ役の中島ゆたか。現在もTV女優として活躍中。
関門のドラゴン役の佐藤允(まこと)
一昨年、12月6日急性肺炎で78歳で亡くなられた。
第2作 爆走一番星 マドンナ:あべ静江 ライバル:田中邦衛(ボルサリーノ2)
マドンナ役のあべ静江。現在もナツメロ歌手として活躍中?。
ライバルのボルサリーノ2役の田中邦衛。北の国からでブレークする前ですね。現在82歳で、事実上の引退だそうだ。
第3作 望郷一番星 マドンナ:島田陽子 ライバル: 梅宮辰夫(カムチャッカ丸)
オリジナルのポスターが見つかんない。
マドンナ役の島田陽子。劇中の登場シーンが、見つからない。大女優ですが、借金とか不倫とか、なにかと問題がありましたね。現在61歳で健在です。
現在の写真。まだまだお美しい。妖艶とさえいえる。
ライバルのカムチャッカ丸役の 梅宮辰夫。 小太りですが、渋いですね。 やはり鈴木則文監督の不良番長シリーズを2番館でよく見ました。 現在76歳で、健在。 今やアンナパパもしくは、料理実業家です。
梅宮辰夫の漬物本舗です。皆さん見たことがあると思います。
第4作 天下御免 マドンナ:由美かおる ライバル: 杉浦直樹(コリーダ丸)
マドンナ役の由美かおる。劇中シーンの画像はあるが、コピペ厳禁なので、上の画像参照。それにしても、体型変化なしで、お年はとりませんね。現在64歳。現在と過去。
ライバルのコリーダ丸役の 杉浦直樹の画像は、見つからない。が、愛車の愛のコリーダ丸の画像はある。
代わりに、近年の杉浦直樹。古い話だが、関根恵子の出奔事件と関係があったそうですね。もはや真偽は不明だが。 渋い性格俳優でした。 2011年9月21日、満79歳で逝去。
第5作 度胸一番星 マドンナ:片平なぎさ ライバル: 千葉真一(ジョーズ)
マドンナ役の片平なぎさ。劇中シーンは、見つかったが幽霊シーンとはね。
15年前はサスペンスドラマの女王として探偵役になりきり、
断崖絶壁で犯人を追いつめるのがお仕事になっていた。
女優として、今も活躍されている。元アイドル歌手であったとは、とても思われぬ。現在55歳。
そのデコトラ、ジョーズI号。
千葉真一は、こんなB級アクション映画で大活躍していた。
千葉真一の過去と現在。現在75歳だが、精悍さには変わりがない。大したものである。
第6作 男一匹桃次郎 マドンナ:夏目雅子 ライバル: 若山富三郎(子連れ狼)
マドンナ役の夏目雅子。この女優は、殆ど伝説になりました。作家の伊集院静の亡くなった妻ですね。実は、私は大ファンでした。1985年27歳で、急性骨髄性白血病で死去。
資生堂のこの宣伝ポスターが衝撃的でした。
素顔は、端正で上品な美女でした。 生前沢山の映画やTVドラマに出演しました。
瀬戸内少年野球団は、とても良い映画でした。美人薄命というのは、文字通りこの方のための言葉です。もう少し長生きしたら、原節子とか高峰秀子クラスの大女優になっていたと思います。
ライバルの子連れ狼役の 若山富三郎。 子連れ狼のパロディー役を本人がやっている。
子連れ狼の映画を見て以来、若山富三郎のファンになった。極道シリーズとか極悪坊主シリーズも見たが、娯楽作品として悪くはなかった。 子連れ狼と小島剛夕
若かったせいもあるのだろう、演技は大根と思えたが、そのはちゃめちゃぶりが楽しい。しかし、現在では、映画史に残る名優であることは疑ってもいない。演技者としては、弟の勝新太郎よりはるかに上であろう。後年のTVドラマ事件における弁護士役は、私にとり忘れがたい印象を残している。
1992年4月2日、満62歳で死去。若死にと言える。彼もまた、惜しい俳優であった。
第7作 突撃一番星 マドンナ:原田美枝子 ライバル: 川谷拓三(昭和の御木本幸吉)
マドンナ役は、原田美枝子。言うまでもない大女優です。文藝作品に主役もしくは準主役として、頻繁に出演している。トラック野郎に出演しているとは、実は知らなかった。要するに、この映画は見てません。現在55歳。日本アカデミーの最優秀主演女優賞を1度、最優秀助演女優賞を3度獲得している。大変聡明な女優さんです。
ライバルの昭和の御木本幸吉役の川谷拓三。 拓ボンですね。役では、真珠でなくアワビを養殖している。
私は、ピラニア軍団のこの人が好きでした。下積みで、叩かれても叩かれても、這い上がってくる、しつっこさと根性が泣かせる訳です。それで、あっけなく死んじゃうんです。この映画では死にませんが。
実際の拓ボンは、早死にです。大部屋俳優から体当たり演技で監督に認められ、これから味のある主演級の役を演じ始めた頃に、肺がんにより、1995年12月22日 満54歳で死去。
惜しい人生でした。
第8作 一番星北へ帰る マドンナ:大谷直子 ライバル: 黒沢年男(Big99)
マドンナ役の大谷直子。
現在64歳。特に好きな俳優ではない。
ライバルBig99役の 黒沢年男。
現在70歳。著書「二流芸能人が、何度がんになっても笑って生きている理由」を出版しているように、がんになってもシブトク生き残っている芸人。映画のように、格好良い2枚目だったのだが、いつの間にか、天然ボケキャラに変わっていた。分からぬものである。嫌いではないが、特に好きな俳優ではない。
第9作 熱風5000キロ マドンナ:小野みゆき ライバル: 地井武男(ノサップ)
マドンナ役の小野みゆき。
現在55歳。海外で育児に専念しているそうである。
ライバルのノサップ役のライバル地井武男。
北の国から 2002遺言での奥さんを亡くしての涙ぼろぼろの演技が忘れられません。
2012年6月29日、満70歳で心不全のため都内の病院で亡くなった。
北の国から 2002遺言
第10作 熱風5000キロ マドンナ:石川さゆり、森下愛子 ライバル: 原田大二郎(龍馬號)
マドンナ役の石川さゆりと森下愛子。 石川さゆり56歳、森下愛子56歳。お2人とも、私よりかなり年下と思ってたが、実際はおばさんの年齢だね。
ライバルの龍馬號役の原田大二郎。現在70歳。 かってのイメージは、若き反逆児であったが、今はバラエティ番組で「うるさいおじさん」と言われることもあるそうだ。年とともに、役者のイメージは大きく変わってしまうものだ。
この青年が、
このように年を取る。同一人物であることは間違いはないが・・・。
最近は、アニメの声優も務めていた。映画は皆見たが、声が文太兄ィとは気付かなかった。
『千と千尋の神隠し』の釜爺
『ゲド戦記』の大賢人ハイタカ
『おおかみこどもの雨と雪』の韮崎
菅原文太兄ィには、こんなに面白くて楽しい映画を沢山見せて頂いた、心よりのお礼と感謝を捧げたい。安らかに、お休みください。
合掌
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