鞆の浦史蹟めぐり 鞆の津ミュージアム 第12回はじめまし展 「まる さんかく しかく」
そのつづきとして、今回は小坂城城主 磯野健一 さんを紹介したい。
〈磯野健一〉
お城の外見はこのようです。立派にお城に見えます。(4年前の写真)
最初この城の写真を見たときに、建築基準法に違反しているのでないかと思いましたが大丈夫なようです。商業地域内にあり、この程度の高さは許可されるようです。
以下、朝日新聞の記事より適宜抜粋する。
以下、朝日新聞の記事より適宜抜粋する。
大阪・東大阪市に住むお城好きの磯野健一さん。散髪屋さんを営む磯野さんは店の上に天守閣を設置し内装もお城風に仕上げている。磯野さんは二条城を見て以来、書院造りに興味を持ったという。
普段の磯野さん。
近所では、河内小阪の街に建てられたので通称、小阪城と呼ばれている。 一階は普通の理容室だが中に入ると、ふすまや畳など、本物のお城のように装飾が施されている。
ふすまのヘリにある、金属で出来た装飾や絵画など、全て磯野さんの手作りである。階上には、黄金の茶室がある。壁は100枚300円の色紙で製作されたそうだ。
ご満悦の磯野さん。
ご満悦の磯野さん。
築城が始まったのは30年以上前。磯野さんは、散髪客が途絶える合間に工事を重ね、屋根の上に3層の天守閣を完成した。これをジャッキで持ち上げ、屋根と天守閣の間に2層分を加え、天守閣はついに5層となる。
自宅の2階には巨大な富士山を描いた圧巻の「富士の間」。1枚400円のベニヤ板を4枚並べ、100円のポスターカラーで1週間かけて描き上げた。「絵はボロ隠し。
日本一小さな城に、日本一大きな富士山ですわッハッハ」
これは、茶室の備品展示。鞆の津ミュージアムで展示されたものです。
磯野さんは自分の城を持ちたいと、ひとりで30年かけて城をつくったそうで、トタン板やブリキなどの廃材で製作したという。総工費は、天守閣に限れば5万円だそう。さらに、天守閣の横に3層の小天守閣を増築した。安普請ではあるが、完成させたというのがすごいではないか。
磯野さんは、近江の浅井家家老、磯野員昌(かずまさ)の末裔ということだ。昔ならば殿様でもおかしくないという事だ。
磯野健一さんは、大阪大空襲の目撃者でもある。そのお話は、私の母の話と重なる。
東大阪の戦跡 より。
小阪から生駒山麓の池之端町に疎開していた磯野健一さん。国民学校4年のころ、警防団のお父さんを残し、お母さんと縁者に身を寄せました。 | ||
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色んな思いがあり、現在の磯野さんがあると思います。
今回は、これでおしまい。
curatorstv.com/video/5873404821372928
実は、この記事を書き終わってから上の動画を見つけました。見終わって、『ヤンキー人類学』の記事のつづきを書く気が無くなった。デコチャリやデコトラのミニチュアの画像を紹介しようと思っていたが、全てこの動画にある。ここで、ヤンキーアートの面白い所は全て出ています。しかも解説つきです。
それで、この種の記事は今回で終わりにして、既に収集した『ヤンキー人類学』の関連画像を、中途半端だがアップする。
〈伊藤輝政〉
雑誌やインターネットにのっている実在するデコトラ(デコレーション・トラック)の2次元情報をもとに、身近な素材を使って、3次元のデコトラをミニチュアで超精密に再現するという驚異の創作を幼少期から今日に至るまで30年以上続けている。
〈みやび小倉本店〉
北九州最大級の規模を誇るレンタル衣装店。「他の地域より目立ちたい」という若者の要望に応えるべく、10年程前より、北九州特有のド派手で絢爛豪華な「成人祭」衣装を作り続けている。
〈丸尾龍一〉
12歳の頃、デコチャリ(デコレーション・チャリンコ)の存在を知り、独学で制作を開始。沢山の電球を使用した電飾や、カーステレオ、カーナビ、ワンセグ、バックモニター、無線機などを全て搭載した豪華なデコチャリを作り続けている。
追記もこれでおしまい。)
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